奏姫は侍女を遠ざけ、まったくのひとり歩きを楽しんでいた。…と、思わずその足を止めた。
池のほとりに黒龍がいる。…一瞬そう思われた。実際、その男がたたずむ様は、黒々とした龍が水面を凝視して千年もそのままの姿でいるようであった。が、彼は奏姫に気付くと急いで両膝を地に着き、袖に入れた両手を額につけた。

(イラスト・まもと鶴)
「寧波からずっとご一緒でしたね」
奏姫はこの豊かな顎鬚の男に今初めて声をかけた。
「は」
男は短く答えた。
「面を上げてお立ちなさいませ」
「は」
間近で立ち上がった男は見上げるほどの長身であった。そして驚いたことに、遠目で見ていた時より、実際はまだ若いらしい。
「まだ私の警護は終わっていないのですね」
「はい。都に着いてから配下を増やし、この離宮を守っております」
声もまだ若い。
「何ゆえ」
「近頃、龍頭賊の動きが激しいからでございます」
「龍頭賊?」
「盗賊…いや、反乱の輩のようなものでございます」
「それで、いつまでも物々しい気配なのですね。でも…不愉快です。そなたはあまりにも私を監視しすぎています。今もこうして…」
「恐れながら」男は姫の言葉をさえぎった。「私の任務は姫さまのご警護ではございませぬ」
「何と?」
「私は姫さまの監視などいたした憶えはございませぬ」
「一体そなたは」
「錦衣衛官の臥龍と申します」
「錦衣衛官…」
その機関の名を奏姫は聞き知っていた。皇帝直属の諜報特務機関である。
錦衣衛は、全ての行政機関の長官や役人、商人、果ては庶民までもその厳しい監視下に置き、ほんの少しでも皇帝に逆らう様な行動を認めると厳罰に処した。この錦衣衛の長官にも宦官が就き、永楽帝の行う恐怖政治の強引な骨組みを成している。
「では、そなたのお役目は私の警護をしている役人の監視なのですね」
「左様にございます」
臥龍と名乗ったその男は、真直ぐに奏姫の眼を見つめて応えた。口調は丁寧であったが、その視線は上から見下ろす形になるため、奏姫には世間知らずの自分をからかっているかのように感じられた。
=====<中天@編集部作品>=====
原作・監督・総指揮・キャラクター原案 ...海道 遠(YUB)
校正・リライト・挿絵 ...まもと鶴

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