☆第一部 靖難編☆
<作品舞台>
日本では室町・足利義満の時代、中国は明代の争乱覚めやらぬ 1399年の「靖難の変」〜1410年のタタール親政オノン河畔の戦いのあたりまでが今回のストーリーになります。
<主要登場人物>

奏姫…足利義満の孫姫。ひたすら明国に憧れ、海を渡る。

臥龍…錦衣衛官にして龍頭賊の頭。

桂靖…元は倭寇に加わっていたが、臥龍に命を救われ、そのまま配下に。

玉綸…靖難の変の折に自害した建文帝の妹公主。
アロタイ…タタールの猛将。可汗ベン・ヤシリを即位させる。
------------------------------------
原作・監督・総指揮・キャラクター原案
...海道 遠(YUB)
校正・脚本・演出
...真先裕
リライト・挿絵
...まもと鶴
-------------------------------------
<本文中の記述について> YUBより。
登場人物の名前...姓名なのか字(あざな)なのか。中国語の発音等はあえて厳密にされておりません。
北平ほか地名について...実際は永楽帝が即位してから「北京順天府」と改名されましたが、語感が良いのでこのまま使用しております。応天府の「南京」もこれと同じく。
<挿絵について>まもと鶴より
漢民族の服装は清まであまり大きな変化はないという記述をそのまま我流に解釈し、主に宋明前後の時代のものを参考にさせていただきました。
タタール族に関してはこの時代「北元」のモンゴル系民族ということなので、モンゴル系の服装(ナショナルジオグラフィック・モンゴル帝国特集)の挿絵を参考にしております...が、細部は... (汗)
いずれも色彩とか、髪飾りなどの装飾品、武具など色々時代考証???部分満載かと思われます。
エンターテイメントなのねっということで...歴史ファンの皆様お許しくださいませm(__)m
-------------------------------------
(一)靖難

中天より地平へ-----光点が視界の隅を滑っていった。
あ!と思った時にはもうそれは西の空に消えていった。奏姫(かなひめ)は潮風に吹かれながら船の舳先に立ち、つい先ほどから見え始めた波の彼方の大陸に目をやっていた。背後の水平線から太陽が昇る気配が近づき、既に空の半分を淡い紫色に変えている。
船出をして三ヶ月。奏姫はよほどのことがない限り、その間は何十回もの日の出を必ず甲板に立って見てきた。が、今日は違う。いつもあれほどの感慨を持って見つめる朝陽に背を向けていた。今は朝陽そのものよりも、それを受けて輝く大陸のほうが魅惑的であった。
奏姫は幼さの残る瞳を見開き、身を乗り出した。
ついに明の国にやってきたのだ。
一四〇八年。
明と倭国の間に勘合貿易が始められて四年になる。十四世紀後半、倭寇の盛んな出没により一時中断されていた明との貿易を再開させたのは、将軍・足利義満が明の皇帝、永楽帝に臣下の礼をとった為であった。義満は自らを「倭国国王臣源」と称し、明はこれを受け入れ、朝貢貿易が始められたのである。
およそ六十年もの対立の後、南北朝合体を成功させ、全国統一を実現させた室町幕府は日の出の勢いであった。
一方、明も第三代永楽帝が甥の建文帝を倒して即位し既に九年、皇帝はその地位を確固たるものにする為、政治機関の確立を急いでいた。と同時に、近隣諸国にも盛んに来貢をうながしていた。そのうちのひとつが倭国との朝貢貿易である。
奏姫は足利義満の孫娘、つまり義満の五ノ姫が細川家に嫁して生まれた姫である。将軍を補佐する三管領のうちの一家である細川氏は、足利一門の有力守護大名であった。
名門の生まれ、ましてや将軍の血をひいた奏姫は貧しさ、苦しさの何たるかも知らず、十七歳の今日まで何不自由なく育てられた。
細川氏は以前から堺商人と組み、明へ活発に貿易船を送った、境の港は元より、細川氏の城内にも多くの明人や、明からの品物、更には胡人*の姿まで見られた。奏姫はそのような中で成長した。機会があると明の商人を城に招き、いつまでも彼の話に聞き入るのが常であった。
奏姫は幼い頃から京の北山第の祖父の元へ度々訪れた。将軍職の祖父は誰よりも威風堂々とし、大きな膝の上に抱いてくれた。奏姫は幼な心にもその祖父を誇りに思い、壮麗な北山第をも大そう愛したが、彼女の興味を引き、心を酔わせるという点では、それらは明の商人の様々な話の比ではなかった。
*胡人=西域の人

☆別窓「カテゴリー」をクリックしていただくと、連載作品が第一回からまとめてお読みいただけます♪
足跡帳へはここをクリック♪