二の句が告げない夫だった。
むくれてから、アークハートは何か思い出したのか、タキシードの内ポケットから小さな指環を取り出した。
「これ。エドマの精巧な小型促進装置だ」
「え?」
ルビスコ将軍はいかにも当て外れな声で応えた。
「促進装置はプリズム色のラッピングペーパーよ。自前調査で判明しています」
「何だって?じゃあ、この指環は?」
「わたくしがハロくんに借りてすり替えた促進装置の抑制装置よ。ね、ハロくん。ごめんね。洗脳酒でコントロールしたりして」
いきなりシルマリイの笑顔で話をふられ、ハロバッツは慌てた。
妖艶な夜の記憶が彼の脳裏に甦る。
あの熱いくちづけで飲まされたのは洗脳酒だったらしい。道理で気分が変だったわけだ。
(もしかして俺、ルビスコ将軍のマリオネットになって亭主をぶん殴ったのかな……)
背筋の寒くなるような疑いが頭をもたげてくるのに懸命に耐えていると、
「お詫びにザスラブから促進装置を受け取った罪はチャラにしてあげる」
ルビスコ将軍はそっと唇に指をあてて、ウィンクしてみせた。
ハロバッツは真っ赤になってうつむくしかない。ルビスコはマシェンナとココラに向き直った。
「うちのヤドロクとトビーJr.がずいぶんご迷惑をおかけしたようね、お嬢さんがた。わたくしたち、半年交代で育児休暇を取ることにしているものだから」
「いいえ、とんでもありません、将軍」
ココラが緊張して応える。
間近で見るルビスコ将軍の雌豹と言われる、将軍であり、アークハートの妻であり、トビーJr.の母親でもあるヘンドリカ・ルビスコ――――。
彼女に抱っこされたトビーJr.が小さな手で頬をぴたぴたした。
アークハートが抱き取って、彼をひょいと肩車する。どこにでもいるひと組の幸せそうな親子だ。
だが、実際にはトビーJr.はなんという勇ましい両親を持って生まれてきたんだろう。途方もなく勇敢で、無鉄砲だ。
しかし同時に彼らのコンビワークのなんと素晴らしいことか。さんざん罵(ののし)りあいをしていても、深い絆で結ばれている。
マシェンナにはそれがよく解かった。
(羨ましいな)
(こんなに信じあえる相手にめぐり逢えるなんて……)
彼らを眺めているうちに目頭が熱くなった。
「どうしたの?」
ルビスコが気づいて声をかける。
「なんだかほっとして…」
「怖い目に合わせてしまったわね。ダーク・パープルたちをおびき寄せるために乗客の皆さんにはいっさい秘密で、船長にしか打ち明けておかなかったのよ。このエドマを彼らの手に渡すまいという一心で」
「じゃあ?」
「そう。エドマを囮(おとり)に彼らを捕まえるのが私の任務だったの。そして、もうひとつ――――」
ルビスコはアメジストの瞳でエドマを見上げ、しばらくその美しい姿を眺めた。
どんな思いが渦巻くのか、紫の瞳は高貴な輝きでエドマの横顔を丹念になぞる。
それから、夫に目を転じた。
「アークハート中佐。命令を下す」
アークハートはへの字に口を曲げた。
「バカ言うな。俺は育児休暇だぞ」
「一時返上せよ」
妻の鉄壁の表情に、アークハートは肩をすくめて息子を肩車したまま、しぶしぶ敬礼姿勢をとった。
「貴官にエドマVXの永久殲滅を命ずる」
「ええ?」
マシェンナはじめ一同は驚きの声を上げた。
☆
「あのパンダカマキリがアークハート中佐だったとはねえ」
ココラがマホガニーのテーブルに頬杖をついて洩らした。
マシェンナは頷きもせず、眼下に広がる恒星ブラン・ネージュの「彩層」を見つめている。
船尾の談話室では、ようやく先ほどの騒ぎから落ち着きを取り戻した人々が、憩いの時間を過ごしていた。
「ココラ。笑わないでね」
「何よ」
いつになく思い詰めた表情の従姉妹に、ココラは背筋を正した。
「私、パンダカマキリ……じゃなかった、アークハート中佐のことを思うだけでどうにかなっちゃいそうなの。私の胸の中、あの『彩層』みたいに熱くてどろどろなの」
「あれま」
マシェンナは真っ赤になった顔をココラに見られまいと、じっと恒星を見つめ続けた。
「修道女になろうって人がどういうこと?」
「彼、私に言ったわ。赤ん坊を生める性に生まれながら、生まずに、育てずに一生を貫くのか――――って」
「心にグサリきたわけね」
ココラもきているに違いなかった。
「で、どうするの?彼の子どもを三ダースくらい生んじゃって、ルビスコ将軍を妻の座から追い落とす……ってことも、私たち新エルシャス星人になら可能よ」
「ココラったら真面目に聞いてよ!」
いつにないマシェンナの厳しい口調に、ココラは黙り込んだ。
(私だって、愛する人とトビーJr.みたいな可愛い赤ちゃんと暮らせたらどんなに幸せかしら。だけど…)
だけど新エルシャス星人にはそんな夢は叶わない。初産でいきなり十人の赤ん坊の母親になることも珍しくない。
これを拒否するには、修道女になるか、ココラみたいにベビーエッグを売り続けるかのどちらかひとつしか道はないのだ。
そのためには芽生え始めた恋も葬り去る。無理やり心の奥の奥に封じ込めて、頑丈なカギを掛けてしまうしかないのだ。
ましてや、片思いの相手には熱愛の末に結ばれたと評判の美しい夫人がいる。
社会的にも強大な地位を有する雌豹将軍、ヘンドリカ・ルビスコが。
「――――あ。いたいた」
いきなり、その雌豹将軍の声を聞いて、マシェンナは驚いて振り返った。
深緑の軍服に着替えたルビスコ将軍は、少女のように息を切らせて駆けてきたところだった。
「捜したわ。マシェンナ」
「何かご用……でしょうか」
「エドマ殲滅の時間が迫ってるの」
「やはり実行されるのですか」
「しかたないわね。あなたたちのご先祖のような悲劇を繰り返す恐れがあるのですもの。『真紅の誘惑』のような連中にいつまた悪用されないとも限らないし、ね」
ルビスコ将軍の説明によると、エドマVXは惑星ダングロットが開発したものではなく異文化銀河から飛来した生命体なのだという。
何故、氷の中に閉じ込められたのかは不明だが、つまり彼女は人工的な産物ではなく古代に生きていた異生命体だというのだ。
彼女の恐ろしい効力に―――出世率をストップさせるという―――に気がついた惑星ダングロットは手を加えて改良し、協定締結記念のプレゼントとして惑星エルシャスに贈り、無残にも惑星の息の根を止めたのだった。
「古代に生きていた異生命体?」
マシェンナとココラは茫然と聞き入った。
「言うなれば彼女も惑星ダングロットの侵略の犠牲者ね」
ルビスコ将軍は大きく息をついた。
「そこで、エドマを投下する艇にあなたも乗り込んで弔いの花束を投げてあげてほしいのよ。マシェンナ」
「何故、私が?」
「うちのヤドロクのご指名よ」
マシェンナは自分の頬が赤くなるのがわかった。
「ど、どうして…」
「あなた修道女になるんですって?マシェンナ」
ルビスコは急に話題を変えた。
「どうして?勿体ないわ、こんなに可愛いレディが恋もせず、仕事にも就かず、人の妻にもならず、母親にもならないなんて」
「貴女だったらどうなさいますか、ルビスコ将軍」自分でも思いがけないほど挑戦的な質問がマシェンナの口から飛び出した。「私たちエルシャス星人は好むと好まないにかかわらず平均的な子どもの数が五十人―――」
突然、ルビスコ将軍の瞳がきらきらと輝き出した。
「あら、五十人!素敵!」
「――――え?」
「羨ましいわ!私たち地求人はそんなには生めないもの、普通。五十人も!いいわね」
手を合わせて飛び上がり、少女のようにはしゃぐ。
「だって、うちのひどいやんちゃ坊主でさえ、すっごく可愛いのよ。もう、自分の全てを捧げてもいいくらい。うちのヤドロクに対するのなんかととはケタ違いの愛情感じるのよ、子どもって。もう、蕩けちゃうくらいトビーJr.が可愛いわ。なのに、それの五十倍、あなたたちは幸せを感じられるんでしょう?うっ羨ましい!なんて羨ましいのかしら!」
「はあ…」
圧倒されてマシェンナは言葉がない。
「あ、噂をすればなんとか」
アークハート中佐が戦闘機乗務服に着替えた姿でやってきた。腕にはトビーJr.を抱いている。
ルビスコ将軍の前に立つと寸分の隙なく敬礼する。
「申し上げますっ。アークハート中佐、エドマVX殲滅作戦の準備完了いたしましたっ」
「あー、トビーJr.、ご機嫌してたかな?」
夫の報告に耳を貸しもせず、ルビスコは顔面を崩して息子を抱き取った。
「あっ、オムツが濡れてまちゅね。じゃあママがあっちで換えてあげまちょうね!」
「育児休暇中なのは俺だ。俺が取り換える」
アークハートの申し出に振り返ったルビスコの表情は瞬時にして母親から上官のものへと変わる。
「貴官は急ぎ、機への乗務に移れ。こちらのお嬢さんの了解は取った。以上、頼んだぞ」
トビーJr.をあやしながら、彼女は行ってしまった。
「待って下さい。私…」
急いで追いかけようとしたマシェンナを、ココラが引き止めた。
「行きなさいよ。ルビスコ将軍、あれで気をきかせてくれたのよ。パンダカマキリとの一度きりのランデブー」
「ええ?」
では、ルビスコ将軍はマシェンナの心の奥を見通していたのだ。マシェンナはうたれたように彼女の後ろ姿を見送った。
アークハートが黒メガネの奥から優しい光を投げかけた。
「行こうか」

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