第 七 章 漆黒の蘭一対
琥珀祭。
数千年も続く、琥珀回廊の最大の行事である。回廊の人々はメレア公爵領の最大の行事である。回廊の人々はメレア公爵領で開かれるこの祭りの一週間のために、琥珀にかしづいて日々を送っていると言ってもよい。
貴族たちはいかに素晴らしい細工の琥珀を職人に作らせるか。職人はいかに素晴らしいデザインの意匠を凝らして世の中に披露できるか。労働者はいかに自分たちの産出する琥珀の中から質の良い物をみつけられるか―――――――。
目的はそれぞれ違えど、回廊の人々の琥珀祭に寄せられる関心は並々ならぬものがある。
特に、最終夜にメレア公爵城で催される夜会には回廊ばかりでなく、大陸全土から琥珀に目のない貴族が集い、令嬢や婦人に身につけさせて美を競い合う。
黄金色あり、血の色あり、暗褐色あり。
目の覚めるように美しい細工物がずらりと出そろう晩になることは間違いなかった。
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寒さも、この数日間ばかりは琥珀祭の熱気に気おされ、影をひそめている。
ジャレツは城の窓から海岸で打ち上げられる花火を浮かび上がる花火を眺めていた。
琥珀の古塔が色鮮やかな花火に浮かび上がり、なんとも幻想的だ。
公爵は最近うって変わったようにジャレツに滞在をすすめ、旅籠に泊まるといって断る彼をむりやり泊まらせては、やれ晩餐だ、お茶だともてなしている。
「お年寄りの気まぐれでしょ」
とは、リダの見解だ。しかたなく、いや、ありがたくジャレツは公爵の歓待に甘んじている。
「今年はつまんないな」
ジャレツの横で一緒に花火見物をしているロピがもらす。
「去年までは、毎年琥珀祭の主役はリダだったんだぜ。ほら、お城の屋根の上をずっと歩いてみせるんだから!」
城の屋根はかなり急な勾配である。頂点の稜線は一本の綱と変わりはしないだろう。
「すごいな、そりゃ」
「だろ?」
ロピは自分のことのように得意げに鼻の下をこすってみせた。
「おいらも、できるようになりたいな」
「ロピならできるぞ。がんばれ」
「うん!」
今年、鮮やかな技を披露して喝采を浴びることのできないリダはさぞ悔しいだろう。ジャレツは思い、先日の蘭の園でのことに思いを馳せた。
塔からの呼びかけが耳にこだました、と思ったとたん、得体の知れぬ衝動に捉えられ、リダを抱きしめていた。
情熱的なリダは魅力にあふれているが、彼女自身に惹かれたのではない。
誰か別の存在を間近に感じたのだ。
いつか、どこかで覚えがある。リダのように闊達で聡明な娘。愛していたに違いない娘。
誰だったのか――――――。
蘭に罪を着せたものの、どうもあれ以来リダとふたりきりになることを避けてしまう。彼女も自分もたった一度の接吻に感傷的になる歳でもなければガラでもないというのに。そうではなく、罪悪感に苛まれているのだ。彼女自身を求めてのことならともかく、その上彼女がキャスケードを愛しているとわかっていながら軽はずみな行動をしてしまったことに。
ここはやはり、蘭に悪者になってもらうのが最良の策だろう。卑怯にもジャレツは逃げた。
「ここにおらえたのか、ジャレツさんや」
勢いよく扉を開け、メレア公爵が入ってきた。
琥珀祭が始まってからというもの、公爵はめっぽう上機嫌で三十歳も若返ったかのようだ。普段は召使に対しても怒りっぽいのに、喜色満面で饗応の準備を指図している。
「貴公からもすすめてやってくだされ」
公爵の背後から、遠慮深げにリダが入ってきた。
「明晩のダンスパーティーに出席してはどうかと思うての。つらいことが多々あったが明晩だけはきれいに忘れて踊ればいいではないか」
「で、でも」
「若いのじゃ、楽しむがよい。お前は去年まで屋根渡りの芸当を披露して、娘らしい恰好で出席したこともないのじゃからの」
公爵は亡き妻や娘の衣装のうち、どれを着てもよいと勧める。
「でも・・・・」
リダの表情は暗く翳る。右手の傷はもう癒えて包帯はとれているが、やはり気にせずにはいられないのだろう。
無理もない。ジャレツは彼女の困惑した顔を見つめていたが意を決して、
「よし、おいで。ロピも」
なおも渋るリダの背を押した。
城の衣裳部屋には、人が一生毎晩着飾っても着きれないほどのドレスがそろっていた。
「やめてよ。私にピンクや若草色が似合うはずないでしょ。それに、大切な人が死んだばかりだし不謹慎よ」
「そりゃ、俺だって女の着る物のことなんかちんぷんかんぷんだが」
ジャレツとロピは部屋中ひっかきまわし、リダのおめがねに叶うデコルテを捜した。
「これはどうだろう」
迷いに迷った結果、ジャレツが探し出した一枚に、リダの目がようやく止まった。
それは漆黒のシルクのデコルテで、全体に細かい黒曜石が縫いつけられており、光線の具合によって冬の夜空みたいにきらめいた。
デザインも、膝に下りるほどすぼまり、裾であでやかにフリルを広げた大人っぽいもので、肩幅の広いリダには似合いそうだ。
黒なら喪に服するいろでもあり、それでいて舞踏会にふさわしく華やかで、何よりリダの銀青色の髪と白磁の肌がよく映える。
「だって、胸のカットがこんなに深いし、背中だって腰まで丸出しじゃないの!」
「平気、平気」
ジャレツは強引に決めてしまう。
「それにほら、これにはこんな長い手袋がおそろいになってるよ」
ロピの言うとおり、対の手袋は肘を隠す丈のもので、甲の部分にふんだんにレースやフリルがあしらわれており、リダの傷を目立たなくさせるにはうってつけだった。
「ほほう、いいものを選んだのう」
公爵が入ってきた。手には、黒いビロードのケースを持っている。
「それなら、この琥珀にぴったりじゃ」
言いながら示したケースには、人の拳ほどの碧い宝石が燦然と収まっていた。
ジャレツはじめリダもロピも、ごくりと喉を鳴らしてその輝きに見入った。
「琥珀じゃよ。琥珀祭には琥珀を身に着けないと出席できないのを忘れたか?」
公爵はかか、と笑った。
「わしの亡き愚妻の形見じゃが明晩だけ貸して進ぜる。リダ、これを着けて踊るがよい」
「もったいのうございます、公爵様」
リダは茫然と受け取った。ずしりと重い首飾りだった。
「公爵、もしかしてこれは・・・」
ジャレツが鋭く尋ねる。またしてもうとんじられるかと思ったが、公爵は意外にもあっさりと認めた。
「いかにも。塔に安置している碧き琥珀の乙女のかけらじゃ」
(やはり・・・・・)
なんという深き碧。それでいて触れてみると温かい。琥珀は人肌より温かいのだ。
この碧い中に閉じ込められているのか。数千年も―――――――。
見たい。ジャレツは渇望した。公爵に申し出ようとした時、ロピがぼそりと言った。
「で、リダ、誰と踊るの?」
「そりゃ・・・」
一同の視線が誰からともなくジャレツの方へ集まった。