どんつくどんつく、でれでれどんつく!
囃子に加えひときわドラがけたたましく鳴り渡り、もやい綱が解かれる。いよいよ出航だ。
満足げにその様子を見守っていた真珠売りの顔がふと翳りを帯びた。
嗜虐に酔っていた目が少しずつ険しくなり、薄笑いを浮かべていた唇が真一文字に引き結ばれる。
「長老様・・・・?」
側にいた一族の男が怪訝に覗きこむ。
異変は、その瞬間、他の者にも判った。
「水が!」
「長老様、水が増えて・・・・」
「これじゃあ増えすぎです、わしらの集落まで水がついてしまいますぞ」
一族はいちどきに酔いをどこへやら飛ばし、口々に叫んだ。
水位が増していた。
はるか砂漠の湧出源からあふれた水は、涸れかけた地下湖の水を補うばかりか、度を越して増水し続けているらしい。
真珠売りの額に冷や汗が浮かぶ。
「こんな、こんなはずは」
しかし、目に見えて水は嵩を増してゆく。すでに先ほどまで水面の上にあった船着場の板場は水の中に没し、人々はくるぶしまで水に侵されている。ほどなくふくらはぎにまで達しそうだ。
湖面を覆うように無数に浮かぶ真珠貝も、心なしか動揺しているようだ。
「落ち着くがよい、真珠貝ども。竜蛇の男を食らったではないか。お前たちは不死身だ」
横笛を取り出して貝のざわめきを鎮めようとした真珠売りは、頭上に目をやり、凍りついた。手が震え、足元の水に笛が落ちた。
「長老様、月が!月が!」
一族の指差す頭上の月は高山に咲く青芥子のような、さえざえとした蒼だったのだ。
「蒼い・・・・月・・・・」
不吉な色だ。吉兆とは思えない。
身体中の細胞がそれを感じ取って収縮いるのがわかった。水はひた寄せる。
湖面に風が起こった。
篝火が吹き消され、地下湖の周辺は青灰色に沈んだ。
増水する湖面を呼び、扇動するように、風はますます荒れ狂い、真珠貝さえ宙にひらひらと飛び散らした。
「皆の衆、岩場へ上がれ!」
真珠売りの緊迫した指図に弾かれたように、一族は蟹のような背中を転がして、我先にと少しでも高い場所へと逃げ始める。
キャスケードとデニーゼの戒めが緩んだ。逃げ惑う小人に突き倒されそうになる少女を、キャスケードは間一髪ささえる。
「あ、あれは!」
少女が震えながら、若者の懐から叫んだ。
退却を始めていた真珠売りも電撃に撃たれたかのように足を踏ん張り、沖を見つめた。
湖面が異常に盛り上がり、渦が起こったことがわかった。渦は急激に水のすり鉢を作り出す。
青い渦の底に、人間が見えた。
まるで地を踏むようにしっかりと仁王立ちだ。肩幅の素晴らしい、浅黒い膚もあらわな厚い胸板と逞しい脚。
「ジャレツ―――――――?」
口走ったものの、キャスケードは確信が持てない。
顔立ちや髪の色はジャレツだがどこか違う。
突如、激しい水音をも上回る轟音が起こった。目映い光の帯が渦の底から発せられ、岩場へ叩きつけられていた。
後には光が静まり、少年の銀色の残像が残される。
渦の底から男の銃が火を噴いたのだった。キャスケードはそれに見覚えがあった。
「あれはジャレツの銃―――――――?」
とすると、湖底から銃を発した男はやはりジャレツ。―――――――?
男はこちらへ歩いてくる。不気味にも水の表面を歩んでくるのを見たキャスケードとデニーゼは背にぞっとするものを感じ、いっそう身を寄せ合った。
水際までやってきた男の目はアクアマリンの透けたブルーで、明らかに面立ちはジャレツには無い高貴さを湛えている。
<我はアルノワ・ロンダム。黄泉の国より、デスムーンの今夜、真珠の力を借り竜蛇の男の肉体に降霊した>
言うなり、足元の水へ乱暴に銃を投げ捨てた。キャスケードは恐る恐るそれを拾い上げた。相棒の愛用銃に間違いない。
「アルノワ・ロンダムだって?なんでジャレツの女房じゃねえんだ?」
酸素不足の熱帯魚みたいに幾度か口をぱくつかせてから、やっと声を絞り出した。
だがロンダムは何も答えず、穏やかな視線を若者たちに落としただけだった。
次の瞬間、岩場にそれを転じた時には険しい色となっている。
<ポセイディオーンの息の根を止めるために――――――な>
少年は海草のように岩場に張りついて、尚も生きていた。
キャスケードとデニーゼは、思わず恐怖にごくりと喉を鳴らした。
少年の焼け焦げた背中に異様なこぶの連なりが見える。爬虫類の鱗に覆われた金色の瘤だ。それは生き物のようにうごめき、背中の皮膚を突き破るように成長しようとしていた。
「ロンダムの死にぞこないめが・・・・」
真珠色の瞳は反抗の色を失ってはいない。
そればかりか、血生臭い三日月型の瞳孔がまたも脈打ちはじめる。
「竜蛇からの移民の末裔でありながら、時輪皇帝リシュダイン様にまつろわず、湧き水を欲しいがままにしたやつばらめが」
<お前こそ、湧き水欲しさに罪も無き人々を呪われた真珠の毒牙にかけた罪、思い知るがよい!>
湧き水をめぐり、千年の長きに渡り敵対してきた両者の間に火花が散らされた。
水は増水を続けていた。
キャスケードとデニーゼの手を引いて高い岩場へと逃れ始めた。ふたりは振り返りつつ目撃した。
ロンダムの神々しいばかりの腕が中天を指して鋭く持ち上げられ、同時に真珠売りが牙を剥き出して鱗の浮き出た身体をくねらせたのを―――――――!
水の柱が生えた。ドリル状に渦巻きながら、ドームの天井から見下ろす月めがけて、何本もの柱がロンダムを取り巻いて生えてゆく。
無数の真珠貝が木の葉のように渦に翻弄され、流れに散らされる。阿鼻叫喚と共に、せむしの一族が流されてゆく。
氷河色の水の柱に混じって、黄金色の鱗の身体がよじれては、中心に立つロンダムに撒きつこうとしていた。
キャスケードはデニーゼの小さな身体を引きずるようにして、岩を登った。無我夢中で何も考えられなかった。水のあぎとから逃れることだけが頭の中を駆け巡る。
デニーゼの小さな手が氷のように冷たい。
彼女の苦しげな呼吸づかいが自分のそれと重なり合って、鼓膜に反響した。
水の柱はついには地上へ噴出し、砂漠へあふれ出た。邪悪な蹂躙者となって竜の背のようにのたうち暴れまわりつつ、渇ききった砂だけの世界を奔り、塗りつぶしてゆく。
轟音が逆巻き、碧い月だけがこの大地の恐慌を冷たい視線で見下ろしていた。
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