まるで人の腸の中を歩いているようだった。
ライターの仄かな明かりだけを頼りに、湿った石造りの空洞を歩み続ける。
何時間歩いたか、感覚は失われつつある。恐怖感はないが、苛立ちがジャレツの心に影を落としている。足首までだった水位は着実に増し、すでに脛の中ほど辺りにまで達している。
ふと背後を振り返ると、足元からの冷えに唇の色をなくした少女が疲れきった視線を寄越してくる。
何度目かに振り返った時、ジャレツは総身に水を浴びたように感じて立ち止まった。
デニーゼの顔が、ふと甘にがい面影に重なったのだ。
(・・・・・のよ)
言葉さえ、甦る。

(<竜のあぎと>に報告を続けるのが私の務め。一生、あなたの側でね、ジャレツ)
純粋に愛だけだと信じていた、一途な瞳。真摯な唇から、幾度、甘く熱い喘ぎを洩らさせたことか。幾度、絹の肌を枕に情熱をたぎらせたことか―――――。
酒場の踊り子だったにもかかわらず、彼女は高潔な精神の持ち主だと信じた。間違ってはいなかった。が、それは愛する者へのそれではなく、竜蛇皇帝に対する忠誠だったのだ。
それを知った時、ジャレツは初めて皇帝を憎んだ。彼女を始末することが竜蛇皇帝を裏切ることだと、冷静に考え―――――銃爪を引いた。
同時に心は厚い氷に閉ざされた。二度と、溶けることはあるまいと思った。
――――――――あれから何年も経ったような気がする。
「・・・・・ツ」
「ジャレツ、どうかしたの」
知らぬまに顔面を覆っていた指の隙間から見ると、デニーゼが心配そうに見上げていた。
「アナリディカ・・・・いや、デニーゼ」
追憶をふりはらい、少女の手を取った。
「すまん。つい暗闇の虜になってしまった」
「何か、おしゃべりしようよ。そうだ、キャスケードの悪口ならネタは沢山あるよ」
ひた寄せる溺死の恐怖を充分感じているだろうに、相手を勇気づけようとする少女の心が健気だ。
ジャレツは足取りもしっかりと歩みを再開した。
「ジャレツは竜蛇大陸の人なんでしょ」デニーゼが無邪気に尋ねてきた。
「竜蛇ってすごく文明が進んでるんですってね。都のリシュダインには地下や空中に乗り物が行きかってて、高い建築物が林みたいに立ってるって旅の人から聞いたわ。夜になるとそれらが星みたいに光を灯して銀河みたいなんですってね。あたい、行ってみたいな」
「お前みたいな若い娘が憧れるところじゃないぞ」
ジャレツは捨てた祖国の残像を引き出す。
皇帝が大陸民の生活のすべてを掌握していた。食料、住居、教育、産業、その他すべてだ。最近では結婚、出生に至るまで皇帝直轄の機関が統制をとり初めてらしいと風の頼りに聞く。竜蛇大陸、数億の人々は人間ではなく、時輪皇帝リシュダイン二十三世の持ち駒でしかない。かつてはジャレツもそのひとつだった。
一介の秘密工作員でありながら、皇帝リシュダインの面前に上がることを許された、数少ない持ち駒のひとつだった。
<竜のあぎと>。
それが彼を育て、皇帝への絶対忠誠を植えつけた機関の通俗名である。
後に、白鳳大陸で拾うことになるキャスケードと同じく、彼もまた大都会の片隅でドブネズミのように這い回る元、奴隷の浮浪児でしかなかった。
<竜のあぎと>から目をつけられ、その訓練機関に放り込まれて以来、疑うことを知らぬ皇帝への忠誠が彼の中でつちかわれていった。魂の奥深くから腐臭が漂い出しても、自覚がなかった。
とどまることを知らぬ近隣大陸への侵攻と、皇帝の処す膨大な数の粛清を、聖義と考えていたのがその証拠である。
時輪皇帝リシュダインはそれでも満足せず、忠実なしもべに妻という枷さえはめ、彼女に夫の一挙手一投足を監視させたのだった。
ジャレツ自身の、暗黒の時代だった。
「あの大陸は人間を最もさげすむバケモノに変えてしまう。恐ろしいところだ。決してあこがれたりするな、デニーゼ」
少女は不思議そうにジャレツを見上げた。
「俺も、すんでのところで魂を邪悪な竜に噛み砕かれてしまうところだった。かろうじてそれをまぬがれたのは―――――――キャスケードのおかげだ」
足跡帳へはここをクリック♪<絵ブログ検索エンジン>