ふたりは邑外れの樫の根元に身を投げ出し、熱い胸郭を波打たせた。
「けっさくだ」
喘いでいたキャスケードは可笑しさがこみ上げてきた。真昼のような月光が射す地面の上で笑い転げる。
「ジャレツが当主様だってよ」
「まったく、迷惑な話だぜ」
「案外惜しかったって思ってるんじゃねえの?何せ、あの奥方の美貌だもんな」
からかいながらも、キャスケードは相棒が確かにここにいることに安堵していた。
「ところであの女の子はどうした」
ようやく呼吸を整えたジャレツがつぶやいた、その時である。
女のヒステリックな声がした。
やや離れたガス灯の根元で、穏やかならぬ騒ぎが起こっている。数人の街娼に寄ってたかって暴行を加えられているのは、先ほどの幼い娼婦ではないか。
「あの娘だ」
「やれやれ、また女がらみかよ」
キャスも相棒に続いて腰を上げる。
「よさないか」
ジャレツは女ばかりの乱闘に割って入り、ぼろきれのようにいたぶられた少女を素早く背後にかばった。
「邪魔しないでくれる、オジサン」
目を紅で隈どった女がすごむ。
「こりゃ、あたいたちの世界の事なんだ」
「どんな理由があるにせよ、一人対多数ってのは卑怯だぞ」
「だってその女、あたいたちの縄張りにひと言の断りも無しに荒らしたんだ」
「まだ子どもじゃないか。知らずにやったことだろう、大目に見てやれないか」
「オジサンこそ、あたいたちの掟を知らないらしいね。
燃えるような髪の女が刃物を取り出した。
「知らんな。教えてもらおうじゃないか」
「ジャレツ、よしとけよ。姐さん方に逆らうと恐いよお」
キャスケードの制止も効力を示さなかった。ジャレツの癇症もキャスケードに劣りはしない。ひとしきりの乱闘の後、ラメのトサカを着けた雌鶏たちをひとからげにしてしまった。
「さ、案内しろ」
「ど、どこへさ」
「決まってるじゃないか。お前たちの元締めのところだ」
街娼たちは顔色をなくした。
「そ、それだけは勘弁してえ」
「今頃、猫なで声出しても遅い。俺をオジサン呼ばわりした罰だ。さあ歩け」
ジャレツは容赦なく言った。
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濡れたような月の光さえ届かぬ露地の奥に、その私娼窟はあった。
多分、正式な免状なく営業しているのだろう、そんな胡散臭い空気が充満した館である。
もっとも各地のそんな店には行きなれているジャレツとキャスケードではある。
やっと戒めを解かれた街娼がすがりつくようにして青銅のノッカーを慣らす。まもなく出てきた小男は戸口にたたずむ大きな男の影に、ぎょっとした様子だ。
「主人に会いたい」
痛めつけられた街娼たちを、目を白黒させて眺め回した小男は無言で引っ込み、ほどなくもう一度でてきた。親指で入れと促す。
扉の内側は深海のような緑色だった。
紫煙がたゆたい、鉛色の照明のもと、部屋のあちこちで快楽を貪っているのは人間の男女に違いないが、まるで影絵でも見ているように幻想的だ。
小男が傷ついた娼婦どもを手早く連れてゆき、フロアにはジャレツたちと少女がのこされた。幼い娼婦はこれから何が始まるのか、と脅えた目をしている。
奥に曲線を持ったカウンターの向こうで、充分熟れた女が腕組みして待ちうけていた。
来客に一瞥を投げ、キセルの灰をポンと捨て、
「うちの娼婦たちを可愛がってくれたそうじゃないか」
酒と煙草でつぶれたしゃがれ声だ。
「この女の子を大勢で痛めつけていた。この世界じゃいさかいはご法度だな?」
悠々とカウンターの席に座りながら、ジャレツは最初の一撃を放った。
天井からの照明が彼の頬の輪郭をくっきり浮き上がらせる。と、マダムのどぎつい色の爪がキセルを取り落とした。
「ジャレツ・・・・!あんたジャレツじゃないかい」
紫のアイシャドーの目が見開かれる。
「モイザ?」
煙草を取り出そうとしていたジャレツの手も止まった。
「やっぱり!奇遇だねえ、こんな片田舎で再会するなんて」
女はカウンター越しにジャレツの首を抱いた。
「白鳳に渡ってきていたのか」
「そうなんだよ。竜蛇の真紅の芥子と呼ばれた踊り子も、流れ流れて娼館の女将さ」
キャスケードが察するところ、どうやら彼らは旧知の間柄のようだ。マダムの態度は打って変わった。目じりにありったけの皺を寄せてもてなし始める。
「ああ、懐かしいねえ。ここで逢えたのも何かのお導き。今夜は語り明かそうじゃないか。あれから何年経つかねえ。七年、いや八年?あの頃はあんた、毎日私たちの舞を見に来てくれたっけ。もちろん、お目当てはあの娘だけだったんだろうけど」
連射銃のように繰り出される言葉がほんの一瞬、途切れたのをキャスケードは聞き逃さなかった。だが、だが次の瞬間にはモイザはたくみに話題を転じ、
「お連れさんかい?こりゃまた黄金果実みたいなにいさんじゃないか」
「仕事の相棒だ。キャスケードという」
ジャレツはやや決まりが悪そうに紹介した。
「よろしく、うっとりするようなにいさん。ささ、モイザ姐さん特製の竜の酒をぐっとおやりな」
「やあ、モイザ」
キャスケードはグラスをかざした。
「で、なんだっけ、あんたの用事は。そうそう、うちの娼婦たちが世話をかけちまったんだったね。許してやっとくれ、ちゃんと言いきかせておくよ。そっちの嬢ちゃんに怪我させちまったようだね」
「あんたの方の縄張りで花を売っちまったらしい」ジャレツが言い添えた。「大目にみてやってくれ、何せこの若さだ」
「本当に、まだねんねだねえ」
一同の視線が幼い娼婦の上に集まった。少女はこれ以上は無理なほど縮こまっている。
「お前、名前は?」
キャスケードが隣席をすすめながら尋ねると、少女は下を向いたままかすかに唇を動かした。
「デニーゼ」
「この商売長いのか?」
少女はかぶりを振った。頬の傷が痛々しい。
「今夜が初めて」
「初店だったのか。もったいないことした」
おどけるキャスケードをジャレツが目でいさめてから、重ねて聞いた。
「そんなに金に困っているのか」
「・・・・・」
「その歳で身体を売らなきゃならんほどか」
「真珠を買うの」
ポツリとサクランボの唇が言った。
「真珠?」
ジャレツとキャスケードは口をそろえて聞き返す。少女はこくりとし、おもてをあげた。驚くほど強固な意志が眼に宿っていた。
「真珠を買うためにお金が要るの。ポセイディオーンの真珠は一個、千ペセテカもするんだもん」
「ポセイディオーン?どこかで聞いたぞ」
キャスケードはジャレツに目で問うた。
「あの家令の爺さんが言ってた真珠売りだ」
異様な沈黙が紫煙と共に漂った。
「あんた、どんな真珠が欲しいんだい」
モイザが煙を吐きながら興味深げに問う。
「媚薬の真珠」
「そんなものどうする気さ」
「あの女の夫を奪ってやるんだ」
大人たちはぎょっとして改めて少女を見た。
「あの女って・・・・」
「ロンダム家の第一夫人、ルナシルダよ」
キャスケードは危うくグラスを落とすところだった。モイザが肩をすくめて、
「だってあの女の旦那は先月死じまったじゃないか。いったい誰に媚薬の真珠を使うつもりなんだい」
「そう。番狂わせなの」
少女は肩を落としてため息を洩らした。
辛抱しきれなくなったキャスケードが吹き出したのと同時だった。デニーゼはじめ一同の視線は彼に移行した。
「あっはっは、茶番だ、茶番だ。面白え、ああ、腹が痛え」
「キャスケード」
「だってよお、ジャレツ。これが笑わずにいられますかってんだ。おい、デニーゼとか言ったな、お嬢ちゃん。媚薬の真珠とやらを使って籠絡する相手はこれ、ここにいるぜ」
ジャレツの肩を叩きながら、また大笑いする。デニーゼはきょとんと眼を丸くした。
「つまりお前が真珠代を稼ぐために初めて身売りしようとした相手こそ、新しいロンダムの当主ってわけさ」
「よせ、キャスケード。冗談がすぎるぞ」
ジャレツは顔をしかめた。
デニーゼは茫然とふたりを見つめるばかりだったが、からかわれていると思って口をつぐんでしまった。もうどんなにキャスケードが軽口をきいても砂漠の道しるべのように黙りこくったまま、爪を咬んでいる。
「ふふん」
モイザがびろうどのショールを腕までずらして、コーヒーブラウン色の胸の谷間をあらわにした。熱い視線でジャレツを射抜く。
「ロンダム家の未亡人に見初められでもしたのかい?あんたなら無理もないねえ。相変わらず研ぎ澄まされた目つき―――――酷薄さと情の熱さが共存している不思議な眼。まったく、あんたを見ていると内臓までさらけ出して舐めてほしくなっちまう」
慣れた仕草でジャレツの腕をとろうとしたが、彼の手はするりと逃れてグラスを持ち、一気にあおった。
「そっちのお嬢ちゃんへのお詫びに一夜代わってあげようと思ってさ。もちろん、お代は私がお嬢ちゃんに支払う。どう?」
「それなら俺よりこいつの方を頼む」ジャレツの親指が相棒を指した。「ひと晩でも女ッ気無しだと月に向かって吠えるんだ」
「人を月狂病みたいに」
カウンターの下でキャスケードの足が思い切り相棒の向こうずねを蹴飛ばした。
「不満か?モイザ」
「いいともさ」
モイザの熟れた舌がゆっくりボルドーの上唇を舐め上げながら若者を検分した。
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