この女にとって、ストリートチルドレンのひとりがどうなろうと知ったことではないのだ。キャスケードを見る目つきはまぎれもなく汚らわしいものに対するそれだ。
ストリートチルドレンへの慈善活動などまったく上辺の取り繕い、仮面でしかないのだ。
それも、篤志家を気取る金持ちにありがちなことだ。腹が立ちはするが、この程度なら、ジャレツはこみあげる怒りを飲み込もうと思った。
だが、この女は単なる慈善家気取りではない。
キャスケードの母親なのだ。
どう言い繕っても、その顔立ち、眼の色が証明しているではないか。
それを、どうしてこの女はあくまで隠そうとするのか―――――−。
かなり熱くなったジャレツが口を開こうとした時―――――――、かたわらのキャスケードが勢いよく立ち上がった。
「もって回した上品な言い方しやがって、はっきり言やあいいだろ、オバサン!こんなドブネズミみたいな子が、自分の子どものわけないって!黄金蘭なんて名前、こんな子にふさわしくないって!」
「ま・・・・・・」
「こんな冷たい眼のオバサンがおふくろだなんて、こっちからごめんだよ!俺はスラム仲間のキャスケード!それでいいんだ!」
言い捨てるなり、キャスケードは部屋を飛び出していった。
「頼む、アスンシオン」
ジャレツにうなずいたアスンシオンがその後を追った。
足音が遠のき、再び客間には強張った空気が満ちた。
「も、申し訳ございません、夫人!」
床に手をついたのはマレーヌだった。
「まったくあの子を教育できていないのは私の責任です」
「あなたが悪いのじゃないわ、マレーヌ先生」
蘭夫人はハンカチを口元にあてて、ひとつ小さく咳払いをした。
「とにかく、私個人としましてはあの少年の身元に心あたりなどございません。納得いただけましたらお引取り願えませんでしょうか、ジャレツさん」
「生憎だが、まだこっちには用がのこっている」
急に言葉つきの変わったジャレツに、蘭夫人の眼が険しく見据えられた。
ジャレツはもう容赦できない自分を感じていた。
(キャスケードをあそこまでよくもこっぴどく傷つけたな。こうなったら洗いざらい吐かせてやる・・・・・)
不用意にキャスケードを伴ってきてしまった自分への腹立ちも相まって、ジャレツは目の前の蘭夫人に抑えきれぬ憎悪を感じていた。
「何でしょうか、まだ他に何か?」
針のような夫人の言葉を受けて、ジャレツは立ち上がった。
非常に失礼だが、これも子どもひとりの運命を左右することだ、質問させていただきたい」
「何なりと」
「あの紋章は?」
ジャレツは巨大な鴨居の上に嵌めこまれた竜の紋章を指差した。
「モルモデス家の家紋ですわ」
「この家の?あれは竜蛇大陸皇帝家の紋章だが・・・・」
「そう。確かに竜蛇大陸の皇帝家の紋章と同じです」
「何故だ。竜蛇を遠く離れたこんな白鳳の内陸に、何故竜蛇のゆかりの家紋があるんだ」
「このモルモデス家は琥珀回廊の出身です」
「琥珀回廊・・・・・」
それは、この白鳳大陸の北西部に位置する地方一帯の名称だった。
琥珀を多く産出するため、その名で呼ばれる。琥珀といえば、ジャレツには馴染みが深いばかりか今となっては総毛立つほどに嫌悪したいものだった。竜蛇の巣窟城はもちろん、奥殿まですべてが琥珀で造られていたからだ。
皇帝リシュダインがひとつの命を終え、老体から赤子となって生まれ変わる神聖な場所、その奥殿は巨大なひとつの琥珀をくり抜いて造られているという言い伝えだった。
「竜蛇の皇帝陛下に、琥珀は必要不可欠ですわね。私どもモルモデス家はその琥珀の産出される琥珀回廊の統治者の家系なのです。代々のモルモデス家の主は竜蛇皇帝家に琥珀を提供し続けてきたのですわ」
蘭夫人は誇らしく説明した。
ジャレツの背筋を冷たい感覚が奔り抜けた。
よもや、竜蛇より遠く離れたこの白鳳で、竜蛇の濃密な気配を感じるとは――――――。
「噂では、皇帝リシュダイン様は琥珀を召し上がられて永遠の命を永らえさせていらっしゃるとかいうではございませんか」
「馬鹿な。それは噂にすぎない」
「まるで皇帝陛下をご存知のように、はっきり否定なさいますのね」
形勢逆転だった。
思いがけず竜蛇皇帝の名を聞き、狼狽したジャレツの急所めがけて、蘭夫人はやいばを繰り出してきた。
「また、蘭は宿り花として琥珀とは切っても切れぬもの。この庭に蘭が群生しているわけを教えてさし上げましょうか?」
蘭夫人は立ち上がり、テラスのガラス戸を勢いよく開け放った。
乳白色の霧が辺り一面を埋めている。
しかし、テラスから続く館の一面に様々な蘭がまとわりつくようにはびこり、花を咲かせている光景は一望できた。
「この館自体がすべて琥珀でできているからなのですよ」
そう言って、蘭夫人はテラスに咲いていた蘭を一輪取り、香を嗅いだ。
ジャレツは息苦しさを覚えて口元に手をやった。