デニーゼの肩をつかむジャレツの手に力が入った。
「癇癪もちのくせに根性なし。ケンカっぱやいくせに腕っぷしはさっぱり。女たらしのくせにおそらく恋など知らない。数字にゃ弱い、大陸共通語のアルファベットも書けない。あの顔以外に取り柄といえば、口の悪さしかない。どうしようもないやつだ、キャスってやつは。それでも、俺はあいつに救われた」
ジャレツは遠い目をした。穏やかな底に、熱い思いが渦巻いている。
「俺があいつを救ったんじゃない。俺があいつに救われたんだ。キャスケード・・・・あの脳天気に逢っていなければ、俺はとっくの昔にスラム街でのたれ死にしていただろう。
「キャスケードもきっと同じだと思うよ」デニーゼも胸の熱い塊を飲み下した。「キャスケードはほんとにジャレツのことが好きで好きでしようがないんだ。あんたがロンダム家に行っちまってから、どんなに落ちこんでいたか、どんなにカラ元気出してたか――――――あたい、よっくわかったもん」
「デニーゼ」
肩に乗せていた手を伸ばし少女の頬を優しく撫でる。この少女がキャスケードを慕っているらしいことがジャレツの心に明かりを灯した。
「あたいのあこがれてた真珠売りのポセイディオーンはあんな綺麗な顔をして、悪魔の化身だった。あたいが酷い目にあわされた時、キャスケードはそれは優しくしてくれたんだよ」
「ほう。あいつにしては上出来だな」
「ちっとも悪口になってないね」少女はあふれてきた涙を笑顔で隠し、また沈んだ。
「キャスケード、無事でいるかな。まさか殺されたりしてないよね」
行く手に仄かな明るさが見えてきた。どうやら出口が近いらしい。そして水の流れ落ちる音。
「大丈夫だ。やつらの狙いは俺だからな。キャスケードは俺をおびき出すための餌でしかないはずだ」
ますます確かに近づいてくる、明るさと水音に向かいながら、ジャレツは言った。
曲がり角の向こうに傾斜した滝が現れた。高さは優に二階家を超えるだろうか。足元の水位はジャレツの膝を超えてきた。滝の水量がみるみる間に増し、水嵩を上げていることがわかった。滝の脇に、螺旋状の石造りの階段があったのは天のたすけと思わなければならない。ジャレツは少女を先に押し上げ、水で滑りやすくなっている螺旋階段を登った。
滝はすり鉢状の斜面となっており、落ち行く水はすべて、今までジャレツたちが通ってきた横穴の水路へと流れこむ造りになっていた。邑の古井戸へと水は急いでいるのだ。
辺りはすでにしらしらと明けかかっていた。黄金を縫いこんだ空があけぼの色に輝いている。
螺旋階段を昇り切ると、滝の最上部へたどり着き、デニーゼをひっぱり上げた。
たちまち、眼前に赤茶けた大地が開ける。等身大の石像がぽつねんと立っていた。
鱗に覆われた女人像が肩にかつぎ持つ壷から清らかな水が無尽蔵に湧き出ている。
女人像がロンダムの紋章と同一だということは、一目瞭然だ。
「これが湧き水の源・・・・」
ジャレツとデニーゼは身を寄せあって茫然と眺めた。
彼方に目を移せば地平線の果てに湧き水の邑の家並みが遠く並び、反対側にはガダナ山脈の青い背骨が望まれる。山脈の山裾に広がる岩山地帯の地下に、地下湖の一族の居住地があると聞く。
「デニーゼ。お前は邑へ戻れ。ここから先は危険だ」
「いや。あたいもキャスを助けに行きたい」
「俺を手に入れれば、やつらはキャスケードを解放する。いいから待ってろ」
ジャレツは曙光を受けてまろやかに輝く山裾を鋭く睨んだ。
「ひっひっひい」
突如、清廉な水音を不気味な笑い声が乱した。すり鉢状の対岸に、せむしで小人の老人が立っていた。
「その通り。よく自分の立場をわきまえているようじゃの、竜蛇の男よ」
紫色の歯ぐきに一本残った黄色い歯が、さも愉快そうにぷらぷらと揺れている。
「爺さん、あんたも真珠売りの仲間だったんだね。キャスケードを返しなさいよ、あんたの命の恩人でしょッ」
ジャレツより先に、デニーゼが気丈に怒鳴りつけた。
「ひっひ、威勢のいい嬢ちゃんよの。じゃから言うておるじゃろう。その立派な体躯の男さえ我らの地下湖に赴けば、あの若いのは返してしんぜると」
「いったい俺に何をさせようというんだ」
ジャレツが挑戦的に問うた。
「ひっひ、古来より、真珠に竜はつきものでの。竜蛇の男よ。真珠は我ら地下湖の大切な産物なのじゃ。月は貝に命の雫を落とし、月が満ち、真珠も満ちる。竜は真珠をむさぼり食らい、空を翔る―――――――月が満ちる、月が満ちる、竜の影を飲み込んで――――――」
叙事詩の一節をそらんじるかのように、老人が陶然と吟じるのをジャレツは断ち切った。
「どうでもいい、キャスケードを返すのなら言ってやる。邑人にもいっさい手は出すな」
「ジャレツ!」
デニーゼがすがりついてかぶりをふる。ジャレツは頷きかえし、そのソバカスだらけの頬を軽く弾いた。夜明けと同時に、彼女は本来の幼い容貌へと戻っていた。
ジャレツが対岸の方へと歩き出そうとすると、老人の抜け目の無い声が飛んできた。
「おっと、その前に、最初の仕事じゃ」
「仕事?」
「お前さんの持っている湧き水の鍵を、あの石像の胸の飾り穴に差し込んでもらわねばなるまいて」
ジャレツは懐にある鍵を意識した。
「何をさせるつもりだ」
「知れたことじゃ。地下湖に湧き水をいただくまでのこと。いや、あの若いのを血祭りに上げてもかまわんというなら無理強いはせぬがのう」
「くそっ」
砂漠の岩陰のあちこちから小人たちが湧き出てきたと思うと、素早くジャレツたち獲物に群がり、彼の革ジャケットの内側を沢山の醜い手がまさぐった。
ひとりが鍵を探り当て、大将首を取ったかのように嬉々として高くかざした。
「おお、見つかったか。さ、さ、はよう」
鍵を持った若い男の小人がひょこひょこと飛び跳ねながら浅瀬を渡り、石像に近寄った。しかし、石像に登る事はおろか、触れることもできない。老人が地団太踏む。
「ううむ、忌々しい石像めが。ロンダムの始祖めが我らの最も忌み嫌う女神像を湧出源に拝しおって」
鍵を持った男はおじけて水の中にうずくまってしまった。
「やはり無理か」老人は肩を落とし、改めてジャレツにその白濁した目の焦点を当てた。
「さ、竜蛇の男。お前さんがやるのじゃ」
別の緑がかった髪の小人が、鍵を仲間から取り上げ、ジャレツに握らせた。有無を言わせない態度だ。
ジャレツは逡巡した。
老人の言う通りにすれば、おそらく邑の井戸は干上がってしまうにちがいない。
ルナシルダが肌身離さず守り続けていた鍵が急に重く感じられる。ジャレツの掌にすっぽりとおさまるちっぽけな存在だが、邑の運命がその鍵にかかっていた。
同時に、鍵は邑の運命だけでなくジャレツにとってキャスケードの命をも左右する力を持っている。
心が決まらない。
邑人をとるか、キャスケードをとるか。
湧出地を見極めようとしたばかりに、軽率な行動をとってしまった自分が、呪わしくてどうしようもない。
(許せ、キャスケード)
銃で撃ち焼いてしまおう。そう決めた。
鍵を放り投げた瞬間、激しくぶつかってきた者にジャレツは思わずよろめいて、片足を踏み外した。
デニーゼだった。
「いや!キャスケードを見殺しにしないで」
叫ぶや、鍵をつかんで女人像へよじ登る。
「待て、デニーゼ!」
危うく滝つぼへ転落をまぬがれたジャレツが叫んだ時には遅かった。鍵は、デニーゼの手で女人の胸の飾り穴にしっかりと差しこまれていたのだった。
「うほほほ、いやったあ!いひひひひ!」
老人が発情したカエルさながらに飛び跳ねた。地平の彼方に真っ赤な日輪が顔を出したと同時―――――――、
地の底から、不気味な地鳴りが立ち昇った。続いて大地をどよもす振動がやってきた。
デニーゼの目の前で、飾り穴から亀裂が生じた。それは次の瞬間、女人の喉を駆け上り、端正な口元を、鼻梁を、眉間を断ち割った。枝分かれした亀裂は稲妻の速さで全身を奔り
。―――――――、壷を真っ二つにした。
「きゃああああ!」
デニーゼは倒れゆく女人像から転げ落ちた。
湧き出る水は間欠泉の勢いで噴き上げた。
亀裂はまだ生き物のようにうねり、大地を突き抜けてゆく。
女人像のあった位置から順に、亀裂は幅を広げ、大地の地下に眠っていた巨大な空洞を露わにした。空洞は噴き上げる水をまるごとのみこみ、新たな瀑布の舌を自身の内部へ導きいれる。
「これは・・・・」
ジャレツはすり鉢状の斜面にしがみついたまま、大地の変貌に釘付けにされていた。
視界の隅を、少女が新たな瀑布へと吸いこまれていった。
「デニーゼ―――――――!」
少女を死なせるわけにはいかない。ジャレツはまるで一匹の竜にでもなったように、噴出する水の中に身をおどらせ、自身も大瀑布の口腔へと飲み込まれていった。
「いっひっひっひ、うほほほほほほほ」
せむしの老人が仲間と一緒に神楽に浮かれたように跳びはね、全身で歓喜していた。
「やったぞよ、やったぞよ。ついにあの封印の女神像を壊すことができたぞ。これで、湧き水はわれらの地下湖へと注がれる。我らを虐げ、蔑み続けてきた湧き水の邑のやからなど渇き死んでしまえ。一滴たりとも返してやるものか。ほっほっほ」
地平線の産道が日輪の卵を産み落とした。
デスムーン、滅びの月の夜は刻々と迫っていた。
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