. 「代理業 一日体験記 CROSS 番外編」第1回
「代理業だと?」ベッドの上で手枕をしていた俺の相棒ジャレツは、さも胡散臭そうに鼻面に立て皺を寄せながら言った。

場所は俺たちふたりのオフィス兼ねぐらの古びたアパートの一室。
「そ、代理業さ」
俺―――キャスケードは、破けたソファの上でもてあますほどの長い足を組みなおし、身を乗り出した。
「だってさ、この頃人探し稼業も依頼人が無くてあがったりだろ?そこへこの話さ。一日他人と代わるだけで儲けが得られるんだぜ」
「そうは言ってもなあ、お前、代わりを務められるものと務められんものがあるじゃないか」
「まさか、あんたに花嫁の役をって依頼は来やしないさ。それに、とりあえず今回だけだ。俺に依頼があったんだ」
「どんな依頼だ」

街中で突然、呼び止められ、手近にあった古びたカフェに引っ張って行かれた。
なんちゅー積極的なナンパ!と思ったが……
華麗なグレイッシュなピンクのチュールレースを幾重にもあしらった帽子の下で、そのレディは泣いていた。

店内は比較的空いており、静かなピアノ音楽が流れていた。
チュールレースの帽子の下で涙を拭くレディの口元は震えていた。口角の少し持ち上がった俺の好きなタイプの唇だ。肩にはふさふさと甘いブラウンの髪が渦巻いている。
年齢の頃は二十五、六……俺より七、八歳は上だろうか。
もちろん、泣かせたのは俺じゃない。彼女の方から身の上話をするうちに感極まってしまったのだ。
彼女の話の内容はこうだ。
彼女の老母が病に侵され今日、明日をも知れぬ命なのだそうだ。
三日後に、最後の望みを賭けた手術が行われることになっているが、生きて手術室から戻って来られるかどうかの重病なのだそうだ。
「まだ意識のあるうちにどうしても、あの子……ヴィンセントの顔を一目でも見せてあげたくて」
つまりヴィンセントというのは、病床にあるたったひとりの彼女の孫で、依頼している女性はヴィンセントの若い叔母だということだ。
カサンドラ・コベリンスキと名乗ったその美女は涙ながらに切々と訴える。
「なのに、あの子、ヴィンセントの入っている高等学校はすごく規則が厳しくてあの子ったら、今、何かやらかしたらしくて謹慎室に入れられっぱなしなのです。会うことは出来ても連れ出すことなんてとても……」
途方に暮れていた矢先、スノウバードの中央を滔々と流れるイリヤ川の岸辺に佇む俺を見かけたんだそうだ。
「ヴィンセント!!」
そう叫んでカサンドラが駆け寄って来るほど、俺はその少年に似ているらしい。
キツネ色の長い巻き毛にアイスブルーの瞳。俺ほどの美貌を誇る男がそうザラにいるとも思えないのだが。
カサンドラが俺を見た瞬間、思いついた策。
謹慎処分にされているヴィンセントと俺を入れ替えて、彼を老母、つまり彼の婆さんの元へ連れていく―――。これしかない!と彼女は思ったんだそうだ。
言うまでもなく俺は美女に弱い。
ふたつ返事で依頼をOKし、相棒のジャレツに打ち明けたって次第だ。
「好きにしろ」
相棒は面倒臭そうにベッドの上で寝返りをうった。
こんな美味しい話を蹴るヤツがどこにいるんだ。一日だけ謹慎室にじっとしてれば千ペセテカも貰えるんだから!!
二日後の夕方―――。
ロクセラーヌ学院の前でカサンドラと一緒に馬車を降りる。

俺は情けなくも女装させられていた。ヴィンセントの妹という設定である。ヴィンセントが謹慎させられている部屋で服装を取替え、入れ替わるという算段だ。
中年男の背の高い男性教師は、ギロリと俺たちを睨み、じゃらじゃらといくつも鍵のぶら下がった束を持って先に立った。これではまるで看守だ。
レンガ造りの校舎の群れのはずれに立つ不気味な高い塔の天辺に、ヴィンセントが謹慎させられている。「ラプンツェル・ラプンツェル」じゃあるまいし、あんまりじゃないか。
ランプをぶら下げた教師は重々しい錠前を開け、俺たちを促した。螺旋状の階段が内部の壁に添ってぐるぐると続いていく。途中、ヤモリが壁を這っていった時、カサンドラが短く叫んで俺にしがみついた。
ようやく部屋へたどり着く。
こんな最上階に入れられるなんて、いったいヴィンセントはどんな悪さをしたんだ、まったく。
教師が扉を開けた時、彼は俺と同じキツネ色の巻き毛の後姿で窓辺に立っていた。
「二十分だけですよ」
教師は念を押すと俺たちを押し込めるようにして外から鍵をかけた。
「ヴィンセント……」
この時、初めてカサンドラはこの日も被っていた黒い帽子を脱ぎ去った。スミレ色の美しい瞳だ。
……他人の空似とは恐ろしいもんだ。
これほど似ているとは思いもしなかった。
アイスブルーの瞳といい、鼻の高さ具合といい、カサンドラに言わせればまばたきの仕方といい、そっくりだった。
ま、キツネ色の髪の方は彼が肩を超える程度でしかないので、俺が切るハメになってしまったが、その他は肩幅や背格好までカンペキだった。
俺は忌々しい化粧を素早く落とし、急いでヴィンセントの着ていたシャツに着替えた。
カサンドラは大急ぎで何も解からぬ甥に、俺の脱いだフリルとレースたっぷりのワインカラーのドレスを着せ化粧をした。
「お祖母さまのお命が危ないのよ。一目お顔を見せてあげてちょうだい」
そのひと言で、彼はすべてを承知したようだった。
毎夜7時に点呼がある。今がちょうどその時だ。
食事は専用の窓口から運び込まれるので給仕係と顔を合わせなくてすむ。
要するに明日の午後7時まで俺はヴィンセントとなってこの部屋でおとなしくしていればいいのだ。軽いもんじゃねーか。
「ばれるよ、カサンドラ。この男に宇宙創世記理論のレポートなんて書けるのか?」
「そんなの無視しなさい」
彼は罰則に勉強をさせられているらしかった。
「どーせ、俺はドのつくバカだよっ!! 」

二十分はあっという間に過ぎた。
教師のノックが無情に響いた。
しかし、その頃にはヴィンセントはお上品なレディに、俺はか弱げな生徒にすっかり入れ替わっていた。
「じゃあ、身体に気をつけてね、ヴィンセント」
カサンドラが俺の頬にキスをし、ハンカチを握り締めて部屋を後にした。俺になりすましたヴィンセントもそれに続く。
そして、扉は閉められた。


場所は俺たちふたりのオフィス兼ねぐらの古びたアパートの一室。
「そ、代理業さ」
俺―――キャスケードは、破けたソファの上でもてあますほどの長い足を組みなおし、身を乗り出した。
「だってさ、この頃人探し稼業も依頼人が無くてあがったりだろ?そこへこの話さ。一日他人と代わるだけで儲けが得られるんだぜ」
「そうは言ってもなあ、お前、代わりを務められるものと務められんものがあるじゃないか」
「まさか、あんたに花嫁の役をって依頼は来やしないさ。それに、とりあえず今回だけだ。俺に依頼があったんだ」
「どんな依頼だ」

街中で突然、呼び止められ、手近にあった古びたカフェに引っ張って行かれた。
なんちゅー積極的なナンパ!と思ったが……
華麗なグレイッシュなピンクのチュールレースを幾重にもあしらった帽子の下で、そのレディは泣いていた。

店内は比較的空いており、静かなピアノ音楽が流れていた。
チュールレースの帽子の下で涙を拭くレディの口元は震えていた。口角の少し持ち上がった俺の好きなタイプの唇だ。肩にはふさふさと甘いブラウンの髪が渦巻いている。
年齢の頃は二十五、六……俺より七、八歳は上だろうか。
もちろん、泣かせたのは俺じゃない。彼女の方から身の上話をするうちに感極まってしまったのだ。
彼女の話の内容はこうだ。
彼女の老母が病に侵され今日、明日をも知れぬ命なのだそうだ。
三日後に、最後の望みを賭けた手術が行われることになっているが、生きて手術室から戻って来られるかどうかの重病なのだそうだ。
「まだ意識のあるうちにどうしても、あの子……ヴィンセントの顔を一目でも見せてあげたくて」
つまりヴィンセントというのは、病床にあるたったひとりの彼女の孫で、依頼している女性はヴィンセントの若い叔母だということだ。
カサンドラ・コベリンスキと名乗ったその美女は涙ながらに切々と訴える。
「なのに、あの子、ヴィンセントの入っている高等学校はすごく規則が厳しくてあの子ったら、今、何かやらかしたらしくて謹慎室に入れられっぱなしなのです。会うことは出来ても連れ出すことなんてとても……」
途方に暮れていた矢先、スノウバードの中央を滔々と流れるイリヤ川の岸辺に佇む俺を見かけたんだそうだ。
「ヴィンセント!!」
そう叫んでカサンドラが駆け寄って来るほど、俺はその少年に似ているらしい。
キツネ色の長い巻き毛にアイスブルーの瞳。俺ほどの美貌を誇る男がそうザラにいるとも思えないのだが。
カサンドラが俺を見た瞬間、思いついた策。
謹慎処分にされているヴィンセントと俺を入れ替えて、彼を老母、つまり彼の婆さんの元へ連れていく―――。これしかない!と彼女は思ったんだそうだ。
言うまでもなく俺は美女に弱い。
ふたつ返事で依頼をOKし、相棒のジャレツに打ち明けたって次第だ。
「好きにしろ」
相棒は面倒臭そうにベッドの上で寝返りをうった。
こんな美味しい話を蹴るヤツがどこにいるんだ。一日だけ謹慎室にじっとしてれば千ペセテカも貰えるんだから!!
二日後の夕方―――。
ロクセラーヌ学院の前でカサンドラと一緒に馬車を降りる。

俺は情けなくも女装させられていた。ヴィンセントの妹という設定である。ヴィンセントが謹慎させられている部屋で服装を取替え、入れ替わるという算段だ。
中年男の背の高い男性教師は、ギロリと俺たちを睨み、じゃらじゃらといくつも鍵のぶら下がった束を持って先に立った。これではまるで看守だ。
レンガ造りの校舎の群れのはずれに立つ不気味な高い塔の天辺に、ヴィンセントが謹慎させられている。「ラプンツェル・ラプンツェル」じゃあるまいし、あんまりじゃないか。
ランプをぶら下げた教師は重々しい錠前を開け、俺たちを促した。螺旋状の階段が内部の壁に添ってぐるぐると続いていく。途中、ヤモリが壁を這っていった時、カサンドラが短く叫んで俺にしがみついた。
ようやく部屋へたどり着く。
こんな最上階に入れられるなんて、いったいヴィンセントはどんな悪さをしたんだ、まったく。
教師が扉を開けた時、彼は俺と同じキツネ色の巻き毛の後姿で窓辺に立っていた。
「二十分だけですよ」
教師は念を押すと俺たちを押し込めるようにして外から鍵をかけた。
「ヴィンセント……」
この時、初めてカサンドラはこの日も被っていた黒い帽子を脱ぎ去った。スミレ色の美しい瞳だ。
……他人の空似とは恐ろしいもんだ。
これほど似ているとは思いもしなかった。
アイスブルーの瞳といい、鼻の高さ具合といい、カサンドラに言わせればまばたきの仕方といい、そっくりだった。
ま、キツネ色の髪の方は彼が肩を超える程度でしかないので、俺が切るハメになってしまったが、その他は肩幅や背格好までカンペキだった。
俺は忌々しい化粧を素早く落とし、急いでヴィンセントの着ていたシャツに着替えた。
カサンドラは大急ぎで何も解からぬ甥に、俺の脱いだフリルとレースたっぷりのワインカラーのドレスを着せ化粧をした。
「お祖母さまのお命が危ないのよ。一目お顔を見せてあげてちょうだい」
そのひと言で、彼はすべてを承知したようだった。
毎夜7時に点呼がある。今がちょうどその時だ。
食事は専用の窓口から運び込まれるので給仕係と顔を合わせなくてすむ。
要するに明日の午後7時まで俺はヴィンセントとなってこの部屋でおとなしくしていればいいのだ。軽いもんじゃねーか。
「ばれるよ、カサンドラ。この男に宇宙創世記理論のレポートなんて書けるのか?」
「そんなの無視しなさい」
彼は罰則に勉強をさせられているらしかった。
「どーせ、俺はドのつくバカだよっ!! 」

二十分はあっという間に過ぎた。
教師のノックが無情に響いた。
しかし、その頃にはヴィンセントはお上品なレディに、俺はか弱げな生徒にすっかり入れ替わっていた。
「じゃあ、身体に気をつけてね、ヴィンセント」
カサンドラが俺の頬にキスをし、ハンカチを握り締めて部屋を後にした。俺になりすましたヴィンセントもそれに続く。
そして、扉は閉められた。

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. 「代理業 一日 体験記 CROSS 番外編」第2回
反省室だけあって、殺風景な部屋だった。
鉄パイプのベッドと、窓辺に机と椅子。後は洗面台と簡易トイレがあるだけだ。小さな窓から薄い月光が射し込んでいる。

机の上にはヴィンセントが取り組んでいた宇宙創生理論とやらの下書きが散乱している。ちょっと目を通してみたが、まるでチンプンカンプンなのでうっちゃっておき、固いベッドに寝転がった。
「丸一日、ここでこうしているだけでいいんだろ」
そっとつぶやいてみる。思ってたより、こりゃ苦痛かも。特に俺の場合。
でも、それが何だというんだ、一日じっとしてりゃ千ペセテカだぞ!
三ヶ月は遊んで暮らせる金額だ。こんなボロい仕事はそうあるもんじゃない。
とりとめもない事を考えながらベッドで寝返りをうっていると、コンコン、と小さく音がした。上方からだ。きょろきょろと見回すと明かり取りの窓から誰かが覗いているではないか。赤毛で丸顔の少年だ。
「よう、ヴィンス、迎えに来てやったぜ」
「誰だ、おま―――」
思わず言いかけて口をつぐんだ。
「レイモンだよ、早く出てきな」少年はじれったそうに言う。「何言ってんだよ、クラスメイトのレイモンじゃねーか。ほら、早く机の上に椅子を乗せて昇ってくるんだ」
俺はわけの解からぬままに言われたとおりにした。
明かり取りの窓は人ひとりがやっと通り抜けられる大きさだった。
レイモンとやらは、ツタのからまる外壁に折りたたみ式ハシゴを立てかけて昇ってきていたのだった。
「さ、俺に続いてゆっくり下りるんだぞ」
年下の少年に導かれるままにひと足ごとに慎重に下ろしていく。ちょっと待てよ、これって脱獄、いや脱出?
「ヤバいんじゃないのかよ?」
「何言ってんだ、毎夜のフルコースじゃないか。それよかヴィンス、お前、風邪でもひいたのか?いつもよりハスキーだぞ」
「あー、そうかもな、あー、あー、」
ヴィンセントでないことをこの赤毛の少年にも気づかれてはならない。俺の心の中で警戒音が響いていた。
それにしても本物のヴィンセントは夜毎こんな少年と脱獄してるんだろうか。
「今夜はどこへ行く?デリカット界隈か、ベリデン辺りか…」
「どこへでも。まかせるぜ」
俺自身、通い慣れた繁華街の名がレイモンの口から次々と出てくる。相当なワルだったりして、このふたり。
少年レイモンにしたって赤毛に青い瞳のノーブルな顔立ちなんだから、こっちの方がビビッちまう。人は見かけによらないもんだ。
白鳳(はくほう)大陸の都、スノウバードの夜はコワいってこと、本当に解かってんのかな、この坊ちゃん。
やっと地面に降り立つとレイモンはそつなく着替えを用意していた。
聖ロクセラーヌ学院の制服のままで繁華街をぶらつくわけにゃいかないもんな。適度にセンスのいいおにいさんに仕上がった。
俺は濃茶のシャツにジーンズ、レイモンはグレーのセーターにジーンズだ。
デリカット街。
スノウバードで一番の歓楽街である。俺たちは街の奥の奥、娼館の並ぶ裏街まで入っていった。
まばゆいばかりのネオンサイン、けばけばしい看板、クソやかましい呼び込みの声。
「『ローズグレイ』でも行ってみるか」

レイモンは慣れた足取りで路地を曲がり、地下への階段を降りていく。俺は馴染みの娼婦と出くわさないかとビクビクしていたが、この店は初めてだった。ホッとする。
「きゃあーあ、ヴィンセント!レイモン!」
黄色い声が飛び交い、店の女の子たちがまとわりついてくる。
どう見ても未成年の俺たちをここまで歓迎する理由はヴィンセントとレイモンの懐(ふところ)の厚さとしか考えられない。まったく金持ちのお坊ちゃまたちのやることといったら……。
でも、ま、女の子たちにまとわりつかれて悪い気はしないよな。
彼女たちの運んでくる神秘的な色のカクテルを飲み干していると早くもいい気持ちになってきた。
「よおし、ゲームをやろう!」
レイモンがコブシを突き上げた。
「ヴィンスは目をつむれ。この姐さんたちの誰かの胸元にこれを挟みこむからさ」
と言って十ペセテカ札を一枚取り出した。
「誰の胸にこれがあるか探し出すんだ。姐さんたち、後ろを向いて」
(なんだ、このレイモンてやつ、親父かよ?)
俺はそう思ったが、ここで断ってはヴィンセントでないことがバレるかもしれない。
「後ろから手探りで探すんだぞ」
レイモンがニヤニヤしながら言った。
俺の表情も知らず知らずたるんでいたに違いない。
手前に立った真紅のドレスの女が背中を見せていた。俺は肩越しに女の胸に指を這わせた。
はずれ!
今度は背中を腰まで丸出しにしたパープルのドレスの女の背後から手を伸ばす。

はちきれんばかりの乳房の間に一枚の紙切れ。手ごたえあり!
と、思ってそれを見ると……それは札ではなかった。
白い紙に血文字で「今夜、貴様の命をもらう」
俺は身体中の血がざわめくのをおぼえた。
レイモンが手元を覗きにきて仰天した。
「なんだ、これ!俺はちゃんと札を入れたぞ」
「おい女!」
パープルドレスの女は肩をすくめた。
「レイモン、なんだ、これは。俺は誰かから怨まれているのか?」
レイモンはしばらく腕組みをして考えてから、
「レーゼアのことじゃないのか?」
「レーゼア……って」
「モアントロボスの女じゃないか。もう忘れちまったのか?先週、モノにしたって自慢げに話していたクセに」
(聞いてね―――よ―――!!)
絶叫したいのを必死でこらえた。
この界隈の大ボス、モアントロの名は知っていたが、まさかヤツの女にちょっかい出すとは、ヴィンセントってなんて奴だ。

残忍で執念深いらしいモアントロに狙われてみろ、明日の7時までに塔の反省室に戻るどころか、どてっ腹に風穴ぶち開けられて海に放り込まれるのが関の山だ。
こんなところで呑気に女遊びやってる場合じゃねえ。
「おい、レイモン、俺は帰るぜ」
出口に歩き出そうとしたとたん、首根っこを捕まえられた。
「く、苦し……」
背後でレイモンの情けない悲鳴と走り去る足音が聞こえた。

鉄パイプのベッドと、窓辺に机と椅子。後は洗面台と簡易トイレがあるだけだ。小さな窓から薄い月光が射し込んでいる。

机の上にはヴィンセントが取り組んでいた宇宙創生理論とやらの下書きが散乱している。ちょっと目を通してみたが、まるでチンプンカンプンなのでうっちゃっておき、固いベッドに寝転がった。
「丸一日、ここでこうしているだけでいいんだろ」
そっとつぶやいてみる。思ってたより、こりゃ苦痛かも。特に俺の場合。
でも、それが何だというんだ、一日じっとしてりゃ千ペセテカだぞ!
三ヶ月は遊んで暮らせる金額だ。こんなボロい仕事はそうあるもんじゃない。
とりとめもない事を考えながらベッドで寝返りをうっていると、コンコン、と小さく音がした。上方からだ。きょろきょろと見回すと明かり取りの窓から誰かが覗いているではないか。赤毛で丸顔の少年だ。
「よう、ヴィンス、迎えに来てやったぜ」
「誰だ、おま―――」
思わず言いかけて口をつぐんだ。
「レイモンだよ、早く出てきな」少年はじれったそうに言う。「何言ってんだよ、クラスメイトのレイモンじゃねーか。ほら、早く机の上に椅子を乗せて昇ってくるんだ」
俺はわけの解からぬままに言われたとおりにした。
明かり取りの窓は人ひとりがやっと通り抜けられる大きさだった。
レイモンとやらは、ツタのからまる外壁に折りたたみ式ハシゴを立てかけて昇ってきていたのだった。
「さ、俺に続いてゆっくり下りるんだぞ」
年下の少年に導かれるままにひと足ごとに慎重に下ろしていく。ちょっと待てよ、これって脱獄、いや脱出?
「ヤバいんじゃないのかよ?」
「何言ってんだ、毎夜のフルコースじゃないか。それよかヴィンス、お前、風邪でもひいたのか?いつもよりハスキーだぞ」
「あー、そうかもな、あー、あー、」
ヴィンセントでないことをこの赤毛の少年にも気づかれてはならない。俺の心の中で警戒音が響いていた。
それにしても本物のヴィンセントは夜毎こんな少年と脱獄してるんだろうか。
「今夜はどこへ行く?デリカット界隈か、ベリデン辺りか…」
「どこへでも。まかせるぜ」
俺自身、通い慣れた繁華街の名がレイモンの口から次々と出てくる。相当なワルだったりして、このふたり。
少年レイモンにしたって赤毛に青い瞳のノーブルな顔立ちなんだから、こっちの方がビビッちまう。人は見かけによらないもんだ。
白鳳(はくほう)大陸の都、スノウバードの夜はコワいってこと、本当に解かってんのかな、この坊ちゃん。
やっと地面に降り立つとレイモンはそつなく着替えを用意していた。
聖ロクセラーヌ学院の制服のままで繁華街をぶらつくわけにゃいかないもんな。適度にセンスのいいおにいさんに仕上がった。
俺は濃茶のシャツにジーンズ、レイモンはグレーのセーターにジーンズだ。
デリカット街。
スノウバードで一番の歓楽街である。俺たちは街の奥の奥、娼館の並ぶ裏街まで入っていった。
まばゆいばかりのネオンサイン、けばけばしい看板、クソやかましい呼び込みの声。
「『ローズグレイ』でも行ってみるか」

レイモンは慣れた足取りで路地を曲がり、地下への階段を降りていく。俺は馴染みの娼婦と出くわさないかとビクビクしていたが、この店は初めてだった。ホッとする。
「きゃあーあ、ヴィンセント!レイモン!」
黄色い声が飛び交い、店の女の子たちがまとわりついてくる。
どう見ても未成年の俺たちをここまで歓迎する理由はヴィンセントとレイモンの懐(ふところ)の厚さとしか考えられない。まったく金持ちのお坊ちゃまたちのやることといったら……。
でも、ま、女の子たちにまとわりつかれて悪い気はしないよな。
彼女たちの運んでくる神秘的な色のカクテルを飲み干していると早くもいい気持ちになってきた。
「よおし、ゲームをやろう!」
レイモンがコブシを突き上げた。
「ヴィンスは目をつむれ。この姐さんたちの誰かの胸元にこれを挟みこむからさ」
と言って十ペセテカ札を一枚取り出した。
「誰の胸にこれがあるか探し出すんだ。姐さんたち、後ろを向いて」
(なんだ、このレイモンてやつ、親父かよ?)
俺はそう思ったが、ここで断ってはヴィンセントでないことがバレるかもしれない。
「後ろから手探りで探すんだぞ」
レイモンがニヤニヤしながら言った。
俺の表情も知らず知らずたるんでいたに違いない。
手前に立った真紅のドレスの女が背中を見せていた。俺は肩越しに女の胸に指を這わせた。
はずれ!
今度は背中を腰まで丸出しにしたパープルのドレスの女の背後から手を伸ばす。

はちきれんばかりの乳房の間に一枚の紙切れ。手ごたえあり!
と、思ってそれを見ると……それは札ではなかった。
白い紙に血文字で「今夜、貴様の命をもらう」
俺は身体中の血がざわめくのをおぼえた。
レイモンが手元を覗きにきて仰天した。
「なんだ、これ!俺はちゃんと札を入れたぞ」
「おい女!」
パープルドレスの女は肩をすくめた。
「レイモン、なんだ、これは。俺は誰かから怨まれているのか?」
レイモンはしばらく腕組みをして考えてから、
「レーゼアのことじゃないのか?」
「レーゼア……って」
「モアントロボスの女じゃないか。もう忘れちまったのか?先週、モノにしたって自慢げに話していたクセに」
(聞いてね―――よ―――!!)
絶叫したいのを必死でこらえた。
この界隈の大ボス、モアントロの名は知っていたが、まさかヤツの女にちょっかい出すとは、ヴィンセントってなんて奴だ。

残忍で執念深いらしいモアントロに狙われてみろ、明日の7時までに塔の反省室に戻るどころか、どてっ腹に風穴ぶち開けられて海に放り込まれるのが関の山だ。
こんなところで呑気に女遊びやってる場合じゃねえ。
「おい、レイモン、俺は帰るぜ」
出口に歩き出そうとしたとたん、首根っこを捕まえられた。
「く、苦し……」
背後でレイモンの情けない悲鳴と走り去る足音が聞こえた。

. 「代理業一日体験記 CROSS 番外編」第4回
それからどれだけマシンを走らせたのか―――。
やがて二台のマシンは大きな一軒の瀟洒な屋敷の前で止まった。
ゴミ捨て場のような街、スノウバードに似合わぬ建物だ。建物だけでなく、庭にはあらゆる美しい花を咲かせて艶然と微笑んでいるような植物が繁茂している。
堅固な鉄の門の脇に「コベリンスキ」と古びた金属のプレートが張りついている。

「おうい!」
鉄の門の外からジャレツが叫ぶと、白髪眉毛で眼を判別できない痩せた老人が腰を曲げてよぼよぼと門番小屋から出てきた。
「ど、どちら様で…」
「人探し稼業のジャレツってんだ。ここの女主人に会いたい」
老人は俺たち3人の姿身なりを頭の天辺から擦り切れたブーツの先まで顔を上下して観察した。
「お前たちのような得体の知れん者をこのお屋敷に入れることはならん」
「いいからゴタゴタ言わずに女主人に取り次げ」
「いんや、お前たちみたいなゴロツキを、奥様は一番お嫌いなさる」
「ガンコなジジイだな」
ジャレツは舌打ちした。
※
その時、数十メートルも向こうの屋敷の重厚な黒い扉が開き、走り出てきた人影がある。
襟首の詰まったグレーのドレスの裾を両手でつまんだ老婦人だった。
背筋はしゃん、と伸び、高貴そうな顔立ちだ。紫(アメジスト)の瞳がまだまだ美しい。
庭に咲く花々からしたたる水滴がちょうど朝陽を浴びた。
「ああ、腹、減ったあァ」
俺はよたよたとマシンから降りた。
※
アールグレイの優しい湯気が頬をなぶって天井へ登っていく。
俺とジャレツとレーゼアの3人は老婦人を前にして、清潔な純白のテーブルクロスの卓で軽い朝食をご馳走になっていた。
コベリンスキ家の食堂は、マントルピースにオレンジ色の炎が爆ぜ、壁には静物画やセピア色の写真がところ狭しと飾られている。
これぞ貴族のお決まりインテリア風景だ。
老婦人は何も食べず紅茶のカップだけをカチャリと皿に戻すと、ジャレツに眼を据えた。が、口を開いたのはジャレツの方だった。
「明日をも知れぬ病のはずのあんたが、どうしてここにいる?」
「ですから、どこからそんな話が湧いて出たのですか?あなた方はいったい誰なのです?そのヴィンセントという少年も……」
「そりゃ、こっちが聞きたいぜっ!」
俺はベーコンを頬張りながらがなりたてた。
地味に白髪混じりの髪を後ろで束ねた老婦人が肩をすくめる。
「先ほどから、私は十年前にひとり息子夫妻を事故で亡くして以来、ひとりだと申し上げているでしょう!一向にお話が前に進みませんわねえ」
彼女は大きなため息をついて立ち上がり、テラスの方へ行ってしまった。
※
テーブルの上に飾られている見事な真紅のバラ越しに、レーゼアがジャレツに熱い視線を送っていることに気づいた。ライダースーツの深く開いた胸元からグラマラスな褐色の肌が見える。

「何年ぶりかしらね、ジャレツ。逢いたかったわ」
テーブルの上を銃を握り慣れた手が伸びてくる。
対してジャレツは素っ気なく(ふうん、そうかね)といった風にチラリと女の眉間のトカゲに一瞥をくれただけで手を引っ込めてしまった。
そして俺の方へ向き直った。
「キャス、だから言ったろう。代理業一日でボロもうけなんか無理な話だからよせって」
「えっ、あんた、好きにしろって言ったじゃねーかよ」
唇を尖らせてやる。確かにジャレツは同意したぞ。いや同意というまでもなかったかもしれないが、許したぞ!
「状況が変わったんだよ。この人に礼を言いなと言っただろう、キャス。彼女がお前の命が危ないことを知らせてくれたんだぞ」
「いったいこの女性(ひと)は……!?」
「竜蛇(りゅうだ)の軍隊時代の同僚だった」
「ジャレツには何度も危ないところを助けてもらったわ」
胸に垂れてきた真っ直ぐな黒髪を、肩の向こうへ投げながらレーゼアは遠い眼をした。
「おあいこ、今度もだ。ヘリまで来させるようでは、皇帝は相当焦ってるな」
「あなたが竜蛇を出奔して以来、ずっとご機嫌が悪いのよ、あの坊ちゃん」
「で、この件だが何が疑わしいと思う?」
「あの婆さんよ」
レーゼアがテラスに消えた老婦人をアゴで指し示した。
「やっぱりお前さんも、そう思うか」
おいおいおい、何をふたりで俺にわけの解かんねえことをしゃべってるんだよ。婆さんが元気だろうが、死にかけだろうが、俺はとにかく今夜7時までに、あのカビ臭い塔の部屋へ戻らなくちゃならねえんだよ!
じたばたしてる間に時間は昼を過ぎてるじゃねーか。
その刹那、またもや鈍い震動が床から伝わってきて、テーブルを揺らし、食器をカチャカチャと鳴らせた。
俺たち3人はどんよりと曇った空の下へ出た。
驚いた。
山肌から山土を掘り進めながら現れたのは、なんとも奇怪な装甲車ではないか。大量に人間を殺戮する怪物であることは、一目瞭然だ。
レーゼアがもう一度バズーカを構えようとするのへ、
「ムダだ。ティラノザウルスが蚊に咬まれたくらいのダメージしか与えられんぞ」
ジャレツが片手で制する。装甲車から数十人の竜蛇(りゅうだ)兵が素早い身のこなしで降りてくるや、俺たちの周りを取り囲んだ。
魂消たことに、さっきはよぼよぼだった門番の爺さんが腰を真っ直ぐにし、装甲車の前に進み出て敬礼姿勢をとった。
装甲車はコベリンスキ家の前でピタリと止まり、それを待っていたように老婦人がしずしずと出てきた。
そして、顔面の薄いヴェールを剥いだのだ。
「ああっあんた、カサンドラ……!」
俺は思わず叫んだ。灰色頭のカツラも脱いだ後からは、彼女の美しいブラウンの巻き毛がバサリと広がる。アゴがはずれそうだった。
「久しぶりね、ネリダ」レーゼアが叫んだ。「カサンドラだなんて、また、高貴な名前を名乗っているじゃないの」
カサンドラのスミレ色の瞳がキッとレーゼアを捉える。先日の優しいスミレ色とは信じられないくらい恐ろしい視線だ。

「あの方、直々のご命令さ」言葉つきまで違う。「あんたみたいにふらふらと男の尻追っかけてるのとわけが違うのさ」
「ふん、あの方の寵愛を得られないからってジャレツを逆恨みして白鳳(はくほう)までやってくるよりはマシさ」
レーゼアだって負けてはいない。
「カ、カサンドラ、だよな」俺は勇気を振り絞って一歩前に出た。「こりゃいったいどうなってるんだ?あんたの母親は病気で死にかけててヴィンセントを会わせるんじゃなかったのか?」
「あんなでっち上げ信じるなんてガキもいいとこだねえ」
「なっ…それじゃ、千ペセテカは!?」
「若い頃から金に執着しているとロクなことは無いよ」
「騙したなっ!」
「そうだよ、あんたなんか初めからメじゃない。総てはこの漢(おとこ)をおびき出すためのエサでしかないのさ、おにいさん、あんたなんて」
カサンドラ―――いや、ネリダの視線の先にジャレツが立っている。
「クソオッ!」
思う間もなくネリダは俺の後ろへ跳び寄り、背後から羽交い絞めにしてこめかみにレーザー銃を当てた。
「ジャレツ、装甲車にお乗り。抵抗するとこいつの命は無いよ」
「チッ」
ジャレツはおとなしく装甲車に向けて歩いていった。
「ほほほ。本当だね、大量の女たちも何も要らない。このガキさえ捕まえればお前は思いの通りなんだね、ジャレツ」
※
つと、ジャレツの足が装甲車のタラップの前で止まる。
「どうしたのさ、さっさとお乗り」
虚を突かれたネリダは苛々と言った。
ジャレツは振り返り、ネリダを鋭い眼で見てから地面にツバを吐いた。
「イヤなこった、反吐(へど)が出る」

「なに……?」
「この化け物メカ自体、皇帝の汚れた血の臭いがする」
「陛下を侮辱するかっ!?あれほどの寵愛を受けながら」
ネリダの美しい歯が怒りにギリギリと軋んだ。
「これが見えないか!!」
俺のこめかみにネリダのレーザー銃の銃口がさらに食い込んできた。
「ジャ…ジャレツゥゥゥ……」
俺の涙声はしかし、猛烈な速さで突っ込んできた黒いつむじ風に途切れた。レーザー銃は空高く蹴り飛ばされ、俺はいつのまにかジャレツの背中に隠されていた。
「形勢逆転というわけだな」
さすがジャレツ!女なんかに俺を人質にされたって屈服するわけないもんな!
「くっ…」
手首を押さえていたネリダは、急にハッとスミレ色の眼を見開き、その場にひざまずいた。兵士たちも一斉にザッと膝を折る。
俺とジャレツの背後、装甲車への入り口が静かに開いたのだ。
タラップを降りてきたのは―――ヴィンセントだった!!
「久しいのう、ジャレツ」
唇に冷ややかな笑みが浮かんでいる。
ヴィンセントと異なるのは表情だけではなく両眼の瞳孔が黄金の三日月型であることだ。
「その声は……リシュダイン」

リシュダイン……確か竜蛇(りゅうだ)皇帝の名だ。時輪(じりん)皇帝リシュダイン。
歳をとり、命尽きそうになっても老いた身体の殻を破り新しい生命を得て生き続けるという不死の皇帝―――。
俺には想像もつかねえ。おっかねえ。
「罪も無い少年にとり憑いてまで俺を執拗に追うな」
全身に拒絶の悪寒をにじませてジャレツは唸った。
「ふっふっふ……」
いったい何千歳か何万歳か判らない少年が低く笑い声をもらす。
「そうやって拒まれれば拒まれるほど余の心はお前を求めてやまぬ……」
「迷惑千万だ」
「今回も余の負けのようじゃな、無念ながら」
沈黙が落ちた。
「だが、あきらめぬぞ。いつか又、お前と血の色の酒で乾杯しよう」
少年皇帝は潔くマントをひるがえし、タラップを昇ると装甲車に吸い込まれた。
兵士たちもバラバラと乗り込み、ネリダも憎しみの視線を曳きながら後に続いた。大騒音をたてて元来た山肌のぽっかり空いた穴を戻っていく。

やがて二台のマシンは大きな一軒の瀟洒な屋敷の前で止まった。
ゴミ捨て場のような街、スノウバードに似合わぬ建物だ。建物だけでなく、庭にはあらゆる美しい花を咲かせて艶然と微笑んでいるような植物が繁茂している。
堅固な鉄の門の脇に「コベリンスキ」と古びた金属のプレートが張りついている。

「おうい!」
鉄の門の外からジャレツが叫ぶと、白髪眉毛で眼を判別できない痩せた老人が腰を曲げてよぼよぼと門番小屋から出てきた。
「ど、どちら様で…」
「人探し稼業のジャレツってんだ。ここの女主人に会いたい」
老人は俺たち3人の姿身なりを頭の天辺から擦り切れたブーツの先まで顔を上下して観察した。
「お前たちのような得体の知れん者をこのお屋敷に入れることはならん」
「いいからゴタゴタ言わずに女主人に取り次げ」
「いんや、お前たちみたいなゴロツキを、奥様は一番お嫌いなさる」
「ガンコなジジイだな」
ジャレツは舌打ちした。
※
その時、数十メートルも向こうの屋敷の重厚な黒い扉が開き、走り出てきた人影がある。
襟首の詰まったグレーのドレスの裾を両手でつまんだ老婦人だった。
背筋はしゃん、と伸び、高貴そうな顔立ちだ。紫(アメジスト)の瞳がまだまだ美しい。
庭に咲く花々からしたたる水滴がちょうど朝陽を浴びた。
「ああ、腹、減ったあァ」
俺はよたよたとマシンから降りた。
※
アールグレイの優しい湯気が頬をなぶって天井へ登っていく。
俺とジャレツとレーゼアの3人は老婦人を前にして、清潔な純白のテーブルクロスの卓で軽い朝食をご馳走になっていた。
コベリンスキ家の食堂は、マントルピースにオレンジ色の炎が爆ぜ、壁には静物画やセピア色の写真がところ狭しと飾られている。
これぞ貴族のお決まりインテリア風景だ。
老婦人は何も食べず紅茶のカップだけをカチャリと皿に戻すと、ジャレツに眼を据えた。が、口を開いたのはジャレツの方だった。
「明日をも知れぬ病のはずのあんたが、どうしてここにいる?」
「ですから、どこからそんな話が湧いて出たのですか?あなた方はいったい誰なのです?そのヴィンセントという少年も……」
「そりゃ、こっちが聞きたいぜっ!」
俺はベーコンを頬張りながらがなりたてた。
地味に白髪混じりの髪を後ろで束ねた老婦人が肩をすくめる。
「先ほどから、私は十年前にひとり息子夫妻を事故で亡くして以来、ひとりだと申し上げているでしょう!一向にお話が前に進みませんわねえ」
彼女は大きなため息をついて立ち上がり、テラスの方へ行ってしまった。
※
テーブルの上に飾られている見事な真紅のバラ越しに、レーゼアがジャレツに熱い視線を送っていることに気づいた。ライダースーツの深く開いた胸元からグラマラスな褐色の肌が見える。

「何年ぶりかしらね、ジャレツ。逢いたかったわ」
テーブルの上を銃を握り慣れた手が伸びてくる。
対してジャレツは素っ気なく(ふうん、そうかね)といった風にチラリと女の眉間のトカゲに一瞥をくれただけで手を引っ込めてしまった。
そして俺の方へ向き直った。
「キャス、だから言ったろう。代理業一日でボロもうけなんか無理な話だからよせって」
「えっ、あんた、好きにしろって言ったじゃねーかよ」
唇を尖らせてやる。確かにジャレツは同意したぞ。いや同意というまでもなかったかもしれないが、許したぞ!
「状況が変わったんだよ。この人に礼を言いなと言っただろう、キャス。彼女がお前の命が危ないことを知らせてくれたんだぞ」
「いったいこの女性(ひと)は……!?」
「竜蛇(りゅうだ)の軍隊時代の同僚だった」
「ジャレツには何度も危ないところを助けてもらったわ」
胸に垂れてきた真っ直ぐな黒髪を、肩の向こうへ投げながらレーゼアは遠い眼をした。
「おあいこ、今度もだ。ヘリまで来させるようでは、皇帝は相当焦ってるな」
「あなたが竜蛇を出奔して以来、ずっとご機嫌が悪いのよ、あの坊ちゃん」
「で、この件だが何が疑わしいと思う?」
「あの婆さんよ」
レーゼアがテラスに消えた老婦人をアゴで指し示した。
「やっぱりお前さんも、そう思うか」
おいおいおい、何をふたりで俺にわけの解かんねえことをしゃべってるんだよ。婆さんが元気だろうが、死にかけだろうが、俺はとにかく今夜7時までに、あのカビ臭い塔の部屋へ戻らなくちゃならねえんだよ!
じたばたしてる間に時間は昼を過ぎてるじゃねーか。
その刹那、またもや鈍い震動が床から伝わってきて、テーブルを揺らし、食器をカチャカチャと鳴らせた。
俺たち3人はどんよりと曇った空の下へ出た。
驚いた。
山肌から山土を掘り進めながら現れたのは、なんとも奇怪な装甲車ではないか。大量に人間を殺戮する怪物であることは、一目瞭然だ。
レーゼアがもう一度バズーカを構えようとするのへ、
「ムダだ。ティラノザウルスが蚊に咬まれたくらいのダメージしか与えられんぞ」
ジャレツが片手で制する。装甲車から数十人の竜蛇(りゅうだ)兵が素早い身のこなしで降りてくるや、俺たちの周りを取り囲んだ。
魂消たことに、さっきはよぼよぼだった門番の爺さんが腰を真っ直ぐにし、装甲車の前に進み出て敬礼姿勢をとった。
装甲車はコベリンスキ家の前でピタリと止まり、それを待っていたように老婦人がしずしずと出てきた。
そして、顔面の薄いヴェールを剥いだのだ。
「ああっあんた、カサンドラ……!」
俺は思わず叫んだ。灰色頭のカツラも脱いだ後からは、彼女の美しいブラウンの巻き毛がバサリと広がる。アゴがはずれそうだった。
「久しぶりね、ネリダ」レーゼアが叫んだ。「カサンドラだなんて、また、高貴な名前を名乗っているじゃないの」
カサンドラのスミレ色の瞳がキッとレーゼアを捉える。先日の優しいスミレ色とは信じられないくらい恐ろしい視線だ。

「あの方、直々のご命令さ」言葉つきまで違う。「あんたみたいにふらふらと男の尻追っかけてるのとわけが違うのさ」
「ふん、あの方の寵愛を得られないからってジャレツを逆恨みして白鳳(はくほう)までやってくるよりはマシさ」
レーゼアだって負けてはいない。
「カ、カサンドラ、だよな」俺は勇気を振り絞って一歩前に出た。「こりゃいったいどうなってるんだ?あんたの母親は病気で死にかけててヴィンセントを会わせるんじゃなかったのか?」
「あんなでっち上げ信じるなんてガキもいいとこだねえ」
「なっ…それじゃ、千ペセテカは!?」
「若い頃から金に執着しているとロクなことは無いよ」
「騙したなっ!」
「そうだよ、あんたなんか初めからメじゃない。総てはこの漢(おとこ)をおびき出すためのエサでしかないのさ、おにいさん、あんたなんて」
カサンドラ―――いや、ネリダの視線の先にジャレツが立っている。
「クソオッ!」
思う間もなくネリダは俺の後ろへ跳び寄り、背後から羽交い絞めにしてこめかみにレーザー銃を当てた。
「ジャレツ、装甲車にお乗り。抵抗するとこいつの命は無いよ」
「チッ」
ジャレツはおとなしく装甲車に向けて歩いていった。
「ほほほ。本当だね、大量の女たちも何も要らない。このガキさえ捕まえればお前は思いの通りなんだね、ジャレツ」
※
つと、ジャレツの足が装甲車のタラップの前で止まる。
「どうしたのさ、さっさとお乗り」
虚を突かれたネリダは苛々と言った。
ジャレツは振り返り、ネリダを鋭い眼で見てから地面にツバを吐いた。
「イヤなこった、反吐(へど)が出る」

「なに……?」
「この化け物メカ自体、皇帝の汚れた血の臭いがする」
「陛下を侮辱するかっ!?あれほどの寵愛を受けながら」
ネリダの美しい歯が怒りにギリギリと軋んだ。
「これが見えないか!!」
俺のこめかみにネリダのレーザー銃の銃口がさらに食い込んできた。
「ジャ…ジャレツゥゥゥ……」
俺の涙声はしかし、猛烈な速さで突っ込んできた黒いつむじ風に途切れた。レーザー銃は空高く蹴り飛ばされ、俺はいつのまにかジャレツの背中に隠されていた。
「形勢逆転というわけだな」
さすがジャレツ!女なんかに俺を人質にされたって屈服するわけないもんな!
「くっ…」
手首を押さえていたネリダは、急にハッとスミレ色の眼を見開き、その場にひざまずいた。兵士たちも一斉にザッと膝を折る。
俺とジャレツの背後、装甲車への入り口が静かに開いたのだ。
タラップを降りてきたのは―――ヴィンセントだった!!
「久しいのう、ジャレツ」
唇に冷ややかな笑みが浮かんでいる。
ヴィンセントと異なるのは表情だけではなく両眼の瞳孔が黄金の三日月型であることだ。
「その声は……リシュダイン」

リシュダイン……確か竜蛇(りゅうだ)皇帝の名だ。時輪(じりん)皇帝リシュダイン。
歳をとり、命尽きそうになっても老いた身体の殻を破り新しい生命を得て生き続けるという不死の皇帝―――。
俺には想像もつかねえ。おっかねえ。
「罪も無い少年にとり憑いてまで俺を執拗に追うな」
全身に拒絶の悪寒をにじませてジャレツは唸った。
「ふっふっふ……」
いったい何千歳か何万歳か判らない少年が低く笑い声をもらす。
「そうやって拒まれれば拒まれるほど余の心はお前を求めてやまぬ……」
「迷惑千万だ」
「今回も余の負けのようじゃな、無念ながら」
沈黙が落ちた。
「だが、あきらめぬぞ。いつか又、お前と血の色の酒で乾杯しよう」
少年皇帝は潔くマントをひるがえし、タラップを昇ると装甲車に吸い込まれた。
兵士たちもバラバラと乗り込み、ネリダも憎しみの視線を曳きながら後に続いた。大騒音をたてて元来た山肌のぽっかり空いた穴を戻っていく。

. 「代理業一日体験記 CROSS 番外編」第6回(最終回)
俺、ジャレツ、レーゼアは、呆然と見送った。
「可愛そうな女…」
風にちぎれそうになりながらレーゼアの声が響いた。「ジャレツ、あなたばかりがあの方の寵愛を集めてしまったために嫉妬の権化に成り果ててしまったんだわ」
「俺にはどうしようもない」
「……」
レーゼアは何か言おうとして、唇をかみ締めた。
ジャレツが竜蛇(りゅうだ)軍を出奔した経緯は軍の中では有名なウワサだったので知っている。
愛する妻が皇帝の遣わした監視役だと知ったジャレツが激怒し、彼女を殺してしまったからだ。
俺もそれはジャレツの口から聞いたことはないが、口さがない人間たちのウワサから充分、承知している。
だがこれはジャレツの前では決して口にしてなならねえ禁忌なんだ。最高の相棒と世間で認められている俺でさえ。

※
スノウバードの喧騒の中に戻ると、いつもどおりの不健康なネオンの群れだ。
ジャレツとレーゼアと別れ、
(あのふたりがどこへ消えたって俺の出る幕じゃねえ。どーせどこか安ホテルへでもシケこんだんだろう)
まだアパートへは戻る気になれず宵の街をぶらついていると、ポンと肩を叩かれた。
赤毛の少年レイモンだった。
「おい、お前、ヴィンセントの替え玉だったんだって?」
「えっ?」
「本物のヴィンセントが呼んでるぞ。学院まで来てくれって」
「何だと?」
やはり気になってレイモンに連れられるかたちで聖ロクセラーヌ学院へ向かう。
すっかり闇に包まれた学院の門前でひとりの少年が待っていた。
俺と同じ顔。さっき、山の中で別れたばかりの皇帝の顔だ。
だが、その表情はリシュダインとはまったく別のどこにでもいる学生の顔だった。皇帝に造られた顔なのかどうか解からねえが。
「これ……」
少年は制服のこげ茶のリボンをいじりながら、千ペセテカの札束を上着のポケットからそっと取り出し、渡した。

「えっ、これってまだ有効だったのかよ」
「とにかく受け取れ」
何か気がかりだったがくれるってものを断る必要は無いだろう。
元々の約束だったんだからな。
「じゃ、遠慮なく……へっへ、毎度ありぃ!」
札束をジャグリングのようにもてあそびながら、
「謹慎は解けたのかよ?」
「あんたにゃ関係ないだろ」
俺は、それもそうだ、とあごをそらせてから学院を後にした。
ヴィンセントは何者だったのか?
リシュダインに憑依されていただけだったのか?
レイモンはすべて知っていたのか?
元々、聖ロクセラーヌ学院とはどういうところだったのか?
すべては、立ち込めてきた黒い霧の中で起こった夢の中の出来事だ。
俺はアパートへ向かって歩き出した。
背後の少年、ヴィンセントの瞳がリシュダインの三日月型の瞳孔に変貌することも知らずに……。

完

「可愛そうな女…」
風にちぎれそうになりながらレーゼアの声が響いた。「ジャレツ、あなたばかりがあの方の寵愛を集めてしまったために嫉妬の権化に成り果ててしまったんだわ」
「俺にはどうしようもない」
「……」
レーゼアは何か言おうとして、唇をかみ締めた。
ジャレツが竜蛇(りゅうだ)軍を出奔した経緯は軍の中では有名なウワサだったので知っている。
愛する妻が皇帝の遣わした監視役だと知ったジャレツが激怒し、彼女を殺してしまったからだ。
俺もそれはジャレツの口から聞いたことはないが、口さがない人間たちのウワサから充分、承知している。
だがこれはジャレツの前では決して口にしてなならねえ禁忌なんだ。最高の相棒と世間で認められている俺でさえ。

※
スノウバードの喧騒の中に戻ると、いつもどおりの不健康なネオンの群れだ。
ジャレツとレーゼアと別れ、
(あのふたりがどこへ消えたって俺の出る幕じゃねえ。どーせどこか安ホテルへでもシケこんだんだろう)
まだアパートへは戻る気になれず宵の街をぶらついていると、ポンと肩を叩かれた。
赤毛の少年レイモンだった。
「おい、お前、ヴィンセントの替え玉だったんだって?」
「えっ?」
「本物のヴィンセントが呼んでるぞ。学院まで来てくれって」
「何だと?」
やはり気になってレイモンに連れられるかたちで聖ロクセラーヌ学院へ向かう。
すっかり闇に包まれた学院の門前でひとりの少年が待っていた。
俺と同じ顔。さっき、山の中で別れたばかりの皇帝の顔だ。
だが、その表情はリシュダインとはまったく別のどこにでもいる学生の顔だった。皇帝に造られた顔なのかどうか解からねえが。
「これ……」
少年は制服のこげ茶のリボンをいじりながら、千ペセテカの札束を上着のポケットからそっと取り出し、渡した。

「えっ、これってまだ有効だったのかよ」
「とにかく受け取れ」
何か気がかりだったがくれるってものを断る必要は無いだろう。
元々の約束だったんだからな。
「じゃ、遠慮なく……へっへ、毎度ありぃ!」
札束をジャグリングのようにもてあそびながら、
「謹慎は解けたのかよ?」
「あんたにゃ関係ないだろ」
俺は、それもそうだ、とあごをそらせてから学院を後にした。
ヴィンセントは何者だったのか?
リシュダインに憑依されていただけだったのか?
レイモンはすべて知っていたのか?
元々、聖ロクセラーヌ学院とはどういうところだったのか?
すべては、立ち込めてきた黒い霧の中で起こった夢の中の出来事だ。
俺はアパートへ向かって歩き出した。
背後の少年、ヴィンセントの瞳がリシュダインの三日月型の瞳孔に変貌することも知らずに……。

完
