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浪漫@kaido kanata

. 「血を喰らう鬼に魂をささげてしまった女は 深き森を彷徨う」第一回

 「血を喰らう鬼に魂を捧げてしまった女は 深き森を彷徨う」


    イメージキャスト

 北原柊也―――――― 三浦春馬

 緋紗子  ――――― 沢尻エリカ

 御蔵慶悟 ――――― 岡田将生

 サナエ  ――――― 石原さとみ

 東郷大作 ――――― 豊川悦司

 真鍋 充 ――――― 金城 武

 


               序章


 新しいページが開かれた。
 インク壷から、濡れ羽色のインクを含んだペン先が抜かれ、紙面を走り始める。
 セピア色の室内。壁紙は、古風な唐草模様。
 インクの香りは、いつものように、青年の鼻孔をくすぐり、陶酔させ、ペンを走らせる手元も軽やかになっていく。



     第 一 章 



 ガラス窓に恐ろしい勢いで 叩きつけてくる 大粒の雨に、慶悟は 読んでいた洋書から目を上げた。
 窓の外は、紫色の闇。真夜中の闇だ。庭木の大木は 強風にしなり、轟々と唸りを上げている。
 机上の洋燈の灯りが、隙間風のためか少し揺らいだ。

アート嵐

 グラスに注がれたブランデーまで 揺らいだように見えた。
 古い洋書に没頭していた慶悟は、扉のノックを聞いた。
 年ふりた白ヒゲの爺やが入ってきた。
「若様、小早川先生のお嬢様が お見えです」
「こんな時間に、こんな嵐の中をか」
 間もなく、爺やの側をすり抜けて、花束のような カタマリが全身濡れそぼった冷たいものが、慶悟の胸に飛び込んできた。
「緋紗子さん……」
 うら若い女は、慶悟の胸に身体を預けたまま、震えて荒い息を繰り返している。
 長い黒髪は、びしょ濡れになって背中にまとわりついている。
「すみません、しばらく、ここで……」
 慶悟は爺やにタオルを持ってくるように 言い、少女を支えて深々としたゴブラン織りの長椅子に座らせた。そして、女中が持ってきた乾いたタオルで髪を包んでやった。
 やがて、暖かいミルクを少し飲んだ少女―――緋紗子は、ようやく顔を上げて慶悟に はしばみ色の瞳を向けた。
 慶悟は、この少女に初めて会った時に、なんとも神秘的なこの瞳の色に魅せられたのを思い出した。
 顔色が悪いものの、艶やかな容貌には変わり無い。
「唇の震えがおさまったね。少し温まったかい?」
 慶悟の言葉に、コクンと頷く。大人っぽさとあどけなさが同居している。マントルピースの中に薪を加えてから、慶悟は隣に座った。
「どうしたんですか?ただ事じゃないですね。私との縁談をお見事に断られたというのに」
「……御蔵さん。本当に勝手なことを申しますが、しばらく私をかくまっていただけないでしょうか」
「かくまう?何からですか」
「……もう少し 時間が経ったら、言いますから、今は何も聞かないで下さい」
(いやに しおらしいじゃないか。先日の態度と大違いだ)
 子爵家の御曹司は肩をすくめた。


 この町でも有名な子爵家、御蔵家の嫡子との縁談を峻拒した女は、この緋紗子だけだ。あまたある縁談に飽きた慶悟のプライドが ひしゃげてしまったくらいだ。
 それも、理由は、
「私には、お慕いしている人がいます」
(ちょっと売れているだけの、画家の娘なのに……)
 しかし、引き合わされた瞬間から、この緋紗子に強く惹かれる自分を、慶悟は感じていた。
 こんなもどかしい心境になったのは、初めてのことだ。
 子爵家の嫡子として地元でも 有名な家の生まれ、容貌にも、社交界でも淑女に取り巻かれているのに慣れているほど恵まれ、東京市の大学を卒業して故郷へ帰り、父親の子爵の下で事業や土地管理などの仕事をして、順風満帆の人生と言えように、この小娘は、その真っ白な経歴に屈辱という汚点をのこしてくれた。
 山と積まれた膨大な釣書の中から、目に止まったのが、小早川という日本画家の娘で、自らも画学生という、一風、今時の女学生とは違う、緋紗子だった。
(会ってみようか)
という気になった。


お見合い当日、小早川夫婦に無理矢理 着飾らされて、黒地だが華やかな振袖という出で立ちで連れてこられた娘は、明らかに気乗りしていない素っ気ない表情で御蔵家を訪れた。
 相手を見ようとしない。仲人夫妻にも無愛想で我がままな態度が返って慶悟に興味を持たせた。

振袖 黒


 バルコニーでふたりになった時に尋ねてみた。
「まだ女子の画学生は珍しい。女流画家になりたいのかね?」
 庭の緑に目をやっていたが、緋紗子はチラリと慶悟を振り返っただけで視線を戻した。
「そんなこと答える必要は ありません」
「どうして?もし、君がこの家に嫁いでくるなら、画家の道も諦めなければならない可能性もあるんだよ」
 長い袂をひるがえして、しゃきっと緋紗子は向き直った。
「嫁いでくることは ありません。今日は直接、ご当家にお伺いしてこの縁談をお断りするつもりで参りました」
 瞳に決断が見てとれた。なんと気の強い娘だろう。
「そんなに画家になりたいのかね」
「画家になりたいというより―――私には、描きたい方がおられるのです。その方をお慕いしています」
 慶悟がたじろぐほどの逞しい語調だった。
 だが、 断られてからは、屈服させたい気持ちにさえなった。
 あれだけ峻拒しておいて、今夜の迷い猫のような弱々しさは、いったい何なのだ。

          ※

 翌日は嵐が去り、陽光眩しい秋の朝を迎えた。
 慶悟が女中に様子を聞いてみると、緋紗子は与えられた寝室でひと息ついたものの、まんじりともしていないという。


 小早川家に電話した後、慶悟は緋紗子の居る部屋へ行ってみた。こげ茶で統一されている木製の扉を軽く叩いたが、返事は無い。
 ひと声かけて 入ると、運ばれてきた朝食にも手をつけずに、ぼんやりと天蓋つきの優雅な寝台に座っていた。
(まだ、何も喋る気配がないな)
 そう感じて去ろうとした時、慶悟の背中にすがりついてきた。
「怖い……怖いんです」
 震えている。
「いったい、どうしたんだ。訳を聞かなければ、私も手立てがないじゃないですか」
 緋紗子はいったん、身体を離し、唇を結んでから、話し始めた。


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. 「血を喰らう鬼に魂をささげた女は 深き森を彷徨う」第二回

pinku yoimatigusa


 私が あの人と初めて会ったのは、夏の夕方……画学校からの帰りだった。
 学友と別れてひとりで家路を急いでいると、ひとりの書生が横切った。
「描きたい」
 ひと目で そう思った。思わせるほどの、えもいわれぬ美貌の青年だ。
 一介の書生とは思えない。
 総明そうな気質がうかがえる、輝かしい美貌を持ちながら、どこか哀愁が漂っている。
 表情に悲哀が満ちている。
 しかし、緋紗子は迷わず呼び止めていた。
「私の絵のモデルになっていただけないでしょうか?」
 いきなりのことに、さすがに書生は驚き、
「申し訳ないですが、毎日、多忙で……」
 断られたが、緋紗子の心は決まっていた。
 毎日のように、その書生を待ち伏せして、彼が、作家の東郷大作の書生だとことまで突き止めて、何回も頼みこんだ。
 そのうち、書生は根負けしたようだ。名前は柊也(しゅうや)と名乗った。
 緋紗子は、喜びいさんで さっそく、父親の使っていないアトリエに彼を招き、デッサンを始めた。

 なんという整った顔立ちだろう。
 生身の人間だろうか。それでいて、玄人っぽい嫌味など欠片も感じられない。

 描いていくうちに、ますます彼の内側から、滲み出る 精気に魅せられた。
 卵型の顔の輪郭、男らしい眉、輝く双眸、それを縁取る濃い睫毛。高貴そうな鼻筋。引き締まった大きめの口元、美しい姿勢。


いずみ BM?

 申し分のない体格、纏いつく紗のかかった神秘さ。
 緋紗子は、もう、彼さえ眺めていれば、何もかも他のものは 要らないとさえ思い、時々、絵筆を持つ手も止まりがちだった。

 思いなおして、デッサンに集中する。

 そのうち、柊也の視線を感じる。熱を帯びてきている。
 緋紗子の胸は高鳴った。

 アトリエには、大きな古い楕円形の鏡がある。
 ふと、緋紗子は気づく。絵筆を握る自分の姿の向こうに、柊也の姿が写っていないことに……!!
 驚愕する間もなく、近づいてきた柊也に いきなり抱き寄せられ、筆がバラバラと床に散らばった。

油絵パレット

 彼は、緋紗子に熱い接吻を与えてから、唇を首筋へ滑らせ――――
 気が遠くなりかけた時、何か、経験したことのない感じに襲われた。苦痛なのか、快感なのか、判らないうちに、血を吸われていることに気づいた。
今まで味わったことのない陶酔感。首筋の傷口から下半身へと、稲妻が貫くように快感の波が降りていく。
「あ……」
全身から力が抜けて、ひざまずきそうになった。

erika.jpg

開放された時には、柊也の口の端からは、わいん色の液体がひと筋、滴り落ちていた。
「緋紗子……」
 柊也は、骨がしなるほど、抱きしめた。「君の血は甘美だ」
 目つきがいっそう熱っぽい。
 恐れとともに、緋紗子は不思議なことに
(また、彼に与えたい、あの陶酔感に満たされたい)
 と、思っている自分に気づく。
 こんな彼の表情が、見られるなら。
 だが、彼が去ってから、どうしようもない虚脱感に襲われ、床に座りこむ。


 それでも、その後も逢わずにおれなかった。
 逢いたい。彼をいつまでも 眺めていたい。抱きしめられたい。生き血でも何でも捧げたい。
 でも――― 怖い。
 尋常な人間のすることではない。いったい彼は、何者なのか?いや、そんなことはどうでもいい。こんな日々が永遠に続けばいい。
 だが、感じる。
 自らも また 人の血を欲していることに。
 そうしなければ、自らの身体が衰弱していっているのが判る。このままではいけない。彼の愛、葛藤、惑乱の末、咄嗟に御蔵家の慶悟のことが脳裏をよぎり、逃げこんだのだった。


 慶悟は驚きのあまり、言葉もなかった。


 突然、屋敷玄関の扉が乱暴に叩かれる音が響き、ふたりは飛び上がった。
「北原柊也といいます。こちらに小早川緋紗子さんが 見えておられませんか」
 柊也である。
 緋紗子は震え上がった。どうして、ここが判ったのだろう?思わず慶悟の背中に隠れて耳をふさいだ。
 階下では、召使いたちが、彼を追い払っている激しい声が聞こえる。
「大丈夫、君が出ていかなければ安全だ」慶悟は 声をかけ、「信じられん話だが、恐ろしいなら、いつまでもこの家に居て下さい」あくまで紳士的に振る舞っておく。心の奥では 緋紗子の想う男がそんなバケモノと知り、ほくそ笑むのを止められない。
(だが、すぐには 緋紗子に手出しなど、そんな下品なことをするまい)

oka.jpg



 しばらく緋紗子を屋敷に置くことにした。
 彼女の不思議な緑色がかった 薄い色の瞳を見つめていると、心が和やかになるのを慶悟は感じていた。
「この瞳の色が珍しいですか」
 午後にお茶を共にしている時に、緋紗子はカップを置いて言った。
 慶悟の熱い視線を感じたのだろう。
「私の母は、東欧ルーマニアの出自なのです。つまり、私もその血を受け継いでいるのです」
「東欧……」
「父が若い頃、留学していて欧州各地を旅している時に、知り合ったと聞いています」
 話の通り、小早川画伯の作品は、日本画でありながら 東欧の風景画が多い。妻や娘の肖像画も慶悟は目にしたことがない。
「あなたは風景画ではなく、日本画でもなく、油絵で人物を描くのが好みだね」
 慶悟は口に出してから 柊也を思い出した。
 まだ、彼に会ったことがない。
 あれからも、毎夜、屋敷を訪れてきているが、召使いたちに追い返すよう、言いつけてある。


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. 「血を喰らう鬼に魂をささげた女は 深き森を彷徨う」第三回



 「そんな一族が、実在すると信じているのですか、慶悟さん」
 銀縁眼鏡の奥から氷のような視線を送って青年が無機質な返事をした。
 御蔵子爵家専属の、若き弁護士、真鍋充(みつる)の、大通りから遠のいた静かな事務所の二階の客間である。


金城 8


 慶悟は何かを頼れる彼に、今回の件を相談しようと訪ねてすべてを打ち明けたのだった。
「私も まだ信じられませんが」
 慶悟はくぐもった声で答えた。
「しかし、お見合いした時の緋紗子さんの態度からして、御蔵子爵家に逃げてきたことを思えば、本当にその書生のことを怖れているのでしょう。しかし……同時に惹かれながらも揺らいでいる。 これは 普通の微妙な乙女心とは、まったく異なる事件ですな」
「では、血を吸われたというのは、やはり事実……」
「彼女に直接会って話を聞いたわけではないので、その点はなんとも……。慶悟さん、あなたは緋紗子さんを、お見合いの席で気に入ったのでしょう」
「……」
 慶悟の顔がやや赤らんだのを見て、真鍋は表情を和らげた。
「お若いですね」そして、太い葉巻に銀のライターをカチリと鳴らして火を点け、「一度、その書生と会ってみるのもいいかもしれませんよ」
 北原柊也に会う。彼の顔を見てみる。
 思わず、慶悟は唾を飲みこみ、鼓動が高まるのを感じた。

岡田 7

 今まで 家柄から彼にとって下層な人物に緊張するなど経験したことがないのだ。
(この動揺は、やはり女への想いが理性を狂わせているのか)
 よほど落ち着いた視線の真鍋が、ソファから半身乗り出して、灰皿にゆっくりは巻きの灰を落とした。


         ※


 晩餐が終わったとたん、いつものように 玄関の扉が激しく叩かれた。
 柊也だ。緋紗子の顔面が蒼ざめる。
「御蔵さん、開けてください。緋紗子さんと会わせて下さい」
 階下から叫びに近い声が聞こえる。慶悟は、すっくと立ち上がった。
「どうなさるの」
「会ってみよう」
 おどおどする緋紗子に構わず、長々としたテーブルの横たわる食堂を出て、玄関へ降りた。
 二、三人の召使いが ひとりの書生を通すまいとして押し問答していた。
 主人が来たことを知ると、召使いたちは、道を空けた。

 煌々としたシャンデリアの下、玄関で興奮した様子で立っている書生は、慶悟と同年代だが、ひと目見るなり真面目な気質が見てとれた。

豪華シャンデリア



haruma magao


 激しい対抗心が、燃え上がった。
 恋敵としてだけではなく、同年代の者として、この哀愁漂うどころか 人の血を啜って生きているような、おぞましい青年に。
 とにかく ただものではない。
 緋紗子をさんざん惑乱させ、翻弄している男だ。
 慶悟は自分の身分や地位など。一介のこの書生の前に無力なことを感じた。
そんな考えにこだわっている周囲の人間たちに、かなり影響を受けていることに、恥さえも。

 これが血を啜る魔物の瞳なのか。
 光鋭く研ぎ澄まされ、輝いていて、とても何かにとり憑かれているとは思えない。
 引き結ばれた唇、怒りのため、吊り上った眉、興奮して、やや 紅潮した頬。退廃的な噂を持ちながら なんと瑞々しい魅惑的な青年だ。
 緋紗子がひと目見て、描きたいと思ったのも無理はない。
 嫉妬の焔が慶悟の身体ごと、心の底から、轟々と燃え盛った。
 もし、この青年が華族社会にいれば、自分などより、もっと脚光を浴びる存在に違いない。
(負けるものか、こんな弱々しい書生に。緋紗子を渡してなるものか)
 心の中で慶悟が激昂した瞬間、その脇を猫のようにすり抜けて柊也の胸に飛びこんだ真紅の牡丹の花。
 緋紗子である。
「緋紗……」


エリカ 2


 思わず 慶悟は目を見張った。
「柊也さん、逢いたかった……」
「緋紗子」
 ふたりは、引き裂かれて逢えなかった恋人たちのように、ヒシと抱き合った。
 これが、先ほどまで 柊也を恐れて震えていた娘だろうか。
 振り向いた緋紗子が、
「ごめんなさい、私は やっぱり この人を」
「緋紗子さん、いけない、だめだ。その男と一緒に地獄に堕ちるぞ」
「分かっています。でも……やっぱり、私は柊也さん無しには 生きていけない……。若様、ご迷惑をおかけしました。許してください」
「緋紗子さんっ」
 慶悟の引き止めるのを 振り払って、ふたりは肩を寄せ合い、風の渦巻く秋深い道を足早に御蔵家の敷地を後にした。
 一度、慶悟を振り向いた柊也の眼光は、彼を射すくめさせた。
 まさしく血を吸う鬼の眼だ。人間の青年のものではない。
 足がすくんでしまって、それ以上、前には 進まなかった。
 

 しかし、その後も緋紗子は、たびたび慶悟の元へ逃げてきた。
(柊也が恐ろしい)と。(自らも血を吸う鬼になってしまう)と。
 その度に 彼女を受け入れてやった。
 何度 柊也の元へ戻ろうと、またもや こちらへ 逃げて来ようと、寛大に受け入れた。
 古参の女中や、爺やたちが呆れるほどである。
「若様、あのどっちつかずの小娘をいつまで遊ばせておくおつもりですか」
「いつまででも。彼女が本当に私のところへ来るまで」
「若様、どこまで お人がよろしいんですか!?あの女に弄ばれておられるのが分からないんですか」
「……喜んで弄ばれよう」慶悟は老女に、柔らかな笑顔さえ見せて言った。「私は緋紗子を愛してしまった」


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. 「血を喰らう鬼に魂をささげた女は 深き森を彷徨う」第四回

 何度目かに、緋紗子が逃げてきたのを機に、慶悟は正式に父親の子爵に、式の日取り決めてもらうように申し出た。
 無論、今までの経緯は、使用人にも口を噤ませてある。
 父親の子爵は、兼ねてからの小早川画伯の娘との縁談が整ったことを喜び、仮祝言の支度を急がせた。

 小早川夫妻が招かれ、準備が整っていった。
 今は諦めたのか、緋紗子も、柊也のことは、一切、口にせず、子爵夫妻とも打ち解けてきている。


いま

「緋紗子さんが、絵をお続けになりたいのは、新しいアトリエを作りましょうか?」
たおやかな 慶悟の母親は、そんなことまで息子の婚約者に言ったりしている。緋紗子が時折見せる虚ろな表情にも、心配する。
「慶悟さん、緋紗子さん、どこかお身体の調子でも 良くないのかしら?」
「いや、心配はご無用ですよ、母上」
 彼女の心の奥には、今も変わらず柊也が居座っているのだろう。
(いつか、その面影を消してやる。あの男から緋紗子を護り抜く)
 慶悟の決心は、固まっていた。


          ※

「そのお女中におっしゃったとおり、あなたは緋紗子さんを本気で愛してしまったんですね」
 真鍋が慶悟と柳の連なる川べりを散歩しながら、少し苦笑して言った。
「弄ばれてる、と蔑んでおられるんでしょう?」
 真鍋の行く手を阻んで、慶悟は彼の前に立った。
「ほら、そう熱くなっておられる。私も慶悟さんをそんな風にさせる緋紗子さんと、その書生に会ってみたいものですね」
「……」
「あなたが 決心されるなら 私は反対も何もしません。思い通りにされればよいと思いますよ」
「……」
 慶悟は頷いて、土手の古径を登っていった。


    第 二 章


 ある日、慶悟はひとり、徒歩で出かけた。
 霧の濃い日である。
 馬車も使わず屋敷を出て行ったことに、両親も使用人も気づいていない。
 慶悟の足は、作家、東郷大作の自宅へ向いていた。

キリ

 謎の書生である、柊也と一対一で話しておきたいと思ったのだ。
 緋紗子には見張りを付けて屋敷に軟禁してある。

 東郷の居宅は、町の郊外の郊外、田畑と雑木林に囲まれた、貧村の、また外れにあった。
 それなりに、大きい屋敷だが、豪農の家でも買い取ったのだろうか。かなり老朽化していて、とても、人が住んでいるとは思えないほど庭は荒れ果て、雑草がはびこり、樹木は伸び放題になっている。土塀もあちこち崩れ落ち、しかも家の周りは昼間でも小暗い深い森の中。たくさんの蝙蝠(こうもり)が半分、眠りについている気配が感じられる。
 今日の空は厚い雲が覆っていて、薄暗い。

 慶悟は瓦礫だかゴミだか散乱して足の踏み場の良くない、家の周囲を一周してから、ようやく玄関に立った。
 重い障子越しに声をかけると、粗末な着物の少女が出てきた。
 しかし、慶悟はその隠された美しさに、目を留める。
 蒼いほど白い真珠を思わせる肌は、輝き、ぽってりとした唇はホオズキのように紅い。

さとみ

 少女の視点は、夢見ているように頼りなげだが、妖艶でもある。下層の娘であろうに、似つかわない艶やかさだ。
 柊也の元から逃げてくる緋紗子の表情を思わせる。

 床板の落ちそうな長い廊下を案内されて、カビ臭い座敷へ通されると、東郷が、床の間を背にして、ゆったりと座っていた。
 五十がらみであろうか。独り者だと聞いている。
 肩にふれるほどの長髪、手入れなど行き届いていない。口ひげが蓄えられていて、なんとも気難しそうな感じの男である。
 作家なんて、こんな人物が多いのだろうな、などと思いながら、慶悟が座った。
「これは、子爵家の御曹司さま、こんな朽ち家にわざわざ、何の御用でしょうか」
 三白眼に嘲りの色が浮かんでいる。

とよ

「実は、先生の書生の北原柊也くんについて、お伺いしたいことがあります」
 慶悟は単刀直入に切り出した。
「……北原?何かな」
「彼が私の婚約者、小早川緋紗子さんにつきまとって困っています」
「ほう?」
「よろしかったら、彼の出自を教えていただけませんか」
 東郷はギロリと眼を光らせた。
「あいつが何をしたのかは知らんが、出自まで調べる必要があるのかね」
「あります。私は婚約者の身を護らなければなりませんから」
「……」
 少し考えてから、東郷は口を開いた。
「さっぱり話が見えてこんが……。あれの出自を知っていることだけお伝えしよう。しかし、私は知らんのです」
「……?」
「あれは、柊也は孤児院から引き取ったのです。十歳にもなっていなかったかな。捨て子だったそうです。それから、小間使いなどして働かせ、多少は勉学させて書生にしている。まずまずソツなくこなしてくれている」
 それ以上、気難しそうな作家はひと言も話さなかった。

 
 そろそろ、日暮れようとしていた。
 慶悟が諦めて、帰ろうとした時には、外は大粒の雨が落ち、ひどい嵐になっていた。野分かもしれない。
 黒々とした太い柱や鴨居が張り巡らせてある天井を見上げると、小さな天窓から、大木が大きく揺れているのが見える。
柊也が 突然、走って帰り、村でたったひとつの橋が、急に増えた水嵩のため、流されてしまった、と告げた。慶悟が来ていることに気づかない様子だ。
「お客様」最初に出迎えた、色白の少女がトンビを着ようと帰り支度を始めた慶悟の背後から声をかけた。「ご主人様が、今夜はお泊りくださるようにとのことでございます」
 死者たちの地獄からの叫びのような風の音が、頭の上や床下から迫ってくる。
 慶悟は東郷の申し出を受けて、一夜の宿を借りることにした。

 深更になっても、風は治まるどころか、尚、猛々しく吼え狂っている。
 奥の座敷に床をのべてもらったものの、慶悟はとても横になる気にもなれない。
 部屋の隅にある小机の上のアールヌーヴォー風の洋燈がチラチラとしている様に眼を当てていた。

 やがて、借りた寝巻きの上に、綿入りのものを羽織った。
 柊也といい、東郷といい、謎だらけの人物だ。
 少し、停電してやろうと、廊下に出たのだ。
 時折、遠くから雨の音に混じって、村人が駆けずり回る気配がする。
 夜の炊事場は、へっついさんも 火の気が無く、閑散と静まり返っている。
 通り過ぎていくと、廊下の隅に人影が見えた。


アイシテル

 柊也ゆっくりと少女の頭(こうべ)を支えてのけぞらせ、眼を射抜くような純白の喉に―――――。
 慶悟はその光景を目の当たりにして、一歩も動けなかった。


 生き血を吸っている。いや、貪っている。
 少女の細い身体は、クタクタと冷たい床ん崩れ落ちた。と、同時に、慶悟は柊也に走り寄り、襟首を乱暴につかんだ。
「緋紗子は絶対、貴様には渡さん。この化けものが」


 まだ風も治まらないうちに、慶悟は東郷の家を抜け出した。
 ようやくどす黒い雲が去り、朝焼けの漂い始めた空の下、疲れきって、子爵家に戻った。

 トンビから垂れる水滴に使用人たちが驚いてまとわりつこうとするにをふりはらい、大声で呼ばわった。
「緋紗子!!」
 やがて 二階の奥から彼女の白い頬が覗き、エントランスの階段をゆっくり降りてきた。血相変えた慶悟にビクビクしている。
 構わず、慶悟の力任せの抱擁に、じっとしているしかない。
「どこへもやらん。二度と離さない。あんな化けもの餌食には、二度とさせない」
 柊也のことだ、と、緋紗子は 泣きたくなった。
「心は慶悟さん、あなたの元にあると思います。おそらく……。でも、時たま、耐えられなくなる……。あの人に血を捧げたくて……。でも、恐ろしいんです。彼も、そんなことを思ってしまう自分も」
「緋紗子……」
 あの鬼にいったん、生き血を吸われたものは、こういう風に魔の虜になってしまうものなのか。しかし、熱っぽい緋紗子の顔を見るとよけい、憐憫も混じった愛おしさと、柊也への憎悪がつのった。

岡田 9



 式の準備を急がせた。
 華族のしきたりにより、平民の緋紗子は一旦、某子爵家の養女として戸籍に移された。名目上なので、嫁入り支度等は、小早川の両親が整える。

 御蔵子爵家では、門から、屋敷までの玉砂利を敷き詰めた白く長い道、庭木の手入れ、馬置き場と車庫、大理石を敷き詰めた広いエントランスと披露宴の行われる大食堂などと、泊まり客用の寝室が十数室、使用人の手によって、念入りに掃除された。

 緋紗子の両親、小早川画伯夫妻も、上機嫌で頻繁に打ち合わせに訪れる。子爵夫妻ともすっかり打ち解けて、午餐を共にしたりしている。
「あなたのお嫁入り道具は、できるだけのものをそろえましたよ」
 母親も微笑んで、愛娘のぬば玉の髪を撫でる。褐色の髪に緑がかった瞳。和服姿だが、日本人ではない。
「教会で挙式に決まったぞ」
 父の画伯の言葉に、緋紗子はギクリとした。顔が蒼白になり、少しふらついて側のイスの背にしがみついた。
「どうしたの、緋紗子」
 慶悟も同席していた席から 立ちかけた。
「い、いえ、大丈夫です、お母様……」
 しかし、その額には、大粒の脂汗が浮かんでいる。
 子爵夫妻は、気遣って横になるように勧めたが、それを見守る慶悟の胸は惑乱していた。
 華族は、教会で式を挙げることも少なくない。
 あの、東郷大作の家で目撃した、柊也と女中との、おぞましい情景が脳裏に焼き付いてはなれず、「吸血鬼」というものについて、自宅の書庫や、町や母校の大学の図書館で、調べたのだ。
 吸血鬼の弱点が、教会に象徴してある 十字架だと――。

十字架


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. 「血を喰らう鬼に魂をささげた女は 深き森を彷徨う」第五回

 その日は朝から黒い雲が垂れ込め、地面を這ってくるような低い雷の響き。
 しかし、教会には、大勢の上流社会の招待客の車や馬車が続々と到着していた。


教会 1

 家族の紳士方は、燕尾服の礼装、婦人は和装の人もいれば、大正風のストレートなラインのきらびやかなドレスの礼装に着飾っている人もいる。
 皆、強風の中、馬車や車を降り、教会の中へ小走りに走っていく。

フロリバンダ ローズ



 子爵夫妻と慶悟は玄関で客の応対に追われていた。。
「おめでとうぞんじます」
「若様の花嫁さまを早く拝見したいですわ」
「小早川画伯のお嬢様……さぞ、絵のご才能をお持ちなのでしょうね」
「子爵家に相応しい新時代のお嫁さまですな」
 招待客の緋紗子への興味が、並々ならぬものであることが伺えた。
 その中に、真鍋充の礼装した姿もあった。


 大きな聖堂には、招待客が席に着くと、人で埋め尽くされた。
 祭壇、中央の奥には、聖母マリアのステンドグラス、手前に十字架に架けられたキリスト像。

ステンド

 司祭を務める神父も結婚式用の純白の礼装に身を包んで、荘厳な雰囲気である。
 皆、ざわざわと興奮が鎮まらないうちに祭壇の前に立つ、新郎の慶悟に注目しているが、後ろの扉からの、新婦の入場が、今か今かと待ち受けている。……じりじりと時が過ぎていく。
 稲妻がカッと聖堂内を照らした。

いなづま

 そして、間をあけず、烈しい雷鳴。
 慶悟の背中にゾクリとしたものが走った。

(緋紗子はこの十字架に耐えられるんだろうか……)
 側にいた下男に耳打ちすると、下男は、飛ぶように聖堂の勝手口から消えた。
 客たちは、ひどくなる雷土に耳をふさぎながら耐えていた。
 そのうち下男が戻ってきて、報告を聞くなり、慶悟は顔色を変えて猛然と聖堂を飛び出した。
 外は稲光と雷鳴、そして横殴りの雨である。
 警備用の馬に飛び乗り、慶悟は教会の入り口から街道へ出た。
 馬を留めて確認しようとするが、土砂降りの雨の紗が邪魔をして、連なる森林の緑さえ白い世界になっている。
 人影など見えるはずもない。
(花嫁さまの姿が、どこにも見当たりません!)
 先ほど聞いた下男の言葉が耳の奥に何度も響き、慶悟は唇をかみ締めた。
(あいつだ、あいつが緋紗子を連れ去ったのだ……)
 北原柊也、あの書生が輝くような純白の花嫁姿の最愛の女の手を引いて、豪雨の中を逃亡したのだ!!

逃亡



          ※
【大切」春馬 3


 
この事が判明するや、御蔵伯爵は 激怒した。
 そして聖堂に集っている招待客に、息子と共に丁重に頭を下げた。
 花嫁、急病と言い訳したのだ。
 招待客らは、驚くと共に残念がり騒然となった。

 緋紗子の両親、小早川画伯夫妻も、驚きを隠せず、狼狽しながら子爵に土下座同然の謝りを入れたが、子爵の怒りは治まらなかった。
「こんなことは、前代未聞。お宅のお嬢さんは、我が子爵家に 見事にドロを塗って下さいましたな」
「父上、お気持ちをお鎮め下さい。何か、どうしようもない事情が……」
「慶悟、お前は男として、腹が立たんのか」
 もちろん、憤りは、慶悟が一番感じている。
 鼓動は早鐘のように打ち、止まる気配もない。
 緋紗子の白い喉に牙を立てる柊也の瞼に焼きついて離れない。恍惚としいる緋紗子の表情まで思い浮かべられる。
「今まで望んで手に入らないものは無かった。それを、私の一番、大切なものを大切な日によくも……。ドロボウ猫のような真似を……!!北原柊也!!」
 自らの険しい貌つきも、内側からの嫉妬の焔もどうすることもできない慶悟だった。

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. 「血を喰らう鬼に魂をささげた女は 深き森を彷徨う」第六回

          第 三 章


 季節は冬を迎えていた。
赤レンガのマントルピースに爆ぜる焔を凝視する険しい眼がある。

マントル 1

ノックをして入ってきた若い女中が、振り向いた主に、思わず足をすくませた。
いつもの温和な若様ではなく、髪はボウボウに乱れ、不精ヒゲまで生やしている。手には火酒のボトルとグラス。眼光は猛禽のように、黄金の火花を散らしている。
 これが、社交界の貴公子と謳われる御蔵子爵の表情だろうか。
 教会での一件があってから、すっかり人が変わってしまったかのようだ。
「あ、あのう、若様」
 女中は、恐る恐る声をかけたが、慶悟はすぐに焔に目を戻し、火酒をあおった。
「ただいま、与吉が戻りまして、ご報告したいことがあると」
 火酒のグラスがテーブルに置かれて、飛沫が飛び散った。

おかだ 2

 女中が出て行くと、雪にまみれてきたらしい小男が寒さに震えながら入ってきた。
「何か、判ったのか」
 小男はコックリと頷き、呼ばれるまま主の側へ寄って小声で報告し始めた。


        ※


「冷えてきましたね」
 分厚いツィードのコートを脱いで女中に渡しながら真鍋が訪ねてきた。
 部屋の奥の窓辺で振り向いた慶悟の表情は険しい。
「この寒さなど、関係なくあなたの裡には、憎悪の火が」
「茶化されるのは、好きません。真鍋先生」
「これは失敬」
 ふたりは、茶色い毛織の長椅子に腰かけた。
 慶悟はテーブルに両肘をつき、顔半分を覆っていた。
「どうしても見つからないので、四方八方に捜索の手をやらせたところ、ようやく発見しました」
「緋紗子さんと、書生」
「そうです。北国の寒村に逃げていることが判ったばかりです」
「行くのですね」
「無論です」
「氷の結晶で、心の凍傷にならないように……」
 真鍋は、長い前髪をかきあげて、口元に意味ありげな笑みを浮かべた。

金城 横顔




          ※


 汽笛が身体の芯に響き渡り、重々しい車体が動き始めた。北へ向かうほど銀世界が視界に広がる。
 真っ白な大地、遥か彼方に見える連峰、どんよりした空からは、時折、点在する農家と林、ガラスの破片のような雪が降ってくる。

冬の汽車 1


雪の駅

 慶悟は小さな駅に、降り立った。
 漆黒のトンビをひるがえして、駅を出ると子爵家から連絡が行っていた農家から 貧相な馬車が待っていた。
 足の太い馬二頭が、白い息を大きく吐いている。
 凍てつく寒さの中を何時間、馬車に揺られたことだとだろう。
 農家は、ますます少なくなり、弱々しい冬の場は、もう山の端に隠れようとしている。
 ガタンと車輪が止まり、目的地に到着したようだ。
 慶悟が馬車を降りると豪農とは言い難いが、わりと大きい藁葺きの農家があり、小作人たちが、積もった雪に埋もれそうになりながら、庭や納屋で、冬の細々とした農作業をしていた。
 農民たちは、この、ひと目で都会から来たと判る上背の勝る青年に、少なからず驚いたようだ。
 へっついさんに火がついたようで、薪を運び入れている女中たちがいる。
 その中に、慶悟は見つけた。
「緋紗子……!!」
 彼女も気がついて、抱えていた薪をバラバラと足元に落とした。
「若様……」
「帰ろう、緋紗子」
 やにわに、彼女をトンビの中に抱き寄せた。
 一瞬、抗おうとしたが、小禽はあまりの突然なことに言われるままに素足に草鞋の足を進めようとした。
「待て」
 背後から声が返ってきた。
 待っていた、とばかりに、慶悟が振り向く。
 野良着の上に藁の防寒着をつけた 柊也が仁王立ちになっていた。
 今まで穏やかな表情しか知らなかったが、人が変わったほどの険しい形相だ。
「緋紗子は渡さないっ」

BM 2 1bamen 

 初めて聞く激昂した言葉は、澄んだ男らしい声音だった。
「それは、こちらの言うことだ、北原くん。挙式当日に花嫁を連れ去るとは、男の風上にも置けん。憲兵に訴えなかっただけでも、有り難いと思いなさい。
緋紗子は連れて帰る」
 ふたりの間に、冷たくも、燃え滾る焔がぶつかり合う。
 緋紗子の腕をつかんで馬車へ向かおうとする慶悟に思わず走り寄ろうとした柊也だったが、周囲の男たちに、いきなり羽交い絞めにされた。
「な、何をす……」
「悪いが、ご主人様のお指図でな、御蔵子爵様の若様がおいでになるから、抗ってはならねえ、と」
「逃げ出さないように、ずっとお前たちふたりを見張っていただよ」
 小作人たちの力は頑強で、押さえつけられた柊也は動けない。
「柊也さん……っ」
 涙声が響いたが、慶悟はかまわず、その小柄な身体を馬車に投げ入れるように、投げこんだ。
「ひどいですわ、若様、こんなにいきなり……」
「ひどいのは どっちだ」慶悟は緋紗子の小さな頭(こうべ)を両手で押し包み、その紅い唇に接吻した。「いきなり、私の前から消えてしまったのは、君じゃないか」
 そして、もう一度、薔薇の蕾を貪った。
野良仕事など、慣れないことをしていたはずなのに、甘い芳香が匂いたっている。
(この香りに、あの男も溺れたのか……)
 まだ、怒涛のように、嫉妬の波が押し寄せてくる。
 馭者の馬のムチが、鳴った。
(いっそ、あの男、馬蹄にかけて息の根を止めてやりたいくらいだ)
 心中、乱れる慶悟の広い胸に、その細い肩を抱きしめた。
「怖かったんです、私は あの人が怖い。自分が変えられていく……。とんでもない一族に」

黒つばさ

 今ひとつ、緋紗子の真意が読み取れないが、再び、自由にするのは危険だと思う。それに、心底、柊也に心を奪われているのではないと思いたい。
「わかった。今度こそ、君を護りとおす。帰ったら、すぐに仮祝言だ」


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. 「血を喰らう鬼に魂をささげた女は 深き森を彷徨う」第七回

 仮祝言は、子爵家、小早川家、内輪の親族だけで質素に執り行われた。
 先だっての教会で、ではなく、子爵家の和風建築の棟の座敷で、花婿は紋付羽織袴、花嫁は白無垢姿。


白無垢 手元 1


 式は滞りなく、ひと通り済んだが、緋紗子の両親、小早川夫妻は、娘の不始末に、終始、頭が上がらない、目にするのも痛ましいくらいの萎縮した態だった。
 画伯は痩せた体躯がいっそう、枯れ木のようになって、頭を垂れ、子爵に小声で謝り続けていた。
「娘のとんでもない素行をお許しいただき、若様の奥様にしていただいて、この小早川、一生、ご恩は忘れません」


 数ヶ月前に、敷地内の奥の一角に建てられた和風の別館、新居の奥の寝室で、慶悟は 部屋着で待っていた。
 扉が開いて、女中に付き添われた緋紗子が絹の純白の夜着姿で入ってきた。仮祝言の時から無表情である。
 すべて自分の運命の流れに任せた諦め、というより、やや、異様な感じのする
―――能面のような、さざなみひとつ無い……。

 
 ゆっくりと、慶悟が立ち上がり、寝台に座らせた。
 火酒をグラスにそそぎ、
「そうか、君は、まだとても若いんだったな」
 そして、傍らに座り、肩を抱いて、ゆっくりと褥(しとね)に横たわらせた。
 飴色のランプを受けて、緋紗子の美貌は輝くばかりである。
「この清らかなものを散らせてしまうのは……」
「若様、私はもう、清らかなどではありませんわ。身も心も。半分は、あの方のところへ置き去りにしたまま……」
「言うな」
 逞しい手が、艶やかな紅薔薇を手折っていく。


赤ばら 1

 花びらのひとひら、ひとひらをむしり取るように、襟をくつろがせ、首筋に唇を押し当て、吸っていく。
 なんという甘美な味。
 薄暗い灯りの下でも、輝くような白い乳房に目を射抜かれた時は、慶悟は軽い眩暈さえ覚えた。狂おしく、貪らずにおられない。

(この肌をあの男も、味わったのか。肌だけでなく、生き血まで……)
 鮮やかな紅い唇から小さな喘ぎがもれた。
(しゅう……や……)
 ギクリとする。緋紗子の心の奥には、柊也が根強く棲みついている。
(そんなもの、蹴散らしてやる)
 愛撫は、怒涛のように激しくなった。
 獲物を死に際まで追いやるように。


         ※



 窓がカタカタと鳴りだした。白いものが吹きつけている。吹雪になったらしい。
 しかし、寝室は外の冷え込みをよそに業火のような熱が渦巻いていた。
 熱い素肌を重ね、お互いの欲情が脈うって、どくどくと湧きあがる血潮のように噴出孔を求めてのたうっているのが感じられる。
 冬将軍の咆哮も、耳に入らない。
 狂おしく求め合い、熱せられた奔流は、生き物のようになって、男と女の身体を貫いた。


<慶悟の夢>

こう


 ……暗黒の無の世界。
 不気味なびょうびょうとする生ぬるい空気が、頬に吹きつける。
 浮遊感がある。空を翔んでいるのだ。それも、一匹の夜の獣になって。
 どこへ翔んでいくのか、あてもなく、とても解せなく不快感がある。翼が真紅の血で濡れそぼっている。急に落下し始めた。
堕ちる!!真夜中の、乾いた岩盤に叩きつけられて、この身体は、飛散してしまう!!悲鳴が飛び出す。


 寝台の上に飛び起きた時には、全身に脂汗をかいていた。
 夢を見ていたのだ。窓の外は ややほの明るいが、吹雪はまだ止んでいない。
 ふと、傍らに目をやると、愛おしい女が夜具を被っている。
 いきなり黒目がちの大きな瞳を開いた。
 そして、慶悟を見て、薄笑いを浮かべる。
「大丈夫ですわ。今、あなたの悪夢、吸い取ってさしあげました」
 その表情は、今までのかよわい印象とまるで違う。別人かと思われた。
 それに、何を喋っているのだ。
「私は夢魔なんですの」
 夜具で半分、顔を隠して、むっくりと寝台の上に起き上がる。

せる
赤

 漆黒の長い髪が、胸の辺りまで、乱れて垂れている様に、慶悟はよけい鼓動が激しくなった。
「……夢魔……?」
「私は東欧の国の母親の血を受け継いでいるのです。母の生まれた村は、夢魔の跳梁する霧に覆われた、古い古い村。母はそうではないのですが、どういうわけか、私は、東欧の森の魔族に生まれてきてしまったようですの。夢魔は、本来、人間に悪夢を見せて、愉しむもの。今、あなたがご覧になった、嫌な夢も、私が見せて差し上げてから、吸い取らせていただきました」
「……」
「人の悪夢を食べて命ながらえているのです。」
 慶悟は目を見開いて、緋紗子の言葉を聞いていた。
「柊也さんの悪夢も、たんと 吸い取ってあげた。彼は幼い頃から、酷い目に遭い、その記憶に苦しめられるらしくて、毎夜、悪夢にうなされていました。師匠である、東郷先生に運命を狂わされた夢も……」


 慶悟は恐怖した。
 いったい、この女は 何なのだ。
 しかし、惹かれる思いは、よけいに募った。
 この女は、夢魔というものだから、柊也に生き血を与えて喜悦を感じていたのだろうか。柊也は、夢魔の血を吸って、より生命力を増したのだろうか?しかも、東郷に、何かされた、だと――――!?」
「解かった。お前にも、夢も血も与えてやるから、その代わり、お前は一生、私の繋いだ桎梏に縛られて生きる運命だ」
 そう言って、たおやかな女の身体を力づくで抱きしめた。
「私に血を下さるの……?」
 緋紗子の形相がたちまち変わり、白い小さな牙をむき出しにすると、夜具の中にもぐりこみ、慶悟の大腿の内側に覆いかぶさり、その牙を突き立てた。
 おぞましくも、美味しそうに喉をならせて、新鮮な血を吸い取った。
 慶悟は、なんとも言えない恍惚感を味わっていた。女と交わる以上の、これこそ魔物に取り憑かれるような、甘美なエクスタシーだ。
 しかし……緋紗子の顔は、曇っていた。
 満足できないのだ。一抹の思い。柊也のことが気にかかるのだ。
(あの人は……私のすべてを奪って、しまったのかもしれない。生き血と共に彼の苦しい過去も。あの深い眼。眼差し。息づかい。体温。指先、触れたくなる唇。男らしいよく通る声音。それらを深く深く刻みつけておいて)


「大切」春馬 2

 慶悟は、緋紗子の思いをすっかり読み取っている。
(そんなにあの男は、緋紗子の心に、入り込んでいるのか。殺してやりたい。たとえ血を吸う魔が不死でも、方法はあるはずだ)

(いや、その前に、やつに屈辱を味合わせてやる)

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. 「血を喰らう鬼に魂をささげた 女は深き森を彷徨う」第八回

 ある日、三流新聞に、作家、東郷大作のスキャンダルが大きく載せられる。

【 東郷大作 は、男色家である 】

とよ 1


 血相変えて、新聞を持って慶悟の部屋へ駆けつけた緋紗子は、肩で息をしていてた。
「はい。お世話になりました、真鍋先生。これで、東郷は、名声も地位も失くすでしょう」
 どこかへ電話をしていた慶悟はゆっくりと受話器をおいて、飛び込んできた緋紗子に大きな椅子を廻して向き直った。
「あなたのなさった事ですね」
「もちろんだとも。これで、東郷の地位は、転落。北原も、行き場を失うだろう。しかし、まさか、吸血鬼なんぞと、陳腐なことは、洩らしてはいない」
 蔑笑が浮かんだ。
「なんて、酷いことを……」
「それだけの罰を受けるべき男だ。私から お前を奪い去ったのだからな」
「それにしても、あまりにも……」
「諦めろ、緋紗子。あの男は今、東郷家の女中だった女と暮らしているそうだぞ」
「な、なんとおっしゃいました!?」
 緋紗子の顔色が変わる。
(サナエ……、あの娘……)
 夢魔などではなく、夜叉の面だ。慶悟の背中にゾクリとしたものが奔った。


         ※


「夢魔ですって?」
 紅茶のカップを勢いよく置いたので、赤い液体が飛び散った。
 普段、滅多なことでは動じない真鍋だが、少し驚いたようだ。
「吸血鬼の次は そんなものですか。失礼ですが、本気でおっしゃってるんですか、慶悟さん。私だってヒマを持て余しているわけでは……」

金城 9

「真鍋先生、私が冗談を言うために、わざわざ先生の事務所をお訪ねするとでもお思いですか」
「先日は、あなたの望み通り、東郷のスキャンダルを三流紙に書かせましたがね。そんな夢、まぼろしのようなものまで利用して世間を惑乱させることは、不可能でしょう」
「そんなことは考えていません。しかし、なんだか良くない予感がするんです。緋紗子の心には、根強い魔が棲んでいる……」
 青年の表情は、深く憂えている。


          ※

下町 1


緋紗子は子爵家、跡取り息子の夫人になった権力を使い、八方に人を走らせ、柊也とサナエが暮らしているという下町の小さな借家を突き止めさせた。
 そして、嫁入り前とはまったく違う動きやすい洋装で、馬車に乗り込み、下町目がけて急がせた。
 大通りで馬車を止め、案内の男に指図して、小さな一軒家に近づいた。沈丁花の生垣で囲まれたその家は、濃密な匂いが満ちている。
 夕餉の支度時間で、辺りの家々の煙突からも、煙が上がっていた。
 緋紗子が生垣からそっと覗くと、ちょうど玄関の薄っぺらい障子戸が開き、絣の着物にタスキ掛け姿のサナエが出てきて、その場にしゃがみこんだ。


さとみ 1

野良猫たち 1

 野良猫が数匹、寄ってきて、にゃあにゃあ啼くのへ、
「はいはい、お待ちなさいな」
 サナエは優しく声をかけ、残飯だか、餌を与えている。
 ふと、近づいた人の気配に驚いて、サナエは立ち上がった。

エリカ 3


「あなたは……小早川先生のお嬢様……」
「久しぶりね、あなた、柊也さんと暮らしているんですって?」
 サナエは蒼白になった。
「渡さない。柊也さんは、あなたになんか渡さないわ。サナエさん、あなたは、今すぐ、どこかへ消えて」
「お、お嬢様、お許し下さい、私のお腹には、あの人の赤さんが……」
 雷土が、緋紗子の総身を縦に貫いた。
 猫に与えた椀をひっくり返して、逃げようとした。
 が、それより早く、緋紗子の腕が、タスキを掴んでいた。
「消えて無くなっておしまい、お前なんか。二度と柊也さんの元へ戻さない」
「お、お許しを」
「死ねないのだったわね。でも、その方法はいくつかあるわよね。お腹の子、諸共、消えておしまい。でなければ……」
「で、でなければ?」
「柊也さんを闇に葬るわ」
 サナエのか細い身体が、ガタガタと震えた。蛇に魅入られた蛙のように、緋紗子の眼光から逃れられない。
「来るのよ」
 緋紗子の手がサナエの腕をつかんだ。有無を言わせない恐ろしい力。サナエは引きずられるように、裏手のため池の畔に連れて行かれた。
 水面(みなも)は、澱みながらも、緑の浮き草にびっしりと うずめられて静かな佇まいだ。
「さあ!!ここへ」
「い、いやですっ!!どうか許して!!」
 サナエは、涙を迸らせて地面に伏した。
「赦さないわ、柊也の子を身ごもるなんて」
 サナエが恐る恐る見上げた緋紗子の眼は、殺意で血走っている。
 もはや、蛇に睨まれた蛙同然だった。
 思う間もなく、頚根っこを掴まれ、水草の繁茂する水面へ突き飛ばされた。
 ハデな水音と飛沫。

ため池 1


 たちまち苦しさに喘いで、サナエは水面に顔を出す。苦しさだけではなく、全身に細かい棘が刺さるような痛み。水に弱い身体は、この痛みが頂点に達した時、溶けてしまうのだろうか。
「だめよ。それじゃ、滅ぶことができないじゃないのっ!手伝ってあげるわっ!」
 腰まで緋紗子も水に浸かり、サナエの頭を押さえつけた。
 サナエの口や鼻から池の水がどぼどぼと入り込む。
「お、おじょう、さま……お赦し、を……せめて、ヤヤだけは……!」
「いいえ、赦さないっ!」
 緋紗子は自分でも抑えが利かない。自分が水に弱いことさえ頭にない。目の前の小娘を消してしまいたいだけだ。
 紫のヴェールの刻々と濃くなっていく中、黄昏の暝い女神でさえ、眼を背ける惨劇がたゆたう時の中、続けられた。

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. 「血を喰らう鬼に魂をささげた 女は深き森を彷徨う」第九回

翌朝、子爵家の緋紗子の元に、サナエがお腹の子を道連れに、下町の小さな寺の池に身を投げて死んだという報せが入った。
 溜飲を下げたはずなのに、後悔の念が、緋紗子の深奥に渦巻いた。
「嫉妬に狂って、なんということをしてしまったんだろう」
 鏡を覗いてみれば、さぞ、鬼女の面相であろうと思ったが、ロココ調の大きな鏡には、室内の風景しか映っていない。

ロココ調ミラー

 薔薇が萎んだような、魂の抜けた女になってしまった。
 気づいた慶悟が理由を訊いたが、緋紗子は何も言わず、翌日もう一度、下町へ出かけた。


        ※


 柊也とサナエの家は、ひっそりとしていた。
 そっと声をかけて、緋紗子が入っていくと、貧相な土間の向こうの小さな部屋に、柊也がサナエの遺影の前で座っていた。
 白いシャツと黒いズボン。さっぱりとした服装をしている。
「柊也さん、サナエさんが亡くなったのは、私が……」
 緋紗子が激しい鼓動をこらえて、やっと言うと、彼は背を向けたまま、

「恋空」4


おかだ
さと

「何があったのか、だいたいの察しはつく」
「……」
「だが、この方が良かったのかもしれない。永遠に生きて、人のしがらみの中でいき続けていくよりは……。俺のように、不死で苦しみながら、生き続けなくてすむ」
「そんな哀しいことを言わないで」
「緋紗子。君もだ。永遠に生き……」
 そう言って振り向いた柊也の眼が見開かれた。
 慶悟の姿を戸口に認めたからだ。
 振り向いた緋紗子も、凍りついた。
「北原くん、一度、君とちゃんと話し合いたいと思っていた」
 慶悟の表情は、真剣だ。
 柊也は、静かにしりぞいて、貧相な、あちこち擦り切れている座布団を差し出した。
「どうぞ」


       ※


 慶悟は、サナエの遺影に線香をあげてから、向き直った。
「君はどうしても 緋紗子のことを諦められないのか」
「若様だって、そうでしょう」
 一触即発だ。
「私も君と同族になってしまった」
「緋紗子に、血を与えたんですね。では、俺たちは、塵になって消えない限り、永遠に生き、争う運命だ。こうなったら、どちらを選ぶか、緋紗子に決めてもらいましょう」
 ふたりの青年の視線を受けた緋紗子は、思わずたじろいだ。
 身の置き所が無い。
「いや、それより……」慶悟が遮る。「私は君の素性をまず、知りたい。どうして、普通の人間でなくなったのか、恩師の東郷氏と深い関係がありそうだな」
 慶悟の言葉に、柊也はしばらく沈黙し、それから、
「わかりました。俺も、そのことは、知りたかったんです。東郷先生の故郷へ行ってみたいと思っていました」
 潔く承諾した。



     第 四 章


 東郷大作の生まれ故郷を突き止めるのは、いとも簡単だった。
 慶悟の力をもってしても、同じことだったが、元書生だった柊也が書生仲間に頼んで身元を調べたのだ。
柊也が恩師の出自を知らなかったのは、慶悟には 意外なことだった。
 書生とはいえ、小説の弟子とも言えるほど、眼をかけられていた様子だったというのに。
 東郷の生まれ故郷は、出雲の山奥だった。
 慶悟と柊也は長い間、同じ汽車に揺られて旅をした。席はもちろん離れている。
お互い、眼を合わせることもなく、車窓の景色に眼を向けている。
 同じ車両に、紛れ込むように、緋紗子が乗り込んだことは、ふたりともまったく、気づいていない。
 汽車の中で、何度、夜を迎えて何度、朝を迎えたことだろう。
 小さな振動と、時折、響く耳をふさぎたくなる汽笛は、いつまで続くのかと思われた。

機関車 1


 広い田畑が過ぎると、トンネルを何度もくぐり、時には海岸線に出て、早春の水平線が淡い線を引くのが、見られた。
 だが、がら空きの客席を離れた位置に戻った慶悟と柊也は、言葉を交わすことなく流れ去る風景を眺めていた。
やがて、支線の小さな駅に降り立ったふたりは、黙々と山道を辿る。
 間隔を保って、後ろから緋紗子も彼らの後を登っていく。
 深い山々は、新緑が眼に沁みるようで、つづら折れの勾配を辿っていくと、時折、ウグイスのさえずりが響いた。

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. 「血を喰らう鬼に魂を捧げてしまった 女は深き森を彷徨う」第十回

 やっと、山道の脇に、農家がぽつりぽつりと見られる。
 慶悟は畑作業をしていた老人を見つけて、上り坂から外れた。


山村

「はぁ?」
 腰の曲がった、真っ黒に日焼けした老人は、構えていた鍬を地面に突き刺して置いた。
 見慣れない都会風の男を、頭の上からつま先まで 眺め回す。
「東郷?」
「そうです。この辺に旧家があるはずなんですが、ご存知ありませんか」
「東郷っちゅうと、先代の庄屋だった家じゃ」
「そうです。知ってるんですね」
 慶悟は、興味深そうに言ったが、
「あの家なら、とっくの昔に滅んでしもうたわ」
「え……」

おかだ

真剣な顔

 柊也もその言葉に驚いて畑に降りてきた。
「建物は廃屋になって残ってはおるがな、あの家の者は、皆、わけの解からんことを口走るようになり、思い出すもおぞましいことを仕出かし、皆、若死にしてしもうたわ」
「なんですって……」
「その口にするもおぞましいことって」
 柊也が、思わず、慶悟と老人の横から口を挟んだ。
「そんなこた、わしも口にしとうない。とにかくあの家が滅んでから近くの者も近寄らん」
「ひとりも生き残りはいないんですか」
「う~~む」赤銅色に日に焼けた老人は、考えこみ、「末の方の息子が都会へ出て行ったという噂もあったが、確かかどうか、わからん」
 方言の激しい老人の言葉は、突き放す感じがした。
「あんたたち、いったい、何だね。そんな昔の話を聞きに、こんな山奥にまで来たのかね」
「……」
「もう、これより他は何も知らん。とっとと、行ってくれ。畑仕事の邪魔だ」
 ふたりの若者は、老人に追い払われた。
 他の近隣の農家の者に話をしようとしても、皆、よそ者の姿を見ただけで、戸を閉めて籠もってしまう。


         ※


 疲れきったふたりは、畦道に腰を降ろした。
「怖くないんですか」柊也が、恐る恐る尋ねる。「あなたは緋紗子に血を与えたんでしょう。もう生き血を啜ってしか、生きられない。俺も、そうしなければ……。そして永久に死ねないんですよ」
「緋紗子を愛してしまった運命だろうな、本望だ」
 慶悟の眼は新緑を見つめて静かでさえある。
「俺は怖い……。永久に死ねないなんて、望んでこうなったんじゃないのに。せめて緋紗子と一緒に生きていたい」
柊也は頭を抱える。咄嗟に慶悟の嫉妬心に火がつき、立ち上がって恋敵を見下ろした。
「それだけは、譲れん!!」
「俺もです」
柊也は、優しそうな眼の奥に、激しい感情を秘めて、睨みつける。


        ※


 緋紗子の足は、山道を辿り、ようやく崩れかけた大きな藁葺きの農家に行き着いた頃には、草履の鼻緒が足の指に食い込んで、こすれ、血しぶいていた。
 もう、山の端に、陽は沈みかけ、影になる内側の村は、すぐに夕闇の領域になった。カラスの大群が、不吉な叫びをあげながら、巣のある森に帰っていくのが、朱色の空に映るのも、あっという間のことだった。
 農家の生垣は、伸び放題になっており、庭には、雑草が人の背丈ほどにもはびこり、母屋は、しんとして、人の気配は無かった。
 裏側へ廻ってみると、蔵の向こうに小さな離れがあり、破れたというより、障子紙の残りが、桟にからみついている障子から灯りが洩れている。
近寄った緋紗子は、そっと、桟の隙間から覗いてみた。
 小さめの囲炉裏がある。板敷きの部屋が見えた。
 囲炉裏には、火の気が無く、小柄な白髪の老婆がひとり丸くなって、ぽつりと座っている。その顔が、いきなり鋭い眼光を放って、こちらを向いた。

イロリ 1


金色婆さん

「たれじゃっ」
 白髪乱れた老婆は、まるで山姥のようで、緋紗子は、立ちすくんだ。
 しかし、老婆は、皺深い表情を和らげ、
「こんな鄙(ひな)に、客とは、魂消ることもあるもんだ。てっきり、村の悪たれかと思うた。なんじゃな、入ってきやれ」
 緋紗子は、そっと重い戸を開けてみた。
「おお、こりゃ、めんこい着物姿のお嬢さん。どこから来なすった」
「東京市からです。私は御蔵緋紗子と申します。あのう、こちらのお宅の方ですか?少しお教えいただきたいことがありまして……」
サワジリ 1

首筋 1


 勇気を出して、言った。
「何じゃな」
「この家の方々について、です。ここは、作家の東郷大作先生のご生家ですね?」
 老婆はくるりと背を向け、火箸で、囲炉裏の灰をかき混ぜてから、
「そ、それが、どうかしたかね」
「教えていただきたいのです。この家の方々、いえ、東郷先生について何かご存知なら」
「……」
「教えていただかなければならないのです」
 訴えながら、薄桃色の半襟の襦袢をくつろげ、首筋のキズ痕を見せた。
 老婆の小さな目が見開かれた。何か察したらしい。
 囲炉裏の間に、闇が濃くなっていき、その分、灰の中の朱色が燃え上がり、その色を顔面に受けながら、元は女中だったという老婆は、やっと口を開いた。

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. プロフィール

海道 遠(かなた)

Author:海道 遠(かなた)
小さい頃からお絵描き大好き
お話創るの、大好き
      ↓ 自然に
漫画家になりたい
      ↓
OLを退職。デザイン学校の漫画科へ入学
      ↓
家庭の事情で後、半年というところで退学、OLに戻る
      ↓
技量不足とひどい肩こり症のため、もの書きに転向
      ↓
結婚、妊娠、育児のブランクを経て再度ペンを持つ。
      ↓
が、コンクールに落ちる事、数知れず。
      ↓
諦めてアマの道へ

★著作★
 ペンネーム:海道 遠(かいどう かなた)
 「“海王の接吻”を抱きしめて」新生出版
 「CROSS」新風舎 
 共に全国出版、ネット販売しております。

★海棠結実(かいどう ゆみ) ペンネームで 

 【 遠雷去らず 】風詠社(鎌倉時代もの)
 全国ネット販売しております。
 

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