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浪漫@kaido kanata

. 「君の子宮に還りたい!」第1回

  「君の子宮に還りたい」

 プロローグ

 目の前に広がるのは、暗黒の大地と、漆黒のビロウドのような空。
 風……風。
 無数の梢を渡る風の声。
 もう何度も夢に見た光景だ。また今夜も。
 寒い。小高い丘の上、肌を刺すような峻烈な冷気が胸の中にまで沁み入ってきて、私は一人で自分の肩を抱きしめ立ち尽くしている。
 誰もいないの?
 耳に届くのは風の甲高い響きばかり。
 天には星の光さえなく、私は孤独の鎖にがんじがらめにされている。
 誰もいないの?
 何度目の呟きだろう。
 ふと、凍りついた風の唸りが耳の内側で和らいだような気がした。
 地平線の果てに、暗黒の扉をこじ開けるように一条の光が射したのは、その刹那。

 夜明けだ……!

 潮が満ちるように、たちまち地平を満たす清冽な光。暗黒は光に圧倒されて後退し、薄紫色の曙の神の馬車が大空を駆け抜ける。
 そして光が照らす大地には―――。

 一面の果樹。

デコポン

リンゴ青い状態





 瑞々しく円い葉を青々と繁らせ、樹液の流れる音さえ聞き取れそうな、生命力溢れる幹と枝。
 そして、その枝の先にたわわに実る黄金の果実………。
 無数に枝になり地平の果てにまで続いている。
「生命の実だ」
 あの日、優しい瞳の道化師(マックス)が囁いた。
 なんだ、一人じゃなかったんだ。こんなにたくさんの命に囲まれていたんだ。
 私は懐かしさと愛おしさに胸をつまらせ、熱い吐息を洩らし、じんとする瞼を感じながら、大地一面見渡すかぎりの生命の実を眺める。
 もう何度……夢に見ることだろう。

 樹魂大陸のこの光景を―――――。



      キャバレロ


  第一章  キャバレロの祭

 不思議な町さ、キャバレロは。
 それは碧玉海に浮かぶ小さな小さな公国の名だよ。幻想的で魅惑的。万華鏡みたいにころころ様相を変える不可思議な町。

 夜になると異形のパレードが通るよ。
 辻の物陰に息を潜めて待っていてごらん。
 ほら、信じられないものたちが通るだろう。あやかし、恐竜、骨だけのもの……。
 少しも動いちゃいけないよ。やつらに見つかったら、即座にパクリだよ。


 昼は陽気な町さ、キャバレロは。
 いたるところで踊りの輪が作られる。いつのまにか、昔そのままの友人が混じっているよ。
 二十年前の幼馴染から、昨日知り合った友人まで。あらゆる時代、あらゆる場所での友人がステップを踏みながら笑ってる。


 誰も不思議と思わない。
 昔の友人もこれから出会う友人も、皆、一緒に陽気に歌い、踊り、祝杯を上げ笑い転げようじゃないか!
 そんなところさ、キャバレロは。
 日陰で草をはみながら、連中を見守っているのさ、睫毛の長い家畜どもは。
 そらそらそら、キャバレロに紫の夜が来るよ、そらそらそら………。



 戯れ者たちの歌声が、夜風に乗って宮廷にまで届いてきていた。
 白亜のバルコニーに立ったモニク・キャバレロ――――キャバレロ公国の若き君主は、その陽気な調べに美しい口許をほころばせた。 君の子宮 モニク アップと立ち姿


 緑柱石(エメラルド)さえ及ばぬ、南海を思わせる緑の瞳は樹の炎のように輝いて、頬は白磁に珊瑚の精が宿ったよう。その輪郭をはちみつ色のシャープな前髪が縁取って、見る者から賛美のため息を引き出さずにはおかない。
 そして、その輝きには美しいだけでなく英明の証と世の中を真っ直ぐに見据える澄んだ心が含まれている。
 モニクは自らも純白の盛装に身を固め、白亜のバルコニーに水鳥のような影を落として、さも満足そうに町の騒ぎに耳を傾けていた。
 碧玉海(へきぎょくかい)の白鳥と呼ばれる小さな公国キャバレロは、三十年に一度の祭に湧き立っている。
 老いも若きも富める者も貧しき者も、三十年に一度の楽しみを味わい尽くそうと、ここ一ヶ月間祝杯に次ぐ祝杯なのである。
 連日、花火が打ち上げられ、町のあちこちで爆竹が鳴らされ、八大大陸じゅうの奇術師、軽業師、歌姫、舞姫などありとあらゆる芸人が集まってきてパフォーマンスを繰り広げられている。
「不毛のバカ騒ぎと言ってしまえばそれまでだけど…」
 モニクの唇からため息と共にそんな言葉が洩れた。耳ざとく聞き分けたらしく、背後から可愛い声をかけたのは、侍女のレリアである。
「まあ、バチが当たりますわよ、モニクさま。三十年祭がこうして迎えられるのも、お国が安泰していればこそじゃありませんの」
 とび色の巻髪を後ろで束ねて茶色の人なつっこい瞳で睨みつけるが、口許には可愛い笑窪(えくぼ)が浮かんだままで、ちっとも怖くなどない。十七歳のモニクよりひとつ年下のレリアは乳兄弟であり、大公であるモニクを名で呼んでもかまわない唯一の侍女なのだ。

君の子宮 レリア

「お前の言うとおりね、レリア」
 モニクは緑の瞳をくゆらせて微笑んだ。
 レリアの差し出すグラスを白い指で受け止める。
 とたんに、バルコニーの下から、黄色い声が上がった。
「モニク大公だわ!」

キャラデザイン担当:pooh様
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. 「君の子宮に還りたい!」第2回

「ああ、あの侍女ったらあんなに近寄って、馴れ馴れしいこと!」
「素敵ねえ、あのスラリとなすったお姿」
「三十年祭にお妃選びをなさるって噂、本当かしら?」
 宮廷で開かれるダンスパーティーに集まってきた貴族の令嬢たちである。
 そろいもそろって、うっとりとモニクを見上げているのを見て、レリアが小さな肩を揺らせた。
「憧れの的の大公さまが、私の前でだけ女言葉でお話になるとお知りになったら、あの令嬢方、どんなお顔をなさるかしら」
「レリア」
「本当ですの?お妃選びをなさるって」
「いい加減にしてよ、レリア」
 モニクにたしなめられたものの、レリアは我慢しきれず、つい吹き出してしまった。
「ごめんなさい、つい」
「私が好きで男の格好をしているんじゃないってお前が一番よく知っているくせに」
 モニク・キャバレロは女の子なのだ。
 長身で体格も良く、凛々しい顔立ちではあるけれど、正真正銘、立派な女性である。
 キャバレロでは女子は大公位を継ぐことができない。
 キャバレロ公国の大公家の正当な血を継ぐのは、モニクただひとり。
 モニクが生まれる直前に父親―――前大公―――は、亡くなり、やむなく妃はじめ公国の重臣たちは彼女を男と偽って育てたのである。
 小さな公国、キャバレロは海を隔てて軍事大国の灼谷(しゃっこく)大陸に狙われており、大公の空席という事態をつくっておくことはできなかったのだ。
 おかげで生まれてから十七年、男として育てられた。武術も勉学も、男なみに厳しく教え込まれた。

インスブルク王宮


「そりゃあ、君主としては仕方ないことよ、レリア。でもね」
 モニクは又、ため息をひとつ落とす。
 少女時代は溌剌としていて、こんなことはなかった。お転婆気質が幸いして周囲からは腕白な少年と思われ、母親と乳母と乳兄弟のレリア、そして君主の補佐アンソール・ラドモン伯爵以外にモニクが女だと知る者はいない。
 だが、近頃のモニクは女らしい翳りを時折見せて、キャバレロの美しい風景を眺めてはため息をつき、風を頬に感じては物思いに耽っている。
「お妃選びだなんて茶化さないで。私はこれでも女なんですからね」
 どこから見ても凛々しい、若き大公殿下である。だが、その裡(うち)の傷つきやすい心を垣間見たレリアは、申し訳なさそうにうなだれた。
「本当に、あなたをあの令嬢方のように着飾らせてあげられたら、どんなに美しいことでしょう」
 温和な声に振り向くと前大公妃、モニクの母親のデレマリアが神々しいばかりの美貌を夜会用の衣裳で包んで佇んでいた。
 キャバレロの上流社会の水で育った生粋の令嬢である。
「母上」
 モニクはひざまずいて母親の手の甲に接吻した。
「私はあくまでキャバレロ大公です。さっきのは失言でした。お忘れください」
「モニク、許してね」
「何をおっしゃいます、母上。モニクはあんなぴらぴらしたドレスなど大嫌いですとも」
 モニクは微笑んだ。
 意地っ張りの娘の心情をよく知る母親は、顔を曇らせたまま、それ以上は何も聞かない。
「モニクさま、そろそろ大広間へお出ましの時間です」
 レリアが促し、モニクは母親を残してバルコニーを後にした。

          ☆

「ああ、失敗、失敗」
モニクは背後に従うレリアに苦笑いで振り返った。
「母上によけいな心配をかけてしまったわ」
 レリアも怪訝そうな視線を主人に向ける。
「大公母さまが気遣われるのもご無理ありませんわ。近頃のモニクさまって、何かお悩みのご様子ですもの」
「そう見える?」
「はい」
「レリアは鋭いわね」
 そう言って尖った肩で息をついた。
 大広間へ向かう通路は、緑の通路と呼ばれている。
 東側の壁一面に、樹魂大陸の風景が描かれているからである。

 樹魂大陸。

地平線の朝日


 それは海を隔ててキャバレロのすぐ隣―――灼谷(しゃっこく)大陸とは反対側―――に位置しながら神秘のベールに包まれた世界だった。
 交易も少なく、樹魂人にまみえることも稀有である。
 薔薇色の光が地平に満ちているその風景画には、大地一面に黄金色の巨大な果実をつけた果樹が果てしなく続いている。
 モニクのお気に入りの絵だった。
 モニクはその巨大な絵の前で足を止めた。
「幼い頃、一度だけ行った樹魂大陸の風景画よ。不思議な大陸だったわ」
 レリアなもう何度も聞かされた話でもあり、モニクから悩みの内容を聞き出したくてうずうずしてもいたのだが、とりあえず辛抱して主人の話に耳を傾ける。
「母上の非公式な訪問で樹魂大陸の都へ行ったことがあるの。そこで開かれた夜会で、母上はたった一度だけ私を小間使いと称して女の子の格好をさせてくれたのよ」
 それはまだモニクが八歳くらいの頃だった。
「さぞお可愛いかったことでしょうね」
「さあ、初めてのドレスは窮屈で、早速庭の木に登ったりしていたから、しとやかには程遠かったでしょうね」
「モニクさまらしいこと。そして、その木から下りられなくなってベソをかいていたんでしょう」
「そうなの。よく覚えているわね、レリア」
「何度もお聞きしましたもの。そして、そこへ道化師(マックス)が現れて助けてくれたんですわね」
 当時、三十歳くらいの背格好のすらりとした道化師は、全身を緑の衣裳に包み、顔も左半分を緑、右半分を黄金に塗り、素顔が判らなかった。

幻想的な道化師

 地上からモニクを見つけると軽々と跳躍してきて登りつき、抱いて地上に降ろしてくれた。
 素顔は窺い知れないものの、モニクの緑柱石より柔らかな葉緑(はみどり)色の眼がとても優しかったのを鮮明に覚えている。

緑色の目の人形

 彼はそれから都の中心にそびえ生える金剛樹という巨大な樹にモニクを誘い、樹上から大陸全土を眺めさせてくれた。金剛樹は樹というより、山の規模を持つ大陸の象徴だった。
 大陸は見渡す限りの果樹の海だった。
 黄金色に光る円い巨大な果実がすずなりになった海―――。
 この絵画のように―――。

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. 「君の子宮に還りたい!」第3回

 道化師はその果実たちのこと、つまりは樹魂大陸の生態系の神秘について、まるで御伽噺のような内容を、少女だったモニクに優しく語りかけた。
 正に、御伽噺だった。
 その内容は、レリアにも話したことがない。
 あまりに夢物語のようで、口にするといちどきに樹魂の神秘の色が褪せてしまいそうで、まだ誰にも話したことがない。

 真実なのだろうか。
 あの緑の道化師が即興に創りあげたお話、それとも幼いモニクをからかったにすぎないのだろうか。モニクは樹魂大陸の風景画の前に立つ度、彼を思い出す。
 そして一面の果樹に埋め尽くされた神秘の大陸の驚くべき生態系を。
 道化師の名前も聞かなかったけれど、あれから十年近く経つから、今頃彼は四十年輩になっていることだろう。
「道化師といえば、今宵も宮廷に大道芸人たちが沢山押しかけてきているんですって」
 レリアの声に、モニクは遠い思いから引き戻された。
「たしか樹魂大陸からも来ているとか……」
「ほんとう?レリア」
 モニクは一瞬、眼を輝かせたがすぐに表情を強張らせた。
 長い通路の果てに、人影を認めたのである。
 モニクの強張った頬に、かすかに朱が香る。
 人影は、大公補佐を勤めるアンソール・ラドモン伯爵だった。


君の子宮 伯爵 6

 遠目でもはっきりと解かる体格の良さ。
 武将といっても申し分のない、鍛え抜かれた体躯である。
 先祖代々キャバレロ大公家の臣下で、先の摂政を勤めた父親の没した後、モニクの補佐の重責をこなしている。
 まだ三十歳だが、内務はもちろん小国キャバレロを取り巻く八大大陸の列強との外務折衝をも一手に引き受けている。
 彼無しには、キャバレロの政治は廻ってゆかない。
 モニクと母親のデレマリアが神とも頼る人物なのである。
 靴音も高らかに近づいてくると、彼は精悍な面をモニクに向けた。
 藍色の長髪に映える灰色の瞳。
「殿下、このようなところで何をしておいでです。臣下一同とご来賓が広間でお待ち申し上げておりますぞ」
 モニクはきまりが悪そうに睫毛を伏せる。
「わかった、今行く」
 か細い声は、女のものだった。
「殿下。もっと低く太いお声で」
 ラドモンが嗜める。
「来賓の中には、わが国を虎視眈々と狙う灼谷大陸からの使者も混じっているのですぞ。殿下が女であることが知れれば、たちまち軍隊を差し向けてくることでしょう。決して感づかれてはなりません」
「わかった」
「では、お早く。あちらでお待ちしております」
 ラドモンは広い肩につけたケープを翻して元来た通路を引き返していった。
「いつもながら愛想のない伯爵さま」
 レリアが唇を尖らせた。

モニクはさっきから轟く胸を押さえて壁にもたれかかった。
「モニクさま、どうなさったの?」
「変でしょう、レリア。私、最近いつもこうなの。アンソールに逢うたび」
「あんまり伯爵さまがお厳しいからですわ。女心をちっともわかってくださらないんだから!いくら男性の格好をなすっていらしてもモニクさまはレディよ。三十年祭にくらい、ドレスを着けて、ダンスをしてみたいと思って当然じゃないの。本当にご配慮の無いカチカチ頭ですこと」
 ラドモンの後ろ姿にあっかんべえをするレリアに、モニクは苦笑した。
「ちがうわ、レリア。ちがうのよ」
「何がです?」
 モニクの頬はすっかり薔薇色に染まっていた。
「私、誰ともダンスなんかしたいなんて思わない。アンソールと以外は」

君の子宮 3 モニク

 レリアはぽかんと口を開けた。
「モニクさま、まさかあのカチカチ頭の伯爵さまにお熱を?」



 大広間には、臣下や貴族はじめ各国からの使者がひしめいていた。
 モニクが現れるのを待って、管弦楽が奏で始められる。ひとつ、またひとつと色とりどりのレディのドレスの花がパートナーにエスコートされてフロアに出て、ダンスが始められる。
 モニクが純白のケープを脱ぎ滑らせてフロアに下りると、レディたちが一斉に緊張するのがわかった。

宮殿舞踏会 1


 誰がダンスを申し込まれるか――――その一点に彼女たちの注目が集まる。
 だが、モニクは上席の隅に控えていた、自分の侍女をフロアへ引っ張り出した。
 人々からどよめきと、レディたちからはあからさまな悔しげな声が漏れる。
「モ、モニクさまったら」
 レリアはモニクのステップについていきながら困りきって顔を向けた。
「貴族の姫方から嫉妬されるのは嫌です」
「かまうことないわよ。お願い、聞いて。私、もう苦しくて仕方ないのよ」
 レリアの真っ赤になった耳元に、モニクは密やかに囁く。
 レリアは諦めてモニクに身体をゆだねた。
 背の高いモニクに寄り添うと、レリアの顔は肩にもたれかかる高さで、つり合いのとれた一組のカップルそのものだった。
 ふたりの舞う姿を、上席から鋭い視線でラドモン伯爵が見つめている。彼の周囲にも、熱心なレディたちの誘いの輪ができていた。
「いつからですの?」
 レリアはちらりとラドモン伯爵を見やってから尋ねた。
「去年、伯爵に縁談があった頃からかしら」
 モニクはうっとりと言う。
 結局ラドモンは独身のままだが、縁談の噂がモニクに与えた影響は小さくなかった。
「それまでは、彼は政務の良き相談相手でしかなかったのに、今では眼を合わせることさえ苦しいの」
「まあ、私、ちっとも知りませんでした」
「ねえ、レリア。彼は私のことをどう思っているかしら。ただの大公としか思っていないのかしら。少なくとも、女の子とは知っていても認めてはくれないでしょうね。外見はこの通り、まるっきり男なんですもの」
「それは、大公さまであるかぎり仕方の無いことですもの」
「そうね、でも――――」
 モニクはラドモンの前ではひとりの女の子でいたかった。
 いつも歳の離れた兄のように見守ってくれ、国の柱である自分を、力強く支えてくれる彼を深く愛している。この心が女でなくて何なんだろう。
「レリア、私、彼に打ち明けようと思うの」
「モニクさま!」

宮殿大広間 1



「一生、男装を通さなければならない身よ。それはよく解かってる。彼と結ばれたたいなんて思ってないわ。でも、知っていてほしい。知っていてくれるだけでいいの。私が、彼ひとりをいつも思っていること。そうしたら、私、これからの大公としてやってゆけそう。彼以外の人の前では女でなくても構わない」
 モニクの表情はこの上なく真剣だ。
 レリアは圧倒されて、口をつぐんだ。
 一曲目が終わり、モニクは華奢な侍女を解放した。
 たちまち群がるレディたちをやんわりと交わし、席へ戻る。
 隣の席に、ラドモン伯爵が待ち受けていた。
「おふざけは終わりですよ。あなたは八大大陸のそれぞれの使者が伴ってきた美姫と踊らなければならない」
「まっぴらと言ったら?」
 モニクは頑なに言った。
「殿下。私は冗談は嫌いです」
「私もよ」
「しっ!」ラドモンの目が険しく吊上がる。「女言葉をこのような場で使われますな」
「大丈夫。あなたにしか聞こえやしないわ」
 フロアではダンスの波が退き、余興が始まっていた。
 照明が落とされ、薄闇の中に目映い花火が放たれたとたん―――、
 炎が噴き上げるように、緑のものと白のものと黄色のものが弾けとんだ。
 道化師だった。
「樹魂大陸からやってきたやってきたプレシエン一座!」
 誰かが声を張り上げた。紳士淑女は拍手喝采で彼らを迎えた。
 彼ら緑、白、黄色の衣裳に身を固めた三人の道化師はゴムマリのように大広間の空間をところ狭し跳ねまわり、柔らかい身体を自在に折り曲げて、妙技の数々を繰り広げる。
 それらは道化というより、軽業のテクニックだった。
 割れんばかりの拍手と歓声が大広間に満ちたが、モニクの目にはまるで彼らの妙技など映ってはいなかった。
 気持ちは、隣席の漢(おとこ)にのみ向けられている。
 アンソール・ラドモン。
 男として育てられたモニクが生まれて初めて心を燃やした青年に。
(打ち明けるなら今だ)
 モニクの心臓が轟いた。
 鼓動が耳の中でわんわんと響く。
 肘掛けをつかむ手さえ、感覚が無い。

「アンソール……」
「はい、殿下」
 ラドモンが真摯な眼を向ける。
「私……」
「何でしょう」
「私、あなたには……」
「はい?」
「アンソール、あなたにだけは知っておいてほしいの」
「……?」
 ラドモンの灰色の瞳が怪訝な色を帯びる。
 モニクの頬が燃え上がった。
「私が、あなたを…」
 モニクが呼吸を接ぎながら、やっとそこまで言った時、広間を跳ね廻っていた三人の道化師のうち、緑一色の青年が上席にまで空中回転してきて着地した。
 着地するなり、モニクの面前で、優雅に緑のフリルたっぷりの袖を揺らせて一礼し、
「美しき大公さまに、三十年ぶりの永(なが)の祝福をこめて――――」
 緑一色の顔面の中の、葉緑色の優しい瞳がくゆりを見せた。
 次の刹那――――緑色の掌で、モニクは顔の輪郭をしっかり抱き込まれ、唇に、緑色の唇の祝福を受けていた。
「………!」
 人々はじめラドモンも、呆気にとられて沈黙した。
 それは、献上するという種類の接吻ではなかった。はっきりと自分のものとして宣言した、大胆な接吻だった。
 唇を離されても、モニクは自分に何が起こったのか解からなかった。
 そして――――、
 帽子の先に着けられた道化特有の毛糸飾りをぽん、と背へ投げて、道化師はさらに大胆にも言い放ったのである。
 モニクが一生胸に刻印する言葉を。

「君の子宮に還りたい!」

君の子宮 帽子ダルエス


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<キャラ・デザイン:pooh様>

. 「君の子宮に還りたい!」第4回

        第 二 章  緑の道化師


 (渇いた灼谷(しゃっこく)の風景そのものなんだわ)
 軍事大国からの使者、ケリワラに逢う度にモニクは思わずにいられない。
 灼谷大陸へは行ったことがない。
 しかし、この漢(おとこ)を見る度に、未知の大国がその名の通りどんなに渇いた灼熱不毛の地であるかが、容易に想像できた。

火星表面

 使者ケリワラは五十年輩。砂トカゲのように細い体躯を前屈みにして、キャバレロ大公の前に膝をついている。その皮膚は何十年も沙漠の熱風に吹きさらされたかのように、あばたが干からびて白い粉を噴き、頭髪もまばらだ。
 しかし、モニクが嫌悪を覚えるのはこの容貌のためではない。何よりも彼の狡猾にして貪欲な目つきのためだった。
 灼谷大陸に君臨する女帝、エピデンドラに忠誠を捧げた目でもある。
 勇猛を持って知られる女帝エピデンドラも、このように乾いた皮膚の持ち主なのだろうか。
 勇猛というより女帝の噂は残忍にして卑劣極まる。彼女の制服した地には元の住民の姿が消滅するとまで言われる。
 ともあれ、この使者への応対が国の運命を左右する。
 モニクは背筋を正した。
 キャバレロ宮廷の、小さくとも豪奢な謁見の間である。玉座のモニクに付き従ってラドモン伯爵が控えている。
「映えある三十年祭、華やかに催されまして誠に慶賀に存じます。
また、大公殿下におかれましても変わらぬご尊顔を拝し奉り、このケリワラ、至上の栄誉でございます」
 血走った赤紫の目でちらちらと上目遣いにモニクを見やりながら、ケリワラが恭しく言上した。
「ケリワラ殿、お役目ご苦労です」
 モニクは作った低い声で答える。
「女帝陛下に強く来国願っておりましたが、陛下もご多忙の身、叶わなかったようですね」
「わが女帝陛下より、心からのお祝いを申し上げます、大公殿下」
 ますます慇懃にケリワラは応じた。

 しかし、強大にして広大な領土を誇る灼谷大陸に比べて、芥子粒ほどのキャバレロ公国など鼻にもかけぬ態度が彼の表情に垣間見える。
 それでいてよだれを垂らすほどに、この小さな公国を欲しがっている裏心もまた。
「ありがとうございます。エピデンドラ陛下にくれぐれも宜しくお伝え下さいますよう」
 最高の笑顔でモニクも太刀打ちする。
 十七年間、伊達に君主教育を受けてきたわけではない。
「特に、殿下。殿下のお美しさも一段と輝きをお増しになられたようですな。惜しいことです、わが女帝エピデンドラ陛下がもう少し、お若ければ陛下に添い申し上げ、両国の更なる強い結びつきの礎(いしずえ)となりましたものを」
 ケリワラの言葉に、モニクの背後のカーテンの陰にいたレリアが可愛く吹き出した。
 もう少し、どころではない。
 女帝エピデンドラは容貌こそ若々しいらしいが、その齢(よわい)何千歳か定かではないという魔女めいた噂のある女なのだ。
 一説には、滅多に見せない左手には、おぞましき毒蛇の蛇頭(じゃとう)が着いているという。

毒蛇 マンバ

 そんな魔女老婆と輝くばかりの青年大公―――よしんばモニクが本当に男であったとしても―――との縁組などとんでもない。
「見た目など、男にとっては無意味です。それよりは、武術、馬術を褒められた方が」
 モニクは鷹揚に微笑んで言った。
「モニク殿下の勇猛ぶりはもとよりのこと。しかし殿下を語るに、そのご美貌を語らずに何としましょう。お母上ゆずりのなんとも形容しようもないばかりのお美しさ、端麗さ。あの緑の道化師が女性と間違うのも無理はございませんな」
 ケリワラの口許が好色そうに歪んだ。
 モニクは悟った。試しているのだ、この使者は。キャバレロ大公が男か女か――――。
 疑いは以前から持たれていることは知っている。しかし、こうも公然と嫌味をぶつけてくるのは、先ほど、大広間で史上最低の無礼千万をやってのけた緑の道化師のせいだ。
 あの道化師があんなことを言うから―――。



――――君の子宮に還りたい!


 だと―――――?
 あれほど面食らったことはない。
 面食らうと同時に、脳天に怒りの炎が燃え上がった。普段は抑えていても、モニクの性根はなかなか厳しい。
 忍びに忍んで女であることを隠し通してきたこの身に、「君の子宮に還りたい」などと――――しかも、各大陸からの使者が居並ぶ公の場で――――これほどの無礼があるだろうか!
 しかも、しかもである。
 生まれて初めて恋の告白をしようと、熱い鼓動に身をもまれていたいたその刹那に、である。
 モニクは自分の激情に足元をすくわれた。流れのままに、腰の長剣に手をかけた――――。
 その手を大きな掌が包んで制した。
 ラドモンだった。
「樹魂大陸からのお使者はおられますかな」
 大広間中に響き渡る太い声が、異様な沈黙の満ちた空間に活気を甦らせた。
「おそれながら」
 緑一色の道化師はラドモンに一礼した。まだ若そうな肢体が優雅に折られる。
「われわれプレシエン一座が樹魂からの使者でございます」
「うむ」
 ラドモンは落ち着きはらって応じた。

「樹守―――樹魂大陸の偉大にして慈悲深き君主にお伝え下さい。ご祝福の儀、しかとお受け申し上げました、と」
「アンソール!」
 反論しかけたモニクを、ラドモンは目で制した。
「子宮に還りたい―――――とは、樹魂大陸においての最大の賛辞。男女の区別なく、わが君主モニク・キャバレロを大地の母と賛美しての褒め言葉と受け取りました。樹守どのに厚くお礼申し上げます」
(知っているの?)
 モニクはラドモンの言葉に少なからず驚く。
 彼は知っているのだ。
 樹魂大陸人種の、夢物語のような生態系を。
 幼いモニクが道化師から聞かされた話の内容を――――。
 ラドモンの言葉が無理な解釈であることは否めない。
 しかし、樹魂大陸では人が子宮に還ることがこの上なき安息とされているのは事実だ。
 ともあれ、各大陸からの使者に、モニクが女であることを露見されないために、樹魂の定命を利用した、ラドモンの機転だった。
 モニクが思っている以上に樹魂の生態系の秘密は公然のものであるらしい。
「最上の光栄でございます」
 緑の道化師は清清しい口許で微笑むと、典雅に頭を下げるや、一気に背後へ跳躍した。
 彼と一緒に登場した黄色と白一色の道化師たちも、あっという間に大衆の波に消えてしまったのだった。
 モニクの怒りはやり場を失った。わななく唇を、無理やり愛想笑いにすり替えてこう言うしかなかった。
「いやはや、この身に子宮があれば是非、応じてみたいものだが、ああもお腹の中で飛びはねられてはかなわないことだろうね」
 大広間がどっと湧いた。


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. 「君の子宮に還りたい!」第5回

 しかし、大広間を退出して、謁見室で改めて思い出してみると顔から火が出そうだった。いきなり唇を奪われたことも、である。
 葉緑色の瞳が間近に近づいてきたと思った瞬間、樹の息吹のような清冽な吐息の唇に捕らえられた。
 しかしいったん触れたそれはなんと熱かったことか。

幼いキス

 ラドモンは気がついただろうか。
 あの熱さに、一瞬眩んでしまったことを。
 我ながら忌々しくて仕方が無い。
 ふつふつと湧いてくる怒りをモニクは何とか抑える。今は、灼谷(しゃっこく)大陸使者の面前だ。
 女であることを気取られてはならない。
「いやいや私など。エピデンドラ女帝陛下の子宮こそ、この世の至上の楽園ではありませんか?ケリワラ殿」
 興味津々の視線には、辛辣な言葉で報いた。
 怒りに顔を青ざめさせたケリワラは、ケープを蹴飛ばすようにして謁見の間を後にした。

 同時にモニクは勢いよく立ち上がった。
「あの道化師(マックス)を呼べ」
「どうなさるおつもりです」
 ラドモンの目がケリワラとのやり取りを責めていた。
「ひと言言ってやらなければ腹の虫がおさまらない」
「私は女ですと宣言なさるも同じですよ」
 ラドモンの面はあくまで冷静である。
 モニクはその落ち着きはらった表情を恨めし気に見返した。
(目の前で、私が他の男性にキスされても平気なの?アンソール)
 いきなり無礼をされたことよりも、そのことの方がモニクには悲しい。思わず苛々を道化師の方への反感にすり替えてぶつける。
「だからってこのまま黙っていろというのか、アンソール」
「そうです。今、事を荒立てれば灼谷大陸に勘ぐられます」
「なぜ、そんなに灼谷大陸を警戒する」
「もちろん、わが国が狙われているからです。殿下が女だと知れば、即座に牙を剥いてくるに違いない」
「そんなことはわかっている。何故、我々が灼谷大陸にそこまで執拗に狙われるのか、それが訊きたいんだ。そもそも、何故、彼らはこのちっぽけなキャバレロを欲しがっているんだ?格別、軍事的に重要な位置でもなく、特別な産出物もありゃしない。幻想的な風物だけが取り柄の、こんな小さな小さな国の何が欲しいんだ?私は不思議でならない」
「灼谷の思惑がどうであれ―――――」
 いきなりラドモンは広い胸にモニクの肩を抱き寄せた。
「私は、いつも殿下の御側(おんそば)に」
 モニクは胸をどきりとさせたきり、呼吸さえできない。
「ほんとう、アンソール」
「ほんとうですとも。私はいつも殿下の御側(おんそば)におります。殿下をお守りしています。灼谷であろうが、八大大陸の如何なる大陸であろうが、あなたを傷つけるものを許しはしない。それがラドモン伯爵家の代々の使命であり、亡き父の遺言ですから」
「家の使命であり、故、摂政の遺言だから?」
(あなたの意思ではなく?)
 そう問うてみたいが、声にならない。
「そう、それが家の使命だからです」
 答えるラドモンの灰色の瞳が暗く澱んだ。
 あくまでモニクを護るのは主従としての思いからだけなのか―――。
 それとも、モニクをひとりの女性として見てくれているのか――――。
 モニクの切ない思いはますます募る。
「アンソール……」
 こうべを彼の胸にもたせかけた。カーテンの陰のレリアがそっと身を隠す。
 その時、小姓が入ってきて一礼した。
 モニクは急いでラドモンから離れ、表情を引き締めた。
「謁見の申し入れにございます」
「誰だ」
「樹魂の道化師どのであります」
「なに―――」
 モニクはラドモンと顔を合わせた。


「お人ばらいを願います」
 入室して、モニクの面前にひざまずくなり、道化師(マックス)は言った。
 緑色に塗りたくった顔面から真っ直ぐに繰り出してくる視線は、理由なくモニクをたじろがせた。迫力があるのだ。
 まだ若いだろう身体に溢れんばかりの魂が漲っているのがわかる。
「よかろう」
 モニクは受けて立った。
 無断で唇を奪った無礼者に一矢報いねばならない。モニクの誇りがそう告げていた。
「殿下」
 制止するラドモンをも、無視した。
 ラドモンは渋々退出しなければならなかった。
「そちらの侍女どのも」
 目敏(めざと)くカーテンの陰に隠れていたレリアも指名されて、モニクを心配そうに振り返りつつ出て行く。
 そして――――謁見の間には、モニクと緑の道化師のふたりきりとなった。

青いピエロ イラスト


 窓の外にはひっきりなしに花火を打ち上げられ、赤や緑の光が向かい合うふたりの横顔を染めては閃き散る。
「さて、キャバレロ大公に前代未聞の無礼を下さった道化師どの、人ばらいまでさせて何の用向きかな」
 威嚇するように切り出したのモニクの言葉を受けた道化師(マックス)の目が、ふと和んだ。
「大きくなられたな」

花火大会 1

(え――――――?)
 意気込んでいたモニクは肩透かしを食らった。
「忘れたのか、小さな女の子よ」
(あっ……)
 モニクの心奥深くに埋もれていた記憶が唐突に光を帯びた。
 道化師だ!樹魂大陸で樹から下りられなくなった私を助けてくれた―――。
 樹魂の神秘を語ってくれた―――。
「思い出したか?」
 青年道化師は、真っ白い歯を見せて笑った。
「えっ、だってそんなはずないじゃないの。あの時の道化師は今頃すっかり年輩になっているはずで、あなたはまだ若い―――」
 思わず女言葉で叫ぶモニクの脳裏に電撃が奔った。
「私ったら、なんて思い違いをしていたの!樹魂の男は老体で生まれて、年々若返っていくというのに―――――!」
 道化師は微笑んだまま頷く。
「そうあなたに教えてもらったのに…」
 モニクは茫然と道化師を見つめた。
 樹魂大陸の神秘が渦を巻いてモニクの脳裏に溢れた。


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. 「君の子宮に還りたい!」第6回

 樹魂の男は、老体で生まれる。
 しかも、大陸を埋め尽くさんばかりに繁る果樹の果実――――生命の実から。
 老体で生まれ落ちた男は、まもなく生後間も無い女の赤ん坊を引き取り、それを育てながら自分は若返っていく。
 そして育てた女の子が成熟し、自身もある年齢にまで若返るとその子を妻に娶り夫婦となる。
 そして女がやがて歳をとり、男も子ども時代を経て、やがて赤ん坊にまで若返ると、女の子宮に回帰して一生を終える。
 回帰のまっとうさせた女は尊敬されて、その後も平穏に余生を送り、息を引き取った後、生命の樹の根元に埋葬される。
 生命の樹は女の精気を肥やしに、また新しい実を結実させる――――。
 樹魂では、樹木と半植物性人種がまさに一体となって共存しているのだ。
 これが、少女だったモニクを魅了した樹魂の御伽噺めいた生態系の姿なのだった。
 とても信じられなかった。
 眼下に広がる果樹の根元に無数の女の魂が眠っていること。
 黄金に輝く果実の中に、老体の男が出生を待って熟していること――――。
 しかし、その生きた証が眼前に立っている。
 十年近くを経て再会した樹魂の道化師は、昔よりはるかに若いのだ。


ブダペストの王宮





「あなたは、本当にあの時の――――?」
 思わず壇上から下りて、近々と見つめた。
「樹魂の聖律(クロス)を思い出したかな、小さかったモニク」
 道化師の瞳が笑った。
「あなたは――――?」
「樹魂の道化師、ダルエス」

君の子宮 ダルエス 5

「ダルエス――――?」
 懐かしく、心の深いところに沁み通っていくような響き。
 ダルエス―――。
 ダルエス―――。
 モニクの思考は収拾のつかないまま、あふれ出る疑問を心の中で繰り返すばかりだ。
(どうして私がキャバレロ大公だと判ったの―――?)
(君の子宮に還りたいってどういうこと―――?)
(あなたは誰なの、ダルエス―――)
 道化師ダルエスは、緑の帽子を脱ぎ去った。
 波うつ蜂蜜色の巻き毛が肩にこぼれ落ち、窓からの花火を受けて煌めいた。
 緑一色を顔面に施しているものの、その顔立ちが至極端正なものであることが判る。

 彼は唐突に立ち上がり、モニクを真正面から見据えた。
「今宵は、殿下に殊の外お喜びいただける贈り物を参上いたしました。
「贈り物――――?」
「そう、贈り物です。ふだん、殿下が滅多にお味わいになれない一日を、この道化師からプレゼントいたしたく」
「………?」
「市井の三十年祭の空気をお味わいになりたいでしょう。こんな宮殿の奥から花火をご覧になっていても祭の臨場感などほど遠いですよ」
「いったい……」
 この道化師が何を言いたいのか、モニクは見当がつかなかった。
「どうですか?今さら一日だけ私と入れ替わり、道化に変装して自由に城下を歩いてみませんか」
「なんですって……!」
 モニクは仰天した。
 なんという突拍子もないことを、この道化師は言いだすのか。
「幸い殿下は上背がおありになるし、私はこの通り男にしては華奢。髪の色も似ているし、その上、私は変装の名人だし、殿下の顔に緑色を塗ってしまえば一日くらい入れ替わったところでわかりゃしません」
「正気か」
「至極」
 とりすましてモニクは男言葉に立ち返って激昂していた。
「何を馬鹿な!明日は祭のクライマックス市中パレードが予定されているんだぞ!いくら変装したところで国民の目を誤魔化すことなんかできるものか」
「では、せっかくの贈り物をふいになさると?」
「当たり前だ、馬鹿馬鹿しい」
 これ以上の謁見は無駄だと、踵を返した時だった。目にも止まらぬ速さで道化師が近づき、モニクのみぞおちに緑の拳を埋め込んだのだ。
「……!!」

美しい宇宙空間

 衝撃に身をふたつに折ったモニクの目に映ったのは、今しも弾けた球形の花火。
 そして視界は暗転した。




 嗅覚を、けだるい匂いがたゆたっていた。
 何だろう、この匂い。真珠薬、幻香?それとも噂に聞く、肌に一部に触れただけで極上の世界を味わい、時間が過ぎると永久にその世界から抜け出せぬという夢迷いの匂いだろうか……。
 香りはそれほどに謎めいて、何千年前もの秘薬を想像させた。
 そして、地面から響いてくる賑やかな囃子(はやし)。
 これは、白亜宮に風に乗って聞こえてくるなじみの三十年祭の囃子だ。下々の者だけが歌う陽気な祭歌。戯れ者の歌だ。
(いったい、ここは……?)
 モニクはようやく重い瞼を持ち上げた。
 黴(かび)くさい絨毯の上に、まるで丸太を転がすように寝転がっている自分に気づく。手足はまだ、錘(おもり)でも着けられたらようだ。
 辺りは琥珀色だった。
 漂っているのは、例の苦々しい匂いと、黄色い煙。どうやら天幕の中らしい。
 そして車座になって背を向けている数人の人影。
 その中のひとりがひょいと顔をめぐらせた。
 でっぷりと太った初老の女だ。
 腕にはどうやら赤子を抱いている。
「おや、ダルエス。やっとお気づきかね。飲みすぎだよ、まったく。悪酔いしちまって」
 その隣にいた、まだ十歳くらいの褐色の巻き毛の男の子もこちらを向く。
「あんまり飲みすぎるとトンボをきれなくなっちまうぜ。ほら、囃子が聞こえてきた。今宵はクライマックスのパレードがあるんだ、最高の人出になる。稼ぎ時だぜえ」
「パレードにゃ、宮殿の大公さまが参加されるそうじゃないか」
 そう言ったのは、コヨーテのような顔つきの痩せた男である。青白い厚い唇だけが目立つ。
「輝くばかりの青年大公さまがなんだってな」
「ひと目見なけりゃ、はるばる樹魂から来た甲斐がないわよね。絶対見てやるんだ、あたい」
 そう言ったのは豊満な黒髪の女。
(パレード……!!)

セビリア 春祭り

 モニクの脳裏に張り巡らされていた紗幕(ヴェール)が轟音と共に吹き飛んだ。
「私、行かなければ」
 バネ仕掛けの人形のように起き上がった。

 車座の一同は仰天した。
「どうしたんだ、ダルエス。いきなり」
「パレードに行かなければ。ここは、ここはどこだ。どうして私はこんなところにいる」
 我ながらヒステリックな声だが、そんなことにかまってはいられない。
「ここはどこって……プレシエン一座の天幕じゃないか。どうかしちまったんかい、ダルエス」
「ダルエスなんかじゃないって言っているだろう!」
「じゃ、誰なんだい」
「私は―――」
 キャバレロ大公だ、と言おうとして、舌が凍りついた。
 天幕の片隅に立て掛けられた楕円の巨大な鏡の中に、見たのだ。顔面を緑色一色、衣裳も緑一色の、どこから見ても完璧な樹魂の道化師の姿を!!
「わ、私は……!」
「そら見ろ、ダルエス。お前は二回トンボが得意のプレシエン一座の花形、ダルエスだろう。わかったか、この酔っ払い」
 細身の少年が腰に手を当てて豪快に笑った。車座の連中も爆発したように笑った。
 笑う、哂う、顔、顔、口、口……!


<キャラデザイン:pooh様>

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. 「君の子宮に還りたい!」第7回



 琥珀色の光の中で笑い声が反響し、モニクめがけて押し寄せてきた。
「違う!私はダルエスじゃない――――!」
 暴発した弾丸のように、垂れ幕を突き抜けて外へ飛び出した。
 とたんに全身に絡みつく祭の騒擾。音と、色と、匂いと、人々のさんざめく笑い声と狂乱と。そこは祭の真っ只中だった。
 雑多な町並みのはるか頭上にちらりと見えたのは、残照の残る黄昏の空。小さく小さく切り取られたそれは、まだ紫に燿(かがよ)っているというのに、祭はすでにクライマックスを迎えたような騒ぎだ。
 男たちが肩を組んで酒瓶をあおっている。娘たちが白粉の匂いを撒き散らしながら、姦(かしま)しく頬を上気させている。
 年寄りたちも輪になって踊り、子どもや犬もはしゃぎまくって声を枯らせている。
 爆竹が鳴る。
 花吹雪が舞う。
 色とりどりのライトが乱舞する。
 山車が練り歩く。

マディラ島の花祭り

 蹄の音を轟かせて乱入する役人たちも酔っぱらって真っ赤な顔をしている。
 男が女を肩に担ぎ上げて、裏通りへ駆けてゆく。
 それらすべてを、花火が彩る―――。
 なんという騒ぎ、なんという狂乱だろう。モニクは混乱した。
 何が何だか、解からなかった。
「おや、道化師だ!」
 子どもが叫んだ。
 たちまちモニクは衆目を集めた。

白ピエロ

「何か芸当をやってみな」
「トンボをきれよ。できるだろ」
「火のついたトーチを喰ってみろよ」
 口々にはやしたてて詰め寄ってくる。
「わ、私は……私は道化師なんかじゃない!」
 やっと言い返したひと言に、
「道化師が道化師じゃないだとう?」
「笑わせるぜ、なあ みんな!」
 血も涙も無い揶揄が集中する。
「だったら何だよ、この衣裳はよ!」
 赤ら顔の男がモニクのフリルたっぷりの胸元に手を伸ばし、リボンを引きちぎった。

「ぶ、無礼者!」
「ぶれいものだあ?」
「なに様だと思っていやがる、芸人風情が」
 ならず者に捕まってしまったらしい。
 恐ろしさと羞恥に、モニクは気を失いそうになったが、
「私は道化師なんかじゃない!」
 もう一度叫ぶや、人垣を掻き分けて走り出した。
 雑踏の彼方に浮かび上がる白亜の宮殿を、モニクは目指した。


フィレンツェ 祭


宮殿前の広場は、今、出発しようというパレードの集団と、それを見ようとする群集とでごった返していた。
 行列の中ほどにモニクは信じられないものを見た。「キャバレロ大公」が八頭立ての屋根無し馬車に乗り込んで、群集に手を振っている姿である。
 宮殿の玄関では、ラドモン伯爵がにこやかに送り出している。
「こんな――――こんな馬鹿な!」
「大公」は祭祀用の白孔雀の羽飾りのついた冠を目深に被り、顔立ちは窺い知れない。
 ただ、真っ白な歯の口許に笑みを浮かべて国民の声援に応えている。
 モニクが座るはずだった席に、深々と身を沈めて――――。
「そいつは偽者だ!本物の大公はこの私だ!」
 モニクの絶叫など群集の熱烈な歓声に紛れてしまう。
 モニクは衛兵の隙をついて、行列の間近にまで転がるように駆け寄った。
「アンソール、そいつは偽者だ!」
 声は届かないらしく、ラドモンは「大公」に慇懃な見送りの礼を終えた。
 行列が動き出し、「大公」はモニクに一瞥すら与えず列になって連なっていく。
「待て!偽者、まてえ!!」
 護衛兵の馬が声に驚き、蹄を激しく鳴らした。兵士の鞭がモニクの肩を掠める。
「邪魔だ、どけ!」
 後じさった拍子に転倒したモニクは、視界の隅に玄関に立つレリアの華奢な姿をとらえて急いで身を起こし、駆け寄った。
「レリア!私よ!」

 肩をつかまれたレリアは、ひどく驚いたらしく、息を殺さないで息を吸い込んだまま、凍りついた。
「私よ、モニクよ、わからないの?」
 レリアは落ち着きを取り戻すと、くすりと笑って肩を揺らせた。
「何の酔狂ですか、道化師さん。いくらモニクさまのお声を真似てもだめですわ。さ、おひねりを差し上げますから街で芸当をご披露していらっしゃいな」
「ちがう、レリア!私よ!モニク!」
 レリアはえくぼを刻んだまま、もう相手にしようとしない。
「レリア……!」
 モニクは絶望的に彼女の細い肩を放した。
 見送りを終えて、宮殿の中へ引き上げようとするラドモンに続いて、行ってしまう。
「アンソール、私はここよ!」
 衛兵の槍がモニクの前に立ちはだかる。


モナコの衛兵

「そうだ!」
 モニクは思い立ち、広場の噴水に走り寄るや顔を激しく洗った。二度、三度……。
 はたして、静まるのを待って水面に映した顔は、何ら変わらぬ緑の道化師のままだ。
「落ちない!――――落ちない!」
 気が狂ったように洗い続けて、それでも絶望を味わわなければならなかった。
 いつしかモニクは、のろのろと行くあてもないままに、キャバレロ国教の大聖堂に向かっていた。その場所は、パレードの終着点でもあった。
 ようやくモニクがたどり着いた時は、偽者の「キャバレロ大公」が最高司祭の出迎えを受け、馬車から降り立ったところだった。
 大聖堂を仰ぎ見てから背後の群集を振り返り、軽く右手を上げてその歓呼に応える。
 そのさまは、モニクが見てさえ、自分にそっくりの仕草だった。
(何故――――?)
 その瞬間である。黄昏の香気を引き裂いて、何かが飛んできた。
 次の瞬間、「キャバレロ大公」の純白の盛装の胸板に、一本の矢が突き立つ光景がモニクの網膜に飛び込んできた。
 地獄の阿鼻叫喚が群集を縦横に奔りぬけ――――「キャバレロ大公」はゆっくりとのけぞり、石畳の上にくず折れていった。
「大公さまが!」
「モニク殿下が!」
 群集が渦巻いて、大公の元へ殺到する中、モニクは魂を抜かれでもしたように立ちすくんだ。


           第 二 章  終わり


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. 「君の子宮に還りたい!」第8回

     
      第 三 章  樹紋占い

 船底を洗う波の音は、いつしか、モニクを深い眠りにいざなっていたらしい。
 安らかな眠りではなかった。赤や、黄色や、青や、あらゆる色の洪水が狂騰して耳をつんざく音――――歌声や悲鳴や赤ん坊の泣き声――――と共に押し寄せてきて、モニクを嵐の中の木の葉のように翻弄した。
 その中で、狂ったようにモニクは顔を洗い続けていた。 
 緑のメイクがどうしても落ちない。何度洗っても洗っても。
 その横を、まるでモニクがいないかのようにすり抜けていくラドモン伯爵とレリア。
(私よ、モニクはここよ!)
 叫ぼうとしても声が出ない。
 追いすがろうとした腕を、つかんだ者がある。振り向くと―――。



 モニクは飛び起きた。
 海の底のように青く沈殿した空気が船室に満ちている。
 一座の者たちはぐっすりと眠り込んで、高いいびきと歯軋りが聞こえるばかりだ。
 壁板から洩れる月光の中で、潮騒が不気味に繰り返されている。ここはキャバレロから遠く離れた海の真ん中なのだ。
 汗びっしょりの額を拭い、大きく息をついた。まだ心臓が轟いている。
 まだ夢の、というより、キャバレロ三十年祭の衝撃の余韻が冷めない。
 何がどうなったのか――――。
 目が醒めると、道化師の扮装をさせられていた。誰もがモニクを道化師と信じて疑わない。
 それだけでも恐慌をきたすに充分だったのに、キャバレロ大聖堂の前で、自分そっくりの「キャバレロ大公」が何者かの矢を受けて殺されてしまった。
(あれは、誰?)
(私と入れ替わったダルエス?)
 何もかもがわからない。
「大公」が暗殺された瞬間、怒涛となって殺到した群衆。モニクはその流れにのまれようとした。
 突き飛ばされ、石畳の上に叩きつけられる瞬間――――どこからか緑の触手がのびてきて、群集の動きを止められた。
 まるで生きた蛇のように、うねうねと成長しながら伸びる緑の茎は、群集を封じてモニクを救った。
「こっちだ!」
 樹魂の一座の天幕にいた褐色の髪の少年がいつのまにか側に来て、モニクを引っ張った。
「お前は……!」
「話は後!今の内に早く!」
 それからどこをどう走ったものか――――。
 気がつくと、港から小さな船に乗せられていた。一座の連中が先に乗り込んで待ち受けており、モニクを迎えた。


金色の船

 あくまで道化師ダルエスとして。
「大公」暗殺の衝撃が小さな公国を駆け巡り、あっという間につい昨日のことのようにも思えるし、十日も経ったようにも思える。
 時間が経つにつれ、衝撃は冷めるかと思われたが、相変わらずモニクの悪夢は続いた。
 焦燥も色濃くなっていくばかりで、日夜モニクを苛む。
 得体の知れない樹魂の大道芸の一座の面々。一向にモニクの言うことに耳を貸さず、口裏を合わせたようにお前は道化師ダルエスだ、の一点張りだ。
 船は波を蹴立ててひた走りに走っている。どこへ連れていかれるのか―――。   




 いや、それよりも、キャバレロのことが心配だった。
 偽のキャバレロ大公が三十年祭のクライマックス――――それも、大聖堂の正面で、しかも群集の面前で暗殺されてしまったのだ。
 あれは果たしてダルエスだったのか。
 あれから国では、どうなっただろう。
 国民たちは、さぞや慌てふためき、臣下たちも恐慌をきたしているだろう。
 レリアは、母上は――――。
 モニクは、いてもたってもいられなくなる。
 のんきに波の音を枕に、一座の者と雑魚寝(ざこね)している場合ではないのだ。
(今夜こそ――――)
 今夜こそ、洗いざらい事の真相を聞きだしてやろうと、モニクは甲板へ登った。



 案の定、少年はひとり、甲板に立って暗い海を眺めていた。
 一座の座長だというプレシエンである。


半月 1



暗い海

 こんな子どもが?と、モニクは最初思い、すぐに彼が樹魂人であることを思い出した。
 見かけは子どもでも、彼は生まれてから何十年も生きてきた漢(おとこ)。
これからも若返り、赤ん坊になっていく人種なのだ。
「やあ、眠れないのかい?」
 帆柱に吊るされたランプの光を受けて、少年の瞼と耳たぶが翡翠色に輝く。樹魂人の特徴だ。
「眠れたとも。ぐっすりとね」
 モニクは皮肉っぽく応えた。
「プレシエン」
「何だ?」
「いい加減に猿芝居はよせ。私をいつまでこんな顔のままにしておくつもりだ」
「お前は始終そのメイクのままじゃないか。ダルエス」
「猿芝居はよせと言っている!」
 モニクは猛然と少年の肩につかみかかった。
 少年は落ち着きはらって苦笑いを浮かべた。
「わかった、離せよ。ちゃんと言うからさ。――――樹魂に着くまでだよ、モニク姫」
「やっぱり―――」
 モニクの推測は当たっていた。
「やっぱり、今までのは、おとぼけだったんだな。私をモニク・キャバレロと知って無理やりダルエスと取り替えてかどわかしたんだな!どういうつもりだ、プレシエン!何を企んでいる!仮にも一国の主(あるじ)を誘拐して、ただですむと思っているのか!」
「誘拐などするつもりはない」
「言い逃れするつもりか」
「勘違いしてもらったちゃ困る。俺たちはあくまであんたを救ったんだぜ」
「なに……」
「あんたがもし、あのパレードに参加していたらどうなっていたと思う?優雅に船旅を楽しんでなんかいられなかったはずだぜ」
 プレシエンの思慮深げな褐色の瞳に揺るぎはない。
「じゃ…あの場所で暗殺が行われることを、お前たちは知っていたというのか!」
「ご名答。正確には俺たちが、じゃなくて、ダルエスが知っていたんだけどな」
 少年は片目を瞑ってみせた。


ピエロ ブランコ

 モニクの脳裏に緑の道化師が甦った。
 宮廷のダンスパーティーで、無礼極まりない行為をしてのけた漢(おとこ)――――。
 しかも、モニクの胸奥深く、大切にしまわれていた樹魂大陸での思い出の中に住んでいた優しい瞳の道化師――――。
「それじゃ、彼は私の身代わりになって、矢を受けたというのか!」
 思わずモニクの唇から激しい言葉が迸(ほとばし)っていた。改めて、大聖堂前での惨事の光景が脳裏に甦る。
 キャバレロ大公の祭祀用の白孔雀の冠がゆっくりと傾き、矢は純白の衣裳の胸を貫き――――。
 恐ろしい光景だった。
 青ざめるモニクに、プレシエンは落ち着きはらった表情で、
「大丈夫、あいつはあんなことでへこたれたりしない。なんせ、このプレシエンが直々に抜け身の技(わざ)を伝授したんだからな。そのうち脱出してきて元気な顔を見せるだろ」
「あんなことになって生きているっていうのか?」
「あんたの緑柱石(エメラルド)色の瞳にかけて、誓ってもいいぜ」
 もう一度軽くウィンクされたモニクは、猛然と行動を開始した。甲板に備えられていたボートの綱を解きにかかったのである。
「おい、何をする気だ」
「キャバレロへ帰る!お前の言うことが真実であれ、真っ赤な嘘であれ、これ以上ここにいる必要はないだろう。私は私の国を放ってはおけないんだ!」
「無茶言うな。ここはキャバレロ公国から二百海路も離れているんだぜ。こんなボートで、しかも女の細腕で帰りつけるわけがないだろう!」
 プレシエンは慌てて止める。
「それに、今帰ったって、その顔じゃ誰も大公さまにだってわかっちゃもらえないぞ」
 緑のメイクのままであることを思い出したモニクは、いっそう悔しさがこみ上げた。
 思わず少年にむしゃぶりついていた。
「この化粧を落とせ!」
「まだ、駄目だ。樹魂に着くまでは、灼谷(しゃっこく)大陸の領海をとおらなければならないから。それに――――」

輝く海


 少年は申し訳無さそうに肩をすくめた。
「それに?」
「俺にも出来ないんだ。緑のメイク落としの木の実はダルエスだけしか持ってなくて」
 モニクの肩に今までの疲れがいちどきにのしかかってきた。

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. 「君の子宮に還りたい!」第9回

 しぶしぶ脱出を諦めて、船室に戻ると、太った初老の女がグズつく赤ん坊をあやして部屋を歩きまわっていた。
 他の者たちが目を覚まされて寝返りをうっている。
「うるせえな。黙らせろい」
「こっちは花将棋でさっき寝付いたばかりなんだぜ」
 寝ぼけ声で文句を言ったのは、コヨーテの顔つきの痩せた男と、プラチナブロンドの美少年。
 共にダルエスと一緒にキャバレロ宮廷で、鮮やかな軽業ジャンプを披露してみせた道化師たちである。
 コヨーテは黄色の道化師ジャッロ。
 美少年は、白の道化師ビアンコ。
 コヨーテの隣で豊満な胸を反転させた若い黒髪の女はロゼオと言って、ジャッロと夫婦だということだ。
 しかも、彼女は少年座長プレシエンのひとり娘だという。


黒髪日本人

 美少年の伴侶は、何年か前に病死したとかで、独り者だった。つまり、彼は赤ん坊から大切に育ててきた回帰するべき子宮――――自分の最終安息の場―――を失ってしまったのだった。
 常識を覆す家族関係に、モニクはともすれば混乱しがちだった。
「今にあんたたちだってこんな無垢な赤ん坊になっちまうんだよ、我慢しな」
 男たちに負けじと言い返す初老の女はグレーセ。樹紋占いというのをやるらしい。
 年齢は少年座長と同じくらいと思われる。口はきついが人情の厚そうな女性ではある。抱いている赤ん坊は、もちろん、彼女と苦楽を共にしてきた伴侶のロッソである。
「おや、どこへ行ってたんだい、ダルエス」
 グレーセはモニクの姿を認めると細い目をいっそう細めて言った。
「お芝居はもういい。プレシエンがすべて話してくれた。モニクは肩をすくめてみせた。
「おやおや、そうかい。モニク大公さま」
 そうあっさり認められるとどんな顔をしていいのかわからない。まるで近所の女の子にでも声をかける気軽さだ。こんなにも距離を置かない接され方に慣れないモニクは、狼狽した。
「お前たちは私をどうする気だ。樹魂まで連れていってどうするんだ」
「私たちはあんたに大切な用があるのさ」
「大切な用―――?」
「そう、樹魂の運命を左右する大切な用事」
 一瞬、温和なグレーセの表情が引き締められた。モニクが息をのむほどの峻烈な容貌になっていた。
 「何も心配は要らないよ。プレシエンと、ダルエスを信じていりゃ大丈夫さ」 すぐにグレーセは元の人の良さそうな老女に返っている。銀の入れた歯をむき出して笑い、またひとしきり泣く赤ん坊を揺すぶった。
「具合でも悪いんじゃないのか」
 モニクが赤ん坊を覗き込む。


泣く新生児

「そうじゃないのさ。子宮への回帰が間近いんだよ」
 グレーセは愛しげに赤ん坊の頬を撫でる。
 グレーセを赤ん坊の頃から育てた樹魂の男は、もうじき長い一生を終えて妻の子宮に還っていこうとしているのだった。
 樹魂の聖律(クロス)をまっとうしようとしている夫婦の微笑ましい姿がそこにはあった。
 しかし、ここまで生きた証人を目の当たりにしても、モニクの常識はなかなか配列を変えられない。


 「君の子宮に還りたい!」


 不意にダルエスの言葉が思い出された。
(彼もこんな小さな赤ん坊になってしまうのか――――?)
(何故、最終の安息場所に、私の子宮を選んだ――――?)
(その前に、本当に生きているのだろうか。私の身代わりとなって胸に矢を受けて――――)
「あっ……」
 思わずモニクは小さく叫んでいた。
(もしかして私の身代わりになったのは、私の子宮を、自分の安息場所を護るため?)
(バカね!もし自分があの矢で死んでしまったらなんにもならないじゃないの!)
 そうまでして護りたかったダルエスの執念のひと端を感じて、モニクは茫然をする。
 突然、甲板から操舵手の声が聞こえてきた。
「灼谷大陸海軍のご検閲だぞ――――!」
 一同は眠い目をこすりこすり、やっとのことで起き出した。

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. 「君の子宮に還りたい!」第11回



 港に入り、ようやく樹魂の大地を踏んだのは、それからまもなくのことである。
 小さな港で、町もさほど広くはない。
 岬の突端にこんもりとつき生えているのは、金剛樹の枝と聞いてモニクは驚かずにはいられなかった。


大樹 1

 大陸の中心に位置する金剛樹の枝が地下茎を経てこんな海岸部にまで達しているとは。
 金剛樹の根が地下の奥深くにまで繁茂し、大地一面の果樹とすべての根と繋がっており、さらには、樹魂大陸とは、実は大陸ではなく金剛樹の根の塊(かたまり)が大洋に浮遊しているのだという伝説も、あながち嘘とは思えなくなってくる。
(果樹といえば―――)
 モニクは見てみたかった。
 幼い日に見た壮大な眺め。


デコポン

 大地一面に広がる生命の実のなる光景を。
 町を抜け、一気に岬まで駆けて金剛樹の枝に登り、内陸を眺めようとした。
 顔を緑に塗られていようと、キャバレロから無理やりさらわれてきたことも、この時モニクの念頭からは消えた。
 ひたすら求めた。
 幼い頃から何度も夢に見た光景を――――。
「………!」
 そして、モニクの瞳は衝撃に空洞と化した。
 黄金に輝いて鈴なりになっているはずの実などひとつもありはしない。
 港町の内部に広がる大地は、枯れ、赤茶けて朽ち果てた果樹が延々と連なる死の世界だったのだ――――。

    
    第 四 章  回帰


 上陸してからは幌つき牛車での旅となった。
 車を引くのは樹魂大陸特有の半植物偶蹄目、葉牛(ようぎゅう)である。
 累々と横たわる果樹の屍(しかばね)の原を貫く銀色の道を、葉牛車が行く。

黒牛

(こんな…こんなことになってるなんて…)
 葉牛を操るプレシエンの傍らで、モニクは震えながら一面の朽ちた果樹を見渡している。
(これが本当にあの樹魂の果樹の原なの?ひどい…どうしてこんなことに)
 あまりの惨状に唇はわなないてしまう。
 「驚いたようだな、モニク」
 プレシエンが葉牛の手綱を握って行く手に眼を投げたまま話しかけてきた。
「いったい何が起こったんだ、ただ事じゃないな」
「そう……ただ事じゃない。樹魂始まって以来の危機だ」
 一見落ち着きはらった少年の横顔が、深い焦燥と悔しさを含んでいることを、モニクは感じる。
「何故、こんなに枯れてしまったんだ。あれほど瑞々しかった果樹がすべて」
「……」
「お前たちにとって果樹が枯れることは人種存続の危機だろう?」
「その通り」
 表面上はあくまで少年は動じない。
「いったいどうしてだ、何故…」
「モニク、悲しい?」
 プレシエンに言われてモニクははっとする。いつのまにか頬が濡れていた。
「嬉しいよ、君が泣いてくれて。それほどこの大陸のことに親身になってくれて」
「私は…」
 モニクが乱暴に頬を拭い言い返そうとした時、ロゼオが荷台から顔を出した。
「父さん、ロッソがいよいよ今夜あたり回帰を迎えそうなの。どこか滞在できる村は無い?」
 か細い泣き声が途切れ途切れに続いていた。
 グレーセの腕に抱かれた小さなロッソの声は、今にも消え入りそうである。
 「座長、急いで回帰師を捜しておくれ!ロッソが苦しそうだ」
 グレーセが緊迫した声で頷いた。

花と赤ちゃん

「この丘を越えたところに小さな村がある。ジャッロ、ビアンコ。先に行って回帰師を捜してくれ!」
「わかった」
「プレシエンの指図を受けた白と黄色の道化師は、荷台から飛び降りるや、葉牛車を追い抜かし地平の彼方へと駆けてゆく。
「回帰師とは何だ?」
 モニクがプレシエンに尋ねる。
「子宮への回帰を手助けする者だ。特別の霊力を駆使して金剛樹の助けを借り、伴侶の子宮へ回帰者を送る。樹魂の大地が認めた者にしかその資格は与えられない。どこの村にもひとりはいるものだ」
 回帰師とはシャーマンの性格を帯びたものかもしれない……と、モニクは思い、背後のグレーセとロッソを見やった。
 かつての夫婦は老婆と赤ん坊になって迫りくる回帰を待っていた。

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. プロフィール

海道 遠(かなた)

Author:海道 遠(かなた)
小さい頃からお絵描き大好き
お話創るの、大好き
      ↓ 自然に
漫画家になりたい
      ↓
OLを退職。デザイン学校の漫画科へ入学
      ↓
家庭の事情で後、半年というところで退学、OLに戻る
      ↓
技量不足とひどい肩こり症のため、もの書きに転向
      ↓
結婚、妊娠、育児のブランクを経て再度ペンを持つ。
      ↓
が、コンクールに落ちる事、数知れず。
      ↓
諦めてアマの道へ

★著作★
 ペンネーム:海道 遠(かいどう かなた)
 「“海王の接吻”を抱きしめて」新生出版
 「CROSS」新風舎 
 共に全国出版、ネット販売しております。

★海棠結実(かいどう ゆみ) ペンネームで 

 【 遠雷去らず 】風詠社(鎌倉時代もの)
 全国ネット販売しております。
 

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