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浪漫@kaido kanata

. 小説「碧き琥珀に眠れ」第23回


     第 六 章   蘭の誘惑


冬麗の女神が凶暴な冬狼を放って琥珀回廊を席巻し、その純白のヴェールで隈なく覆ってしまったのは、それからほどなくのことだった。
来る日も来る日も雪は吹き荒れ、人々の往来を麻痺させた。回廊の中でも比較的温暖なメレア公爵領は海に面しているため降雪量こそ少ないものの、その肌を刺すような寒風の洗礼を受ければたいがいの者は、あの城下こそが冬麗の女神のお旅所だと確信せずにはおれないのだった。
そんな厳しい寒さの中、毎日のように公爵の城から城下や城壁の外の森へ、毎日のように出かけていく女と子どもがあった。
リダとロピである。
忽然と消えてしまった仲間を求めて、芥子粒ほどの手がかりでもえられはしないものかと、懸命に捜し続けるふたりだった。
だが、夕暮れ、城へ帰るふたりの足取りは決って重かった。
過日、彼らを襲った竜蛇軍らしき男たちはよほどの手練れであるらしく、完璧に尻尾を隠しおおせていたのである。
白い包帯で首から吊った右手がうずくたび、リダの脳裏に残忍な襲撃者たちの記憶が甦り苦しめる。
真円の黒眼鏡にあごひげの男。キャスケードにさえかたくなに拒否した身体を無理やり開かせ、踏みにじったあの男。
(あいつだけは赦せない。どうしても)
悔し涙でぼやけた視界に、黙々とかたわらを歩くけなげな少年の姿が映る。
(今はマドカたちを捜すことが先決だ)
リダは顔を上げて勇気をふりしぼる。
「ねえ、リダ。おいら、ほんとは見たんだ」
しょんぼりと地面を睨みながらロピが言う。
「何を?」
リダは足を止めた。
「パルドさ。タルタルーガが殺されるのを見て、一目散に逃げちまったんだ。いちばん逞しいくせして。なんて意気地なしだ。なんて腐ったやつだ。おいら、おいら、父ちゃんになってほしいと思ってたのに!」
リダはしゃがみこんで少年を抱き寄せた。
「誰だって逃げ出しちまうよ、いきなりあんな目にあったら」
「誰だって?それじゃジャレツも?」
「あの人は・・・・」
ジャレツもまたプロの人捜しとしてのカンを駆使して八方を捜索し続けていたが、困難を強いられていた。
そんな中、時間を見つけては公爵城のリダを見舞い、子どもの気を惹きそうな遊びでロピの相手をつとめる。決して金には代えられない誠実さだ。自分とキャスケードのため迫害を受けた人々に心からすまないと思っているのがしみじみと感じられた。リダとロピには彼の来訪がどれほど心強いことだろう。
(あの人が竜蛇皇帝のクローンだなんて)
リダはとても信じられない。
「今度いつ来るかな、ジャレツ。来たら、公爵様から馬を借りて乗せてもらおうっと」
少年の涙はもう渇いている。
「ジャレツ、母ちゃんみたいなのタイプかな。だったら父ちゃんになってくれるかな」
「どうかな?」
リダは思わず苦笑した。パルドッサムに幻滅して傷ついた少年の心を、いつしかジャレツは埋めてくれている。
「そのためにも一日も早くマドカを捜そうね。ロピ。それにパルドが逃げたってことは生きてるってことじゃないか。希望を持とう」
小さな背中を叩いて立ち上がった時である。家並みの軒先から小さな影が飛び出して、すぐ消えた。
「リダ、今の!」
「うん!」
ふたりはうなずきあうが早いか、影を追って夕暮れの城下を駆け出した。
確かにあれは小ザルだった。カンナの仕込んだ一座の小さな仲間だ。
ごみごみとした貧しい家並みが連なる辺りで見失ってしまった。刻一刻とむらさき色のとばりが濃くなってゆき、視界がききにくい。
「あっ、あそこ!」
ひときわ貧相な廃屋同然の人家を、ロピは指差した。なるほど屋根の上に小さな生き物が数匹、右往左往している。
「棟梁、ザリガニ、テング!」
ふたりが名前を呼ぶと、サルたちはいっせいに耳をそばだて「気をつけ」をした。そして次の瞬間、我先にとなだれ下りてきた。狂喜してふたりにまとわりついた。
「やっぱりお前たちか。カンナと一緒かい」
リダが問うと、一番年かさの棟梁が誘うように傾いた人家に入ろうとする。
その時、隣の母家らしい家から太った赤ら顔の中年女が出てきた。
「あんたたち、婆さんの知り合いかい?」
「婆さん?」
「少し前にうちの物置を貸してくれって住み込んだはいいけど身元が判らなくて困ってるのさ。眼が見えない風なのに、朝から晩まで花嫁衣裳にかかりきりで縫っていて、狂ってるとしか思えないよ」
聞くが早いかリダは飛ぶようにお粗末な家に駆け寄り、扉を押した。
「カンナ!」
ランプの芯が燃えつきかけて揺れている。
黄昏が忍び込み、紫の沈殿した部屋の中でしなやかな純白の絹が輝いていた。
繊細なメレンゲのレース、縫いつけられた夥しい数の真珠たち。壮麗なひだの重なり。
王侯貴族の花嫁衣裳としても通用しそうな手のこんだ品であることはひと目でわかる。
その裾にひとりの女がうつ伏していた。
「カンナ!」
リダは走り寄った。
カンナは針を握りしめたまま、こときれていた。たった今まで息があったようだ。
すっかり白髪頭になりはて、それでもウエディングドレスを縫い上げた満足感に、安らかな笑みを浮かべて―――――。
森で襲撃を受け、亭主のタルタルーガを殺されて仲間ともはぐれ、それでもリダの頼んだことだけは一心に仕上げたらしい。
縫い上げたとたん精も根も尽き果てたのか。
「カンナ・・・・・・」
震える手でドレスを持ち上げたリダの目が、いっそう驚きを乗せた。
ドレスの襟の内側には、はっきりと「LIDHA」の文字が刺繍されているではないか。
マドカもリダも同じように可愛い。でも、これがカンナの苦悩の末の選択だったのだ。
「カンナ!目を開けて!目を開けて!私をおいてかないでよおお!」
揺さぶっても頬をさすっても応えはない。
「ジャレツ!」
背後でロピが叫んだ。
振り向くと、丈高い彼は戸口で蒼白な顔をして立ちすくんでいた。
「どうした、リダ!」
「ジャレツ!カンナが・・・・私の母親みたいなカンナが死んじゃった、死んじゃったああ・・・・」
こみ上げる嗚咽を隠そうともせず、リダはジャレツの胸に飛びこんだ。彼の大きな掌ががっしりとリダを抱きとめる。
抑えに抑えていた涙が吹き出し、子どもみたいに大声で泣いた。この広い胸でキャスケードは何度泣いたのだろう。何度だって泣きたい。これほど暖かく、懐かしいのなら何度だって。そんなことを思いながら、リダは泣いていた。


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. 小説「碧き琥珀に眠れ」第24回

カンナはリダの希望でエレクトロン海を一望できる小高い丘に、夫のタルタルーガと共に手厚く葬られた。
リダとロピは肩を寄せあって墓標の前にぬかづいた。
ジャレツはその様子を見守りながら、彼らにとってこの冬がいっそう陰鬱なものになったと感じた。

* ***********************

やがて渇いた雪にほんの少し湿り気が加わり始めた頃、琥珀祭の噂がメレア公爵領内に流れ始めた。
数千年も続いているという伝統ある祭であるが、今年は竜蛇に割譲されてしまったこともあり、開催は無理だろうと城下の民たちは思い込んでいた。そこへエレクの総督府から許しが出たというのである。
城下は、ひさかたぶりに色めき立った。

* *****************************

リダは用心深く断崖に沿って細い階段を下りていった。
海からの寒風はまだまだ強く、左手だけでは岸壁にへばりつこうとしても足元が心もとない。
(これじゃ綱渡りなんてとても無理だ)
巡業を再開できるのはいつのことか。実現できるのだろうか。このまま一座を解散することだけはイヤだった。
ネコ族のこととて得意げに先に下りる薔薇豹にはげまされて、やっと海岸に下り立つ。
男はいつもの黒い革の上下で波打ち際に立ち、沖を見つめていた。
視線の先には朱色の竜蛇艦隊が、長い冬を越す渡り鳥のように雪混じりの烈風を耐えて停泊している。
白い砂を踏みしめてリダは歩み寄った。
「カンナの葬儀を何から何までありがとう」
「人捜し稼業失格だな」
ジャレツは沖に目をやったまま応えた。
「俺がもう少し早く発見していれば死なさずにすんだだろうに。残りのキャスと蘭づかいの女性に関してもまるでお手上げだ。この上は――――――」
この上は、やはり敵の本拠に連れ去られたとみて母艦に乗り込むべきなのか。
かつて共に竜蛇の双の牙と呼ばれたカイドーや、皇帝その人―――――――リシュダインにまみえなければならないのだろうか。
艦隊を睨みつつ、ハラをくくろうとしていた。
「キャスのこと心配だろうね」
リダが彼の憔悴しきった背中に言う。
「あんたこそあいつに惚れていると見たが?」
「なんでよ、やぶからぼうに」
突然の暴露に、リダは慌てた。
「あんたの俺を見る眼が舅を見るそれだ。すこぶる心外だが」
「舅―――――――?」
ふたりはお互いをまじまじと見つめてから、吹き出した。薔薇豹が不思議そうにリダの足元にまとわりついて見上げる。
「ああ可笑しい。こんなに笑ったの、何日ぶりだろ」
「笑うと魅力的だ。あんたいつでも男装束だが、もったいないぞ」
「さすがキャスの師匠だけのことはあるね。それ、弟子には真似できない落とし文句だよ」
ふたりはまた笑った。
紺碧の海を、目を射る白い波頭が何枚も押し寄せるさまを見やりながら散策した。
海岸のあちこちに琥珀の礫が転がっている。
海底の地層から波にさらわれて打ち上げられたのだ。飴色、暗紅色、トパーズ色、様々な琥珀が転がっているのはさすがに琥珀海岸ならではの風景だ。
かつて、碧き琥珀も乙女を抱いたまま、この海から引き上げられたという。
ジャレツが小さな礫のひとつを掌に乗せて眺めていると、リダがつぶやいた。
「私の父さん、この絶壁を渡ろうとして失敗したんだ」
彼女の目はそそりたつ絶壁を見つめていた。
「いつか雪辱を晴らしたいと思っていたけど」
包帯の右手を情けなく見下ろす。綱渡り師にとってはほんの小さな怪我でもバランスを乱す要因なのだった。
ジャレツが肩にぽんと手を置くと、リダは寂しく笑った。岸壁上の公爵城も琥珀の塔も風に啼いている。雪がひどくなってきた。
「そろそろ戻ろう」
城の裏手の階段を絶壁伝いに登った。リダの手をとって登っていたジャレツの足が不意に止まった。
「どうかした?」
「――――――いや」
彼は黙々と琥珀の階段を登り、リダをいつかの血の色の門へといざなった。
「こんなところに門が」
リダは驚いた。公爵城は子どもの頃から出入りし、隅から隅まで知り尽くしていたつもりだったのに、この古めかしい門の存在を知らなかったのだ。
門をくぐると一面の蘭の園。これは城の窓からも見える。マドカは巡業の旅に出る前、この園から蘭をごっそり仕入れて旅に出るのが常だったが、リダがここへ足を踏み入れるのはまったく初めてである。
「なんてきれい・・・・」
寒さにめげず蘭はいよいよ狂おしく咲き乱れここだけは常春か常夏といった風情だ。
「それにしても古いな。この場所は」
「古代人の遺跡を礎石に、公爵城は建てられているのだそうよ」
ジャレツの鋭敏な感覚がまた何かを捕らえたようだ。背後の塔を肩越しに振り返る。
「ジャレツ?」
「何か聞こえたか」
「ううん」
「俺には聞こえるんだ。公爵城へ来るたびにきっと聞こえる。女の・・・・」
「あんたに捨てられた――――――」
女の怨みの声だろ、とふざけようとして、リダは思わず言葉をのみこんだ。
さっきまで冗談を言い合っていた男と同一人物とは思えない。それほど、その時のジャレツは遠く感じられた。
殺気ではない。が、その声とやらを聞き分けようとする彼のおもてはかぎりなく近寄りがたく、他者を拒絶している。
「ジャレツ・・・・」
リダの心に冷たい風が吹き抜けた。打ち解けたように思っても、決して彼の心の奥を覗くことはできないのか。真摯な視線を独り占めしたがっている自分に、リダは気づいた。
いつのまにかこの男は自分の心に深く根ざしている。クローンであろうがなかろうが、そんなことはどうでもいい。
彼に拒絶されるのは辛い。漆黒の瞳が欲しい!
「ジャレツ!」
彼の視線が塔から舞い戻ってきた。
研ぎ澄まされながらもそれはなんと優しい光だろう。キャスケードが、あの甘えん坊が恋しがって涙を流したわけがわかる。
息がかかるほど間近に彼のあごの線がある。
リダはためらいながら伸び上がって彼の唇に自分の唇を重ねた。
触れて、すぐに離れた。
「あんたが何処かへいっちゃいそうだったから、つい」
言い終わる前に、今度は彼女の方が火の様な接吻を受けていた。
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ジャレツの手が彼女の右手を気遣いながら背中に上り、抱きしめる。最初はやわらかに抱いていた手が黒のジャンプスーツに次第に深いひだを刻んでゆく。
蘭の強烈な芳香がふたりにまといついてきた。まるで呪縛だ。
彼ら自身、蘭の一部に変化してしまったように蔓を、茎を伸ばし、巻きついて、狂おしく唇を求めあう。
蕊が熱を帯び、蜜が沸騰した。
薔薇豹がふたりの足元で甘く鼻を鳴らした。
風に揺れる蘭のざわめきが耳に甦ってくるまで、しばらくの時間をふたりは要した。
深々と息を吐くと、ジャレツは息をひそめて激情の時間が遠のくのを待った。あまりに激しい抱擁の余韻がなかなか去らない。
「悪かった・・・・。蘭に酔ったらしい」
「私も・・・・」
蘭のせいなのか。
普段はこの上ない紳士の彼を酔わせたものは何だったのだろう。塔を見つめているうちにつき動かされたかのようだった。
誰なんだろう。彼を駆り立てたもの。
蘭の香りがリダの脳髄にもしみ入っている。
自分の心さえ、ジャレツを愛してしまったのか、キャスケードを嫉妬したのか、キャスケードを愛するがゆえにジャレツに嫉妬しているのか――――――混乱した。
やはり蘭の香りに酔ってしまったのだ。
リダはジャレツの肩にこうべをあずけたまま、別れ際の恋人たちのようにとめどなく蘭の園を巡った。
その様子を、じっと凝視する老いた眼があった。メレア公爵は城の窓からふたりをいつまでも見つめていた。静かな、しかし憤怒と憎悪が燃えたぎる炎をたたえて――――――。

. 小説「碧き琥珀に眠れ」第25回

塵ひとつない母艦司令部の床を、細いブーツが甲高い音を響かせる。
少年皇帝は部下の居並ぶ前をふてぶてしい表情で通り過ぎ、フロアの最上段の席に着いた。前方に広がるのは紺碧の大海原。
直立不動の姿勢を保っていた母艦の搭乗員たちがきびきびと任務を続け始める。
皇帝に影のようにつき従う老婆が素早い身ごなしで背後に控えた。鈍色に輝く長衣をまとった、床を舐めるようなふたつ折れの身体。床に届きそうな黄みがかった白髪を一本のみつ編みにし、オリーブ色の皺深い頬はかつて薄紅色であった時代もあったのだろうが、今となっては想像もつかない。
参謀の筆頭格、幽鬼婆である。
何年生きているのかは、それこそ皇帝リシュダインしか知らぬ。
老婆は司令部を見渡すと、皺深い口元に一本だけ残った黒い歯を根元まで見せて、どうやら笑ったらしい。
「小賢しい青二才、いや尻の青いガキめらが敵味方こもごも、虫けらのごとく動き回りおる様子」
皇帝リシュダインは応えず、正面に見える海の彼方の古城を睨んでいる。
細いあごの少年皇帝は老婆の参謀とあまりにも対照的で、それゆえ似合っていた。
「そのようにご心痛は必要ありますまい、陛下。あまりにご竜顔を曇らせられては、あまねく世に光が射しませぬゆえ」
皇帝の口元が嘲笑を浮かべた。
「のんきでよいのう、死ぬと判っている者どもは」
「何と仰せられまする」
「人間、死ぬと判っておればこそいさぎよい生き方もできるというもの。余のようになまじ永遠の命を持ってしまった者は、かえって命に執着し、醜態をさらしてしまう」
「なまじ、は中途半端な者に使う言葉。陛下は何事にも完璧な方でございますとも。そのお命、完璧にとこしえの繁栄を続けるでございましょう」
死んだ魚のような白濁した目で老婆が言った時、大柄な黒い長衣の男と銀の仮面を着けた男が御前に膝をついた。
「モーガイと、カイドーか」
ふたりはそろって平伏していた。
「お前たちはいつまで余を待たせる気か。特にモーガイ」
総督モーガイはぴくりと肩を動かした。
「お前はいったん捕らえた蘭の名を持つ若者を取り逃がしたらしいな。このカイドーが奪回しなければ、まんまと逃げられていたところだ」
「も、申し訳もございませぬ」
仮面の下から洩れる声は恐怖に震えている。カイドーは鼻の先でかすかに笑った。
「して、いつ碧き琥珀に眠る乙女を手に入れる」
「もうしばらくのご辛抱にございます陛下」
カイドーの答えに、皇帝は焦れた。
「その返答は聞き飽きた。よい、ひまつぶしにその、蘭の名を持つ者に対面する。ひきたてよ」
カイドーはじめ、モーガイ、幽鬼婆も息をのんで顔を上げた。

* *************************

「さわるな、つってんだろ!俺は野郎に触れられると反吐が出る、血圧も心拍数も狂っちまうんだああ!」
皇帝の船室のはりつめた静寂は、廊下からの野蛮な怒号にかき乱された。部屋の隅にいたカイドーが素早くカーテンの奥へ身を隠す。囚われの者の目に触れられたくないらしい。
両脇を屈強な海軍兵士に支えられ、引きすえられてきた若者は、真っ向から竜蛇大陸に君臨する不死の少年皇帝を見返した。
「雑魚の分際でなかなかの面構えよの」
それが皇帝リシュダインの、キャスケードに対する第一声だった。
囚われの若者は襲撃された時の着の身着のまま、手枷をはめられ両手の自由が効かない。
相当痛めつけられたらしく、身体のあちこちに血をにじませている。だが、怒りと緊張のためにらんらんと燃える瞳の青とキツネ色の渦巻く髪は峻烈な美しさだ。
「青い瞳がドラゴン尾根の氷河のようだ」
この男を、ジャレツは守り育てたのか。余を捨ててまで。いや、余を滅ぼすために。
皇帝の心の奥が波立った。
「名は」
「キャスケードと申します」
かたわらに控えるモーガイが仮面の奥からくぐもった声で応えた。
「確かに蘭の名だ。しかし、こんな青二才に大役がつとまるのか」
「おそれながら」
皇帝の背後に控える幽鬼婆が、
「この婆にも感じられまする。この若者の持つ力。碧き琥珀に眠る乙女を目覚めさせる能力を」
「ふうむ」
皇帝は大きく息を吐くと、命じた。
「皆の者、はずせ」
「しかし陛下」
「はずせ」
カイドーと婆はしぶしぶカーテンの奥へ、モーガイは部屋の外へと退出した。
それを見届けると、皇帝は薔薇豹の毛皮の縁取りのあるマントを肩の向こうへ投げ、囚われの者に歩み寄った。
キャスケードは喉の内側からせりあがってくる恐怖と戦っていた。恐ろしい。怖いのだ。
不死のばけものと対面するなど。
できることならわめきちらし、海へ飛びこんででも逃げ出したい心境だ。だが、彼の貧弱な肝はそれさえできずに相手を睨みつけることだけだった。
皇帝の指先がいきなりあごを持ち上げた。キャスケードはその人間離れした冷たさにぞっとした。冷たいばかりでなく、かすかに湿り気のある感触はまるで爬虫類だ。
「さわるなつってんだろうが!俺は野郎に触れられると――――――」
それでいて顔立ちは、三日月形のトパーズ色の瞳を黒に置きかえれば、ジャレツの少年時代を彷彿とさせるのだからタチが悪い。
慕わしさと強い嫌悪が入り混じり、キャスケードの胸の裡が不協和音を奏でた。
「嘘を申せ」
指先がキャスケードのあごをくるりくるりともてあそび、少年はあらゆる角度から獲物を眺めた。
「幾年も、ジャレツに夜も昼も区別なくさぞ可愛がられたのであろう」
キャスケードの眼元に稲妻が奔った。
「てめ、皇帝のくせになんて下劣な想像をしやがる。俺たちはそんなんじゃねえぞ!」
あごから喉を辿っていた少年の手がいきなりキャスケードの横っ面に炸裂した。
恐竜の尻尾にはねとばされたような衝撃。
「哀れよのう」
「哀れ?」
「お前はジャレツに利用されているのだ」
「―――――――?」
聞き捨てならぬ言葉をつきつけられたキャスケードのボルテージが急上昇した。
「貴様、白鳳大陸ではあやつの相棒気取りだったというではないか。本当にそう思うていたのか」
応える代わりにキャスケードは眉間をしかめた。
「愚か者めが。貴様などあやつにとり、ただの手土産にすぎぬわ。あやつは余を裏切ったことを悔いておる。帰参したがっているのは先刻承知だ。おのれの愚かさを痛感して、余に許しを請いたがっていることもな。貴様はたまたまかの能力を示す、蘭の名前を持っていたばかりにあやつに拾われたにすぎぬ」
その言葉はキャスケードの心臓をクサビのように貫いた。
嘘だ、嘘だ、と打ち消そうとしても、皇帝の顔を見ていると信じざるを得ない。
「所詮、クローンはオリジナルの意志に逆らえぬもの。ジャレツめもまたしかり」
「・・・・・・そ」
キャスケードは呻いた。
「そんなことあるもんか!ジャレツが、どんなに心を砕いて親身になって俺みたいな孤児を面倒みてくれたか、ちっとも知らねえくせして大きな口たたくな、このばけもの!」
「ほう」
さも愉快そうに、三日月形の瞳が細められる。
「では貴様は知っているのか、竜蛇時代のジャレツを」
「―――――――!」
キャスケードは詰まった。
「知らぬであろうが。いかにあやつが余に忠実であったか。いかに余を崇拝していたか。いかにしもべとなりはて、身も心も捧げていたか!」
「なんだと―――――――!」
「余が朝に邪魔な人間の首を所望すれば、夕べの晩餐には献上した。就寝前に敵将のこどもを全て抹殺せよと命ずれば、目覚めの献上品として数十の子どもの心臓を持参した。余の寝言で謀反の疑いある者の名を聞けば、午後のサロンにそやつのえぐった目玉をグラスに入れて披露した」
「やめ・・・ろ」
耳をふさぎたいが両手の自由が効かない。キャスケードは身をよじった。
「そして閨ではこのうろこの光る膚を丹念に愛で、極上の夢を見せてくれた」
「やめろおおおおお!」
キャスケードの口から獣のような咆哮がほとばしった。
悪夢の時間だ。こんな瞬間が存在するとは。やがて船室に波の音が甦り、ひたひたと満ちてくる。
皇帝はまだうっとりと追憶に酔いながら、シャンデリアを仰ぎ、立っていた。
「まこと、あやつほど余に尽くした男はおらぬ・・・・ジャレツ」
千年分ものやるせないため息をついた。
「あやつに余を裏切れはせぬ。裏切れるはずがない。細胞の示す本能を無視できはせぬ。余こそあやつの神。余こそあやつから全てをかけて愛される存在。貴様などでは断じてない。貴様は利用されたのだ」
「・・・・・・・」
「無知は貴様の方。心して話せ」
キャスケードは放心してあらぬ方角を見つめていた。
「どうだ、憎いか、あやつが。憎め、激しく。憎むがいい、貴様を翻弄し、踏みにじったあやつを」
皇帝はしゃがみこみ、彼の耳にささやく。
「余とてあやつを赦すつもりは毛頭ない。今度はこちらがあやつを踏みにじってくれよう。どうだ、黄金蘭の名を持つ若者よ、あやつに煮え湯を飲ませてやらぬか?」
薄紅の唇が残忍な笑みを乗せた。
一刻の後、囚われの若者はひったてられてきた時と同じく海軍兵士に両脇を固められて退出した。兵士らの、また山猫みたいに暴れるだろうという予測を裏切って、若者は憑きものが去ったように従順だった。
ただ退出する際、モーガイにひと言もらした。
「蘭づかいの女に逢わせろ。二ヶ月も女ッ気無しだとゼンマイが狂っちまわあ」



. 小説「碧き琥珀に眠れ」第26回

ひとり部屋に取り残された皇帝リシュダインは、何かに耐えるように背を丸めて床にうずくまっていた。
カーテンの奥から幽鬼婆が現れて歩み寄る。
「陛下、なぜあのような偽りを・・・・・」
少年皇帝は慟哭していた。
「お婆。あやつ、赦せぬ。ジャレツのやつ。見たか、あの若者の艶やかな膚。余のうろこの浮き出るおぞましき膚とは大違いだ。見たか、あの青い宝玉の瞳。余の醜い三日月の瞳とは大違いだ。見たか、あの輝かしいばかりの若さ。余の数千年を経て苔むした命とは雲泥の差・・・・」
「おやめなされませ、陛下」
「ジャレツはあの若者にうつつをぬかし、大切に側に置いて愛でていたという・・・・。余の願いは一度も聞いてくれたためしがなかったというのに!一度としてこの孤独な魂を慰めてはくれなかったというのに!」
リシュダインは老婆に抱きついて号泣した。
「おいたわしや、リシュダインさま。ジャレツめの忠誠はうわべだけのものだったにすぎませぬ。陛下のおん為を思うているのは、この幽鬼婆――――――かつての陛下の寵姫だけでございますとも。でなければ、誰が陛下の玉座を脅かすとて、我が子を十数人も手にかけましょうや」
先々代の陰惨な寵姫時代を、婆は回想した。
「ジャレツめのことなどきれいさっぱり忘れておしまいなされませ」
「お前にはわからぬ!」
少年は邪険に老婆の骨ばかりの身体を押しのけた。
「陛下、なぜ・・・・なぜ何百人も存在するクローンの中で、ジャレツにのみそのようにご執心あそばされますのじゃ。婆は先から不思議に思うておりました」
「お前にはわからぬ!」
少年の忍び泣きが床を這った。

* *************************

窓に鉄格子のはめられた薄暗い船室に、蘭の鉢がところせましと並べられていた。
息苦しいほどの香りが立ち込めている。
キャスケードが入っていった時も、女は奥の壁に向かい、ガラスの容器を振ったりちろちろと燃える火にかざして蘭の調合に余念がない。と思うと、急に容器を落として、わっと泣き伏す。
「さぼるな!」
キャスケードが怒鳴りつける。
「だって、だって、あんたは気にならないのかい?」マドカはスカートを握りしめた。「一座の仲間たちがどうなったか。見ただろ、タルタルのお師匠がやつらに無残に殺されたのを!ああ、ロピは無事だろうか。エクリュドはやつらに捕まらずにあの子をハラの中に入れて逃げてくれただろうか。リダや、カンナや、パルドはどうなってしまったんだろ。私たちと一緒にこの船に連れてこられていないようだし・・・・キャス!あんた、よくも平然としてられるね!」
「・・・・・・・」
キャスケードの脳裏に、カイドーの手の者に襲撃された夜の光景が甦った。
抵抗しようとしたが、しょせん百戦錬磨の彼らには毛ほども歯がたたなかった。あっというまにマドカとふたりだけ、見事な手際で拉致され、目隠しされてしまった。
目隠しされる直前に見た光景は、鞭に伸ばそうとしたリダの手が青い閃光とともに半分吹き飛び、その後、男たちによってたかってジャンプスーツを引きはがされようとしているところだった。
キャスケードはやにわに近くにあった欄の鉢を持ち上げて、壁にたたきつけた。
鉢はけたたましい音をたてて壊れ、土飛沫と苗がばらばらになって降りそそいだ。
「なにすんのさっ」
マドカが物凄い形相で立ち上がった。
「あんたこの前、皇帝に対面してから人が変わっちまったんじゃないのかい?眼の色変えて蘭を調合しろだなんて、あいつらの言いなりになっちまってるのかい?いったいどうしちまったのさ、何をかんがえてるのさ」
「うるせえ。お前は言われたことだけやってりゃいいんだよ。さっさと蘭のくすりを作りな!」
キャスケードは投げやりに言った。
「やっぱりそうだ、大金でもちらつかせられて、あいつらに寝返ったんだ。チキショウ」
マドカが憤然とつかみかかってきた。
「いや、最初からあんたが元凶だったんだ、私たちは長閑に巡業してただけなのに、あんたが疫病神なんだ!あんたなんか、あんたなんか、拾わなけりゃよかった、あのまま海岸でドザエモンになっちゃえばよかったんだあ!」
マドカの目の前に火花が炸裂した。キャスケードが顔を張り飛ばしたのだ。女の身体は床にたたきつけられ、あまりの衝撃に頭を持ち上げることができない。
キャスケードはその赤い縮れ毛を乱暴につかんで彼女の頭を持ち上げ、血の吹き出る唇を忌々しげに舐めた。
「琥珀祭までに言われたものを作れ。わかったな」
虚ろな眼でマドカは見た。あれほど陽気だった若者の双眸に修羅が宿っているのを―――
―――。



. 小説「碧き琥珀に眠れ」第27回

   第 七 章   漆黒の蘭一対


琥珀祭。
数千年も続く、琥珀回廊の最大の行事である。回廊の人々はメレア公爵領の最大の行事である。回廊の人々はメレア公爵領で開かれるこの祭りの一週間のために、琥珀にかしづいて日々を送っていると言ってもよい。
貴族たちはいかに素晴らしい細工の琥珀を職人に作らせるか。職人はいかに素晴らしいデザインの意匠を凝らして世の中に披露できるか。労働者はいかに自分たちの産出する琥珀の中から質の良い物をみつけられるか―――――――。
目的はそれぞれ違えど、回廊の人々の琥珀祭に寄せられる関心は並々ならぬものがある。
特に、最終夜にメレア公爵城で催される夜会には回廊ばかりでなく、大陸全土から琥珀に目のない貴族が集い、令嬢や婦人に身につけさせて美を競い合う。
黄金色あり、血の色あり、暗褐色あり。
目の覚めるように美しい細工物がずらりと出そろう晩になることは間違いなかった。

********************************

寒さも、この数日間ばかりは琥珀祭の熱気に気おされ、影をひそめている。
ジャレツは城の窓から海岸で打ち上げられる花火を浮かび上がる花火を眺めていた。
琥珀の古塔が色鮮やかな花火に浮かび上がり、なんとも幻想的だ。
公爵は最近うって変わったようにジャレツに滞在をすすめ、旅籠に泊まるといって断る彼をむりやり泊まらせては、やれ晩餐だ、お茶だともてなしている。
「お年寄りの気まぐれでしょ」
とは、リダの見解だ。しかたなく、いや、ありがたくジャレツは公爵の歓待に甘んじている。
「今年はつまんないな」
ジャレツの横で一緒に花火見物をしているロピがもらす。
「去年までは、毎年琥珀祭の主役はリダだったんだぜ。ほら、お城の屋根の上をずっと歩いてみせるんだから!」
城の屋根はかなり急な勾配である。頂点の稜線は一本の綱と変わりはしないだろう。
「すごいな、そりゃ」
「だろ?」
ロピは自分のことのように得意げに鼻の下をこすってみせた。
「おいらも、できるようになりたいな」
「ロピならできるぞ。がんばれ」
「うん!」
今年、鮮やかな技を披露して喝采を浴びることのできないリダはさぞ悔しいだろう。ジャレツは思い、先日の蘭の園でのことに思いを馳せた。
塔からの呼びかけが耳にこだました、と思ったとたん、得体の知れぬ衝動に捉えられ、リダを抱きしめていた。
情熱的なリダは魅力にあふれているが、彼女自身に惹かれたのではない。
誰か別の存在を間近に感じたのだ。
いつか、どこかで覚えがある。リダのように闊達で聡明な娘。愛していたに違いない娘。
誰だったのか――――――。
蘭に罪を着せたものの、どうもあれ以来リダとふたりきりになることを避けてしまう。彼女も自分もたった一度の接吻に感傷的になる歳でもなければガラでもないというのに。そうではなく、罪悪感に苛まれているのだ。彼女自身を求めてのことならともかく、その上彼女がキャスケードを愛しているとわかっていながら軽はずみな行動をしてしまったことに。
ここはやはり、蘭に悪者になってもらうのが最良の策だろう。卑怯にもジャレツは逃げた。
「ここにおらえたのか、ジャレツさんや」
勢いよく扉を開け、メレア公爵が入ってきた。
琥珀祭が始まってからというもの、公爵はめっぽう上機嫌で三十歳も若返ったかのようだ。普段は召使に対しても怒りっぽいのに、喜色満面で饗応の準備を指図している。
「貴公からもすすめてやってくだされ」
公爵の背後から、遠慮深げにリダが入ってきた。
「明晩のダンスパーティーに出席してはどうかと思うての。つらいことが多々あったが明晩だけはきれいに忘れて踊ればいいではないか」
「で、でも」
「若いのじゃ、楽しむがよい。お前は去年まで屋根渡りの芸当を披露して、娘らしい恰好で出席したこともないのじゃからの」
公爵は亡き妻や娘の衣装のうち、どれを着てもよいと勧める。
「でも・・・・」
リダの表情は暗く翳る。右手の傷はもう癒えて包帯はとれているが、やはり気にせずにはいられないのだろう。
無理もない。ジャレツは彼女の困惑した顔を見つめていたが意を決して、
「よし、おいで。ロピも」
なおも渋るリダの背を押した。
城の衣裳部屋には、人が一生毎晩着飾っても着きれないほどのドレスがそろっていた。
「やめてよ。私にピンクや若草色が似合うはずないでしょ。それに、大切な人が死んだばかりだし不謹慎よ」
「そりゃ、俺だって女の着る物のことなんかちんぷんかんぷんだが」
ジャレツとロピは部屋中ひっかきまわし、リダのおめがねに叶うデコルテを捜した。
「これはどうだろう」
迷いに迷った結果、ジャレツが探し出した一枚に、リダの目がようやく止まった。
それは漆黒のシルクのデコルテで、全体に細かい黒曜石が縫いつけられており、光線の具合によって冬の夜空みたいにきらめいた。
デザインも、膝に下りるほどすぼまり、裾であでやかにフリルを広げた大人っぽいもので、肩幅の広いリダには似合いそうだ。
黒なら喪に服するいろでもあり、それでいて舞踏会にふさわしく華やかで、何よりリダの銀青色の髪と白磁の肌がよく映える。
「だって、胸のカットがこんなに深いし、背中だって腰まで丸出しじゃないの!」
「平気、平気」
ジャレツは強引に決めてしまう。
「それにほら、これにはこんな長い手袋がおそろいになってるよ」
ロピの言うとおり、対の手袋は肘を隠す丈のもので、甲の部分にふんだんにレースやフリルがあしらわれており、リダの傷を目立たなくさせるにはうってつけだった。
「ほほう、いいものを選んだのう」
公爵が入ってきた。手には、黒いビロードのケースを持っている。
「それなら、この琥珀にぴったりじゃ」
言いながら示したケースには、人の拳ほどの碧い宝石が燦然と収まっていた。
ジャレツはじめリダもロピも、ごくりと喉を鳴らしてその輝きに見入った。
「琥珀じゃよ。琥珀祭には琥珀を身に着けないと出席できないのを忘れたか?」
公爵はかか、と笑った。
「わしの亡き愚妻の形見じゃが明晩だけ貸して進ぜる。リダ、これを着けて踊るがよい」
「もったいのうございます、公爵様」
リダは茫然と受け取った。ずしりと重い首飾りだった。
「公爵、もしかしてこれは・・・」
ジャレツが鋭く尋ねる。またしてもうとんじられるかと思ったが、公爵は意外にもあっさりと認めた。
「いかにも。塔に安置している碧き琥珀の乙女のかけらじゃ」
(やはり・・・・・)
なんという深き碧。それでいて触れてみると温かい。琥珀は人肌より温かいのだ。
この碧い中に閉じ込められているのか。数千年も―――――――。
見たい。ジャレツは渇望した。公爵に申し出ようとした時、ロピがぼそりと言った。
「で、リダ、誰と踊るの?」
「そりゃ・・・」
一同の視線が誰からともなくジャレツの方へ集まった。



. 小説「碧き琥珀に眠れ」第28回

「公爵!」
階下へ向かう老公爵を、ジャレツは呼び止めた。
「何じゃの。リダのパートナーの話ならもう決ったことじゃ。撤回はさせぬぞ」
「タキシードさえ勘弁くださるなら」
「ま、致しかたない」
公爵は苦笑してうなずくと、きびすを返そうとする。ジャレツは重ねて呼び止めた。
「待ってください」
「まだ何か用かな」
「琥珀を見せていただきたく・・・・」
公爵はやおら振り向いた。
一変して額には気難しい皺が刻まれている。
「碧き琥珀かな」
「そうです。逢わせてほしい。その中に眠るといういわくの乙女に」
「何故あんたが」
「逢わなければならないのです」
竜蛇皇帝が狙っているものですから。とは、とても口にはできないジャレツだ。
竜蛇皇帝の手に渡すことはできない。もしそうなれば、皇帝はまた永い永い命を得て、血塗られた世界を広げてゆくだろう。
繁栄に行き着くのではなく、滅亡にむかって――――――。
キャスケードと、碧き琥珀に眠る乙女だけは、ジャレツの命に代えても皇帝に渡すことはできなかった。
でなければ、竜蛇を出奔した意味がない。皇帝を裏切った行為も水泡に帰す。
老公爵は沈痛な面持ちでしばらく考え込んでいたが、やがて震える手でジャレツについてくるよう示した。
裏庭に出る。花火が続いていた。
腹に響く衝撃と、見物人の歓声がもれ聞こえる。先を行く老人の年輪を経た横顔を、花火の鮮やかな光が彩った。
おそらく公爵が他の人間を塔の最上階に上げることを許すのは、ジャレツが初めての人間と思われた。ジャレツは幸運に感謝した。
蘭の花々にまといつかれて、琥珀の血の色の塔は立っていた。
両開きの扉も琥珀造り、内部の床、壁、階段にいたるまですべてが琥珀でできている。
ところどころに原始の葉や昆虫を抱きこみ、色の濃淡もさまざまな琥珀は有機物で温かみがある。ただ、あまりに永い年月を経ているためにおどろおどろしい。
円柱形の内壁に沿って、螺旋階段を燭台ひとつ持ったきりのメレア公爵が先にゆく。
カツンカツンという靴音が円柱の中をかけめぐり、蝋燭の火を受けてゆらゆら揺れる人影が巨人のように伸びてゆく様は、大の男にとってもあまり気持ちのよいものではない。
ヤモリが燭台の火に驚いて、顔のすぐ側の壁をにげてゆく。足元を横切るのはネズミか。
燭台の明かりの届かぬ天井に蠢いているのはコウモリだろうか。
そして―――――――老公爵とジャレツはようやく階段を昇りきった。
目の前にはいっそう頑丈そうな扉がたちふさがっている。裏庭の門に刻まれた古めかしい竜の紋章である。
公爵は携えてきた大きな鍵で錠前を開けた。
ジャレツの胸が高鳴った。
滅多なことで動じない彼にすれば、珍しいことだ。だが、息苦しいほどの鼓動を、どうすることもできない。
重々しい軋みを響かせて、扉が開かれる。
ジャレツの視界が碧に染まった。
瞬時に深海に来てしまったのか、と錯覚を起こすほどの碧の世界。
塔の最上階の床ほとんどを占めた琥珀のかたまり。その巨大さに、ジャレツは度肝を抜かれた。
そして――――――。
その中ほどに、まるで水槽に浮遊する人魚のように、清らかな乙女がいた。
一糸まとわぬ生まれたままの姿を胎児のように、できるだけ小さく折り曲げている。
琥珀のせいなのか、碧く染まった肌と髪。
薄い瞼は閉じられ、憂いを含む眉は何をそんなに哀しんでいるのかと問いたくなる。
唇は紅と琥珀の碧が混じりあい、アメジスト色に見える。半開きの口元からは真珠の歯。
ジャレツの内側――――――――奥底の深い深い部分を金属音がつきぬけた。

アンバーヌ―――――――!

その名がするりと出てきた。
自分はこの乙女を知っている。今こそ判った。今まで、城を訪れるたび呼びかけてきたか細い声は彼女だったのだ。
(ジャレツ・・・・)
(違う、ジャレツ、ちがう・・・・)
(私を・・・・)
しきりに助けを求めていたかのような、あの呼びかけ。何を訴えようとしているのか。
だが、今は彼女は沈黙している。
こんなに間近に来たというのに。
何だ、この俺に何を訴えたいのだ?竜蛇皇帝のうろこの一片から作り出された、生態系に許されざる存在の俺に。皇帝に永遠の命を補給することのできる神秘なお前が何を言いたいのだ!
思わず足を踏み出し、琥珀の表面に触れようとした時―――――――、
「触れることはならぬ」
断固とした老人の声がジャレツの手に突き刺さった。
明り取りの窓の外でひときわ大きな花火が炸裂した。
花火の明かりを背に負った老公爵が、一瞬禍々しいかたちに見えた。
ジャレツは我に返った。
「これは申し訳ない」
ともかく琥珀の乙女は公爵の所有物なのだ。
琥珀の表面に細かい文字のようなものがびっしりと書きこまれているのに、ジャレツは気づいた。
「これは古代文字ですか」
「おそらく。しかし、解読されておらぬし、させるつもりもない」
公爵は老いた目を潤ませ、琥珀の乙女にあてた。
「これはわしのもの。わしだけのものじゃ。何者にも渡しはせぬ。この世の始まりからそう決っておる」
「まるで生きているようだ」
「生きて?」
公爵はさも頓狂なことを耳にしたように、大袈裟に反応した。
「ほっほっほ、ジャレツさん。これは数千年も前に琥珀に閉じ込められたのですぞ。生きているわけがない!」
「はあ」
「もし生きているとすれば、それは何かの罰を受けているのじゃ」
「罰―――――――」
たとえば、夫を裏切ってとるにたらぬものと愛とやらを貫こうとしたとか―――――の」
「・・・・・・!」
心の中を汚れた手でまさぐられ、大切なものをひきずり出されたような不快感が、ジャレツを襲った。
「ほっほっほ、年寄りの酔狂な想像じゃよ、ジャレツさん。そう真剣に考えこまんでよろしい。わしは神話世界の痴話が好きでの」
「・・・・・・」
「これで気がすんだかな?あんたは運がいい。滅多に人には見せぬわしの宝じゃからの」
公爵は退出を促した。
連発する色とりどりの花火が、琥珀をいっそう幻想的に彩る。
(お前がどういう所以で琥珀などに閉じ込められたのかわからんが・・・・、竜蛇皇帝の手には渡しはしない。アンバーヌ)
ジャレツは何度も振り返りながら部屋を後にした。背中に、瞼を閉じているはずの乙女の視線が感じられた。
花火は続いている。

. 小説「碧き琥珀に眠れ」第29回

その弾ける球形を海上から眺める目がある。
停泊する竜蛇母艦のデッキから、幽鬼婆が食い入るように琥珀祭の様子を見つめているのだった。
老婆は海面に目を落とし、苔むす吐息を吐いた。
「どうなされたかな、婆どの」
甲板を、長い民族衣装の裾を風にひるがえらせて近づいてきたのは真円の黒眼鏡を眼元に張りつかせた長身の男。
「カイドーどのか」
婆はちらりと相手を見やったのみで、すぐに視線を波間に戻した。カイドーは花火を見やり、
「くっくっく、もうじき琥珀の乙女を我らがいただくとも知らず、祭りにうつつをぬかしている老いぼれ公爵め」
「首尾は」
「モーガイに任せてある。先日の汚名挽回のため、奮闘するだろう」
笑うと、竜ぜん香がいっそう強く漂った。
「一刻もはよう陛下に琥珀の乙女を献上したいものじゃ」
老婆は珍しく弱気なようだ。
「往年の女参謀がどうなされた?」
「陛下じゃ。近頃情緒が不安定でおられてのう」
「十四、五の年頃には毎代のことじゃないのかな。その辺りは三代にわたりお仕えしている婆どのの方が詳しいと思うが」
「いかにも。しかし今度の代では特にはなはだしいようじゃ。原因はあの男じゃ」
「ジャレツ――――――か」
「何故、陛下はあの男のこととなると、ああも感情的になられるのじゃろう。英明のほどが曇ってしまわれる。あのお方は竜蛇大陸に君臨する身でありながら、真綿でくるまれた赤子同然なのじゃ」
「・・・・・・」
カイドーも海面に目を落とし、黙りこんだ。静かな嫉妬が足元からひた寄せてきた。
「クローンなど、お望みなら際限なく作れるではないか。そのうちのひとつが小癪にも裏切ったとて蚊にかまれたほどのことでもあるまいに、なぜ・・・ああまで」
「婆どの」
カイドーの黒眼鏡がかぐろなる光を発した。
「私は以前から疑問に思っていたことがある。宮廷の研究所で生産されるクローンはすべて<竜のあぎと>で軍人としての訓練を受ける。私が訓練教官だった当時―――――」
<竜のあぎと>は竜蛇大陸軍部の少年訓練養成機関である。
より優れた精鋭をつくるため、大陸全土から少年を半ば強制的に連行し、肉体的にも技能的にも一人前の戦士をつくり出す。
その厳しさたるや、言語に絶すると言われている。軍人になれるか、死か、のどちらかを少年たちは選択させられる。
「どうも私の記憶では、ジャレツはスラム街から捕獲されてきた孤児だった。研究所から大量に生産されてくるクローンたちとは、別のルートで連行されてきたようだ」
「クローンが<竜のあぎと>に入る前に、一般社会に放たれることはまずないが」
「では、何故だ。ジャレツだけが何らかの事情で一般社会にこぼれ落ちたとでも?」
「ううむ」
婆はうなった。
「カイドーどの。おぬし、まさかジャレツがクローンではないと言いたいのかえ。では、あの顔は何と言い訳する。恐れ多くも、陛下がご成人の暁にうりふたつ」
「ところで私の父が竜蛇国教の最高司祭であったことはご存知だな、婆どの」
話題を変えた彼に老婆はうなずいた。
「内容はもちろんわからぬ。が、ジャレツが出奔する直前、陛下が懺悔に見えられたと聞いたことがある」
「な、なんと!この婆にも打ち明けられずに懺悔に!」
「あるいは父があることを陛下に教えてさしあげた―――――――とも考えられるが」
「最高司祭がいったい何を」
最高司祭は不死ではないものの、幽鬼婆にまさるとも劣らぬ長命だった。下々の者が知りえぬ事実を知っていたとしても不思議はない。
「父が亡くなった今となっては、陛下ご自身の御口からお聞きするほかないが」
「それができるくらいなら」
老婆の額に脂汗が浮かんだ。
(もしや)
歳は婆の十分の一程度であれ、重圧的なカイドーに質問する勇気は、幽鬼婆にはなかった。
(もしや、この男こそ父親からすべてを聞いて・・・・いや聞き出すためには、父親の命など何とも思わぬ男じゃからの、カイドーめ)


. 小説「碧き琥珀に眠れ」第30回

すっかり舞踏会の飾りつけをされた大広間を三階の吹き抜けから眺めたジャレツはうなった。
蘭の園が移動してきたのかと思うほど、蘭尽くしなのだ。
「こいつぁヤバイぞ」
彼と顔を見合わせたリダは耳の付け根まで真っ赤になった。
「今度蘭に酔ったら歯止めがきくかな」
リダはかたわらのロピに、
「ロピ、あれちょうだい」
「あれって?」
少年は七三に分けて艶やかに整えられた頭髪の頭をかしげた。
「ほら、あれ。いつもマドカがあんたに飲ませてただろ、蘭の解毒薬」
「ああ、ホタルノミズマクラか」
少年のポケットから取り出されたのは、何かの木の実の干したものらしい。リダは暗褐色のそれをつまむと、ひとつはジャレツの口へ、もうひとつは自分の口へ放りこんだ。
「何だこりゃ」
「我慢して。これさえ飲んでおけば欄に酔わないから」
ジャレツは四苦八苦して、渋いとも苦いともつかぬ丸薬を飲み下した。ちょうど通りがかった給仕から取ったカクテルのグラスを一気飲みしてようやく落ち着く。
「つまりあんたは」ジャレツはリダを睨んだ。「こんなまずい物を飲んででも、先日の事態を避けたいってわけだな」
「ま、そういうことだね」
リダはつんと肩をそびやかし、手を差し出した。ジャレツはそれを乗せた。
「おい、ジャレツ」下からロピが睨みつけた。「リダがこんなにきれいだからって、惚れちゃだめだぞ。おいらの母ちゃんの方がオッパイでかいんだからな」
「わかりました」
ジャレツは肩をすくめた。
早くも大広間はあふれんばかりの来客たちで満ち、ダンスが始まろうとしている。
ジャレツは緋色の絨毯が敷きつめられた階段を、リダの手を引いて一段ずつ下りていった。昨日選んだ黒のデコルテが素晴らしく映えて、今夜のリダは近寄りがたい美しさだ。
続々と到着してくる名士の令夫人や令嬢と比べても見劣りしないどころか、彼女ほど麗しい淑女は見当たらない。
髪には漆黒のカトレヤをあしらい結い上げているので、長いうなじがいっそう際立ち肩から背中の白さは雪より白い。
肘の上まで覆う手袋は長い腕にフィットし、一段ずつ階段を下りるたび、裾のフリルにひしめきあう黒曜石がこぼれるように煌く。
そして堂々とみなぎる胸に燦然と輝くのは、今宵の来客たちの垂涎の的、碧き琥珀だ。
門外不出、公爵の秘宝、碧き琥珀を身に着けたレディがいる。
一同はため息で彼らを迎えた。
そして、そのレディをエスコートしている男がまた風変わりだったので、一同はちゅうもくした。
盛装すべき祭りのクライマックスだというのに、彼はノーネクタイであるばかりか黒い革のジャケットの上下に長いブーツを履いている。髪はとても櫛を入れられたとは思われない。そして、眼元にはまるで仮装舞踏会に使うような仮面を着けていた。
黒一色のこの一対の男女を彩るように、足元を薔薇の文様の毛皮の獣がまといついてはなれない。
ワルツが流れ始めた。
それぞれに手のこんだ細工の琥珀を身に着けた令嬢たちが、パートナーと共にステップを踏み始める。
その様は飾りつけの蘭を圧倒するほどに、華やかな情景だ。
漆黒の一対の男女を、皆は踊りながら注目していた。なんと軽やかな舞い方をするのだろう。特に女の方は舞踊手といっても通用するほどのステップさばきだ。こんなに踊れる令嬢は貴族の中にも滅多にいないだろう。そしてそれをサポートする男の方も、なかなかの足さばきだ。彼の支えがあるからこそ、女は安心しきって舞の中にすべてをゆだねているのだ。それは端の者にも感じられた。
そして驚くべきことに薔薇豹はワルツのあいだも彼らから離れようとしない。そればかりか決して彼らのステップを邪魔することなくしなやかな身体をジグザグにすりぬけさせて、ステップに溶けこんでしまっている。

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. 小説「碧き琥珀に眠れ」第31回

漆黒の一対の蘭と、薔薇豹。
息が合う、というより、三者はまるでひとつの命だった。
人々はいつしか踊るのを忘れ、うっとりと彼らに見入った。
何事か、時折ささやき交わす彼らに魅せられ、嫉妬の混じった視線さえ集まる。
(何を話しているのかしら)
(あの踊りのさなかに、まるで――――――そう、まるでシーツにくるまってむつ言をささやいているようじゃないか)
(なんて熱い眼で見つめあって)
(それにしてもあの碧い琥珀!どこで手に入れたのかしら。あの娘)
(いったい誰なの)
人々の想像を裏切って、ジャレツとリダの会話は至極色気のない内容だった。
油断なく辺りに眼を配りながら気づいたことを報告しあっていたのだ。
「あの柱の陰の男。テラスにいる夫婦づれ。あの金髪の給仕もそうだ」
「無邪気に踊っているあの水色のデコルテの少女も怪しいんじゃない?」
「しっ・・・・黙って」
ひとりの青年が近づいてきた。強引にも曲の途中でリダにダンスを申し込む。
リダはこれ以上は無理なほどのたおやかな微笑で、やんわりと断った。断られたものの、青年はリダの笑顔に惚けてしまった。
「冗談じゃない。鼻の下伸ばしてる坊ちゃんのお相手なんかしてるひまないんだから」
リダは流し目をつくりながら、鋭い視線を周囲に走らせる。
リダの見知った名士も多い。総督府でのレセプションに顔を出していた諸氏も多数見られる。
少し前までは、統治権を奪われたメレア公爵の城は人々から忘れ去られてしまっていたのである。それがひとたび総督の許可が出たとたん、この盛況である。大方、総督に媚へつらう連中が総督府の意向に沿って琥珀祭にも顔を出しておくべきだと判断したのだろう。
ジャレツは仮面の奥から列席者を残らずチェックした。
竜蛇の諜報員らしき人物は相当いる。
彼らがキャスケードを手に入れた今、次に狙ってくるのは琥珀の乙女だ。ジャレツはキャスケードの救出を後にまわして、この祭りで敵の出方を待つことにしたのだった。
琥珀の塔には公爵が相当数の警護兵を配置していたが、ジャレツから見れば烏合の衆にすぎない。
公爵はただ、物見高い祭りの列席者から守るつもりしかない。よもや、竜蛇大陸の皇帝が琥珀の乙女を喉から手が出るほど所望しているとは夢にも思っていないのだ。
一曲目のワルツが終わり、波のように拍手が起こった。階段から、公爵位の紅色のマントを身に着けた盛装姿の老公爵が現れたのだ。
「琥珀回廊のなじみ深き紳士淑女の皆様がた、今年も琥珀祭にようこそおいで下さいました。このメレア、今年も変わらず琥珀祭の開催という晴れやかな栄誉に預かること、並びに皆様方のご尊顔を拝することができ、老骨にとりこれ以上の幸せはございませぬ」
ステッキに身をゆだねながら、ふかぶかとお辞儀をした公爵に、再び拍手が送られた。
リダも夢中で拍手をしていた。
「ささ、皆様がた、今宵は最終夜の舞踏会。存分にお楽しみくだされ」
公爵が広間のフロアに下りると、二曲目が始まった。端に設けられたゆったりとした席に、召使に支えられて座る。
そして満足げにフロアを見渡した。
「他の男と踊っておいで。でも、やつらの手の者かもしれないから気をつけて」
ジャレツはリダを押しやった。
「もう私に飽きたの。竜蛇の宮廷仕込みのステップで、どこかの令嬢でも口説き落とそうってわけだね」
「とんでもない。琥珀の酔い止めは飲まなかったからな。その碧の色は男を腰砕けにする」
「ま・・・・・」
リダの汗ばんだ素肌に碧き琥珀が揺れ、琥珀は天井のシャンデリアの目映い光を反射して透明な碧を彼女の頬にふりこぼしていた。
リダはかまわずジャレツの胸に頬をぴたりと寄せて踊り始めた。
「リダ・・・・」
「黙って。じきに血生臭い闘いが始まるのでしょ。今しばらくはこうしていさせて」
照明のトーンが落とされた。
楽団席のソリストたちが蕩けるような旋律を奏でる。それはフロアに満ち、踊る男女の一組一組を甘い鎖で縛りつけてゆく。
ジャレツとリダの間には隙間などなかった。ただ、碧き琥珀がお互いの鼓動を伝え合って息づいている。
薔薇豹がスローに身体をすりつけて巡る。
ジャレツはステップを止めた。
「悪いが俺はキャスのやつに恋敵と罵られたくないんだ」
「それなら大丈夫よ」彼女は寂しげにつぶやく。「キャスはマドカの―――――――ロピの母親のものだもの」
「え?」
「カンナの遺したウエディングドレスはマドカが着るの」
リダは固く目をつむった。
震えるまつ毛をジャレツは見つめた。
突然――――――。
リダのまつ毛が大きく痙攣した。
「リダ?」
苦痛に眼元が歪む。
「熱い!」
ジャレツも熱を感じた。胸。リダの胸の琥珀だ!
ふたりの間で、琥珀が煮えたぎっている。花びらのような碧い焔を発してめらめらと!
「これは・・・・」
発狂しそうな熱さだ。ジャレツは思わず彼女から飛び離れた。革のジャケットがぶすぶすと煙をたてている。
「キャアアアアア!」
周囲のカップルが気づいて悲鳴をあげる。
たちまち大広間は騒然となった。
「助けて!」
リダは琥珀をもぎ取ろうと胸を掻きむしっている。ジャレツは懐から銃を抜き、琥珀を狙い撃った。
蒼白い閃光が琥珀を貫き、それはリダの胸から弾け飛び――――――床に落ちた。
「大丈夫か!」
ジャレツが支えた時、リダの胸の赤みは嘘のように消え去った。火傷ひとつない純白の肌だ。
琥珀に目を移すと、何事もなかったように輝いている。後には琥珀の焔が残した高貴な香りが漂うばかりだ。
「これはいったい・・・・」
ざわめく人垣を掻き分けて、メレア公爵がやってきた。
「これはお騒がせいたしましたな、皆様方。滅多にないことですが、この碧き琥珀は突如として燃えることがあるのですよ。いや、無害ですからご心配には及びません。大方、彼らの熱さに誘発されたのでしょう。いや、年寄りにはうらやましいかぎりじゃて」
「まあ・・・・そうでしたの」
噂好きそうな中年夫人がさも納得したように応え、周囲の人々もほっとした様子だ。
「ははは、これは若い者にあてられてしまいましたな」
「琥珀とてのぼせてしまったのですわ。あまりにおふたりが親密なものだから」
扇をひらひらさせて人々が離れてしまった後も、ジャレツとリダはその場から動かなかった。
親密どころか強張った表情のまま、顔を見合わせる。
「ジャレツ・・・・」
「うむ」
「さっきの、ただの熱じゃなかった。あんたが撃ってくれなかったら、私の心臓溶けてたよ」
「うむ」
ジャレツは琥珀を拾い上げ、席へと引き上げる老公爵の後姿に視線を投げた。
(まさか・・・・・・?)
その時である。
再開された曲が、無粋なマシン音にかき消された。
伝わってくる振動は、尋常でないマシンの数を物語っている。
「な、何ですの。騒々しい」
「あれは!」
大広間の扉が両側からはね開けられた。
巨大な篝火がいくつも設えられた公爵城の前庭に乗り入れられたいかついメカの数々。竜蛇の軍用車、そして戦車までもが十数台。
先頭の軍用車から、銀の仮面を着けた紫の軍服の男が降り立った。
緋色のエントランスを踏みしめ、まっすぐに大広間へ歩いてくる。
「総督だ」
「エレクの町から総督自らやってきたぞ」
人々がささやいた。
薄笑いを浮かべた銀の仮面は公爵の面前まで進んでくると、正式な礼をして片膝を折った。
「メレア公爵閣下、初にお目通りいたします。琥珀回廊を預かる総督、モーガイにございます。今宵めでたき、また伝統格式ある琥珀祭にそれがしからもささやかなる祝いを納めさせていただきたく参上つかまつりましてございます」

. 小説「碧き琥珀に眠れ」第32回

第 八 章  華麗なる軽業師


夜の底。いや巨大な母艦の舟底で、老婆が一心に端末に向かっていた。
八大大陸の中で群を抜いて科学が発達している竜蛇では、端末無しには生活はなりたたない。ましてや軍隊では。
その船室は書庫も兼ねていた。そして老婆が日頃使う妖しげなまじない、占いの小道具もまたところ狭しと並べられ、積み上げられている。
世界の果ての珍獣のアルコール漬け、剥製、中には半獣半人といった生物の標本さえ見える。今は命を失くしたそれらの目が、老婆が必死の形相で端末を操っている様子を冷淡に見下ろしていた。
「ええいっ。役たたずめがっ」
幽鬼婆は突然、端末を放り出した。
「科学の粋とはいうてもたかが数百年の歴史しか持たぬ道具が知るはずもないわい!わしも馬鹿なことじゃ」
婆は忌々しげに転がった端末にひと蹴りをくれると、今度は書架に向かい、むさぼるように分厚い古書をあさり始める。
長く垂れたみつ編みが書架の上下をせわしく行き来した。
「いったい、最高司祭が陛下に・・・・」
カイドーから思わぬ事実を告げられた婆の胸に、天からのお告げのようにひとつの疑問が湧き起こった。
「よもや、よもや・・・・」
皺に埋もれた唇が、わなわなと震えてつぶやき続ける。
「陛下が琥珀の乙女の生き血をなぜご所望されるのか・・・・・。それは竜蛇創世にかかわる重大中の重大秘密。まさか、陛下はその所以を知ると言われている最高司祭からお聞きあそばしたのでは・・・・・・」
木の枝のような指がカビにまみれた分厚い書物を探しあて、狂ったようにページを繰る。
「おお」
ひとつの項目が老婆の白く澱んだ目を見開かせた。
「これか・・・・。<太古の琥珀回廊に君臨したる星竜帝じゃと・・・あまりに古い時代のことゆえ神話世界の戯言としか思うておらなんだが。わが陛下の紀元とも伝えられる伝説。しかし、これだけではさっぱり見当がつかぬ」
老婆は書物から離れると、今度は湿気臭い道具類の中から竜の細工が巻きつく古い鏡を取り出した。透視のできる万眼鏡である。
「この上は蘭の名を持つ小癪な小僧の目を遠見してくれよう。碧き琥珀に眠る乙女とやらをこの眼で見ねばらちがあかぬわ。これはよい。科学の生んだ画像よりもよほど鮮明よの」
掌であぶりだすように、鏡の面を老婆のミイラのような手がなぞった。

********************************

琥珀城の城下で祭りに浮かれていた下々の者も、突然の竜蛇軍の物々しいお出ましに酔いが吹き飛んでしまった。
総督の乗る軍用車両ばかりか戦車までもが恐竜のようないかつい車体の列を連ねて城に乗り入れたとあっては、人々は生きた心地もしなかった。
何せメレア公爵は先年まで琥珀回廊の支配者だったのだ。いうなれば、割譲して我が物顔にふるまっている竜蛇総督とは水と油の関係なのだ。一触即発とはこのことをいうのだろう。
人々は早々と家に帰り荷物をまとめはじめたり、こわごわながらも城まで様子を見に行ったりした。

. プロフィール

海道 遠(かなた)

Author:海道 遠(かなた)
小さい頃からお絵描き大好き
お話創るの、大好き
      ↓ 自然に
漫画家になりたい
      ↓
OLを退職。デザイン学校の漫画科へ入学
      ↓
家庭の事情で後、半年というところで退学、OLに戻る
      ↓
技量不足とひどい肩こり症のため、もの書きに転向
      ↓
結婚、妊娠、育児のブランクを経て再度ペンを持つ。
      ↓
が、コンクールに落ちる事、数知れず。
      ↓
諦めてアマの道へ

★著作★
 ペンネーム:海道 遠(かいどう かなた)
 「“海王の接吻”を抱きしめて」新生出版
 「CROSS」新風舎 
 共に全国出版、ネット販売しております。

★海棠結実(かいどう ゆみ) ペンネームで 

 【 遠雷去らず 】風詠社(鎌倉時代もの)
 全国ネット販売しております。
 

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